買い物の話
愛想良く聞こえる声だった。彼女の中身を知らなければ。
「あら、お客様。お目が高くていらっしゃる。そちらは仏蘭西のデザイナーの設計でして……」
藤澤百貨店の制服のワンピースに身を包んで、にこやかに商品を薦める志乃は、傍目には『美人の店員さん』に、あるいは、高額商品を躊躇いなくぐいぐい押し出す発言内容まで含めて『やり手の店員さん』に見えるだろう。
だが、長い付き合いの聡子には、親友が完全に面白がっていることが分かっていた。
それは確かに、他人事なら面白かろう。
学友が婚約者と一緒に、百貨店の宝飾店売り場にやってきて、婚約者の男の方が『婚約指輪を買いたいのでいくつか見せてもらえるか』なんて言ってきたら!
(完全に『週明けの学校で詳しい話を聞かせなさいよ、面白がってあげるから』って顔をして……! ああ、どうして、よりにもよって志乃がいる日に来てしまったの!)
あまりの気まずさに『偶然運悪く居合わせるなんて』と不運を恨めしく思ったが、よく考えれば、志乃が休みの日には藤澤家の系列の店で小遣い稼ぎにアルバイトしていることは聞いていた。
聡子と晴臣が昼から時間をとって出かけられるとしたら休日で、婚約指輪を買うなら質の良い高級品を取り扱っている藤澤百貨店に行くのも自然で――と考えると、そもそも晴臣が「出かける」と決めたときから、出かけた先で志乃に出くわすのは必然だったのかもしれない。
(……やっぱり、晴臣さんのせいよ)
密かに恨みを込めた視線を送ると、晴臣も気づいたらしく、聡子のことを見返してきた。
「どうした? 目星をつけたものがあれば、まずは試着してみたらいい」
「こんなに高いもの、どれも買えません!」
目の前にずらりと並べられた指輪は、聡子の指に合わせた大きさのものを出してもらったが、それぞれ輪の幅も装飾も異なっている。
そこにダイヤモンドが一石ついたもの、台座の高さを変えて複数の石が取り付けられたもの、指輪の全面に散りばめられたもの、他の色石や真珠も一緒についたもの、はたまた石の大きさが、輝きの色が、透明度が……と細かな違いがあって、一つとして同じものはない。
ただ、全てに共通して言えることがあるとすれば――どの指輪も、目玉が飛び出るほど高い!
「金を出すのは俺だ。君は好きなものを選ぶだけでいい」
「『だけ』じゃなくて! それだから難しいんです!」
他人のお金で買ってもらうなんて、できるだけ負担をかけたくないけれど、指輪に分かりやすい値札はついていない。
気になったものがあれば店員にその値段を教えてもらうという形式だから、数ある指輪の全てを試着して全ての値段を聞くわけにもいかず、並んだ中から直感で選ぶしかない。
選びづらくて仕方がないが、どれかを選ぶまで晴臣は退いてくれないだろう。
(ああ、どうしてこんなことに……!)
考えるとやっぱり恨めしくて、聡子は彼をじとっと睨んだ。
事の発端は、聡子が「指輪を誰かに贈られたことがない」という話をしたことだったのだと思う。
「銀座に出かける。買うものがあるからついてきてくれ」
そう言われて、聡子はてっきり、彼の荷物持ちでもさせられるかと思っていたのだ。晴臣には恩がある、それくらいの雑用は引き受けよう、とも思っていた。
ところが、二人が乗り込んだ車を発進させてから、彼は「婚約指輪を買うのを忘れていた。指輪があった方が婚約者らしく見えていいだろう」などと言い出して。
彼の『買うもの』が聡子に贈る指輪だと気づいたときには、銀座の藤澤百貨店はもう間近に見えていた。はっきり言って、騙し討ちされたようなものだと聡子は思っている。
「そんなもの、いただけません!」
「二辻閣下は妙なところで鋭い。俺たちが真面目に婚約者らしくしていないと知れば、また余計な口出しをしてくるかもしれない。指輪一つでそれらしく見えるなら、試してみる価値はある」
「ぐぬ……」
渋々と彼の提案に乗ることにしたのだが、アクセサリーを選ぶのにこれほど気疲れするとは知らなかった。
先ほどいかにも羽振りの良さそうな紳士が、連れの蓮っ葉な感じの女性にねだられるまま、あっさりと商品を購入していたのを見かけて、聡子は文化の違いに震え上がった。
悩みもせずに決められる胆力も、躊躇いなくねだれる精神力も、連れの女性に諦めさせることも値切ることもせずにそのまま買う財力も、常人のものではない。
これが銀座の高級百貨店か。蚤の心臓の聡子には、どうにも場違いに思えてならない。
「聡子さん? 決まったか?」
「あらあら、お客様、急かさなくても。きっと、ご婚約者様はご自分のお眼鏡に適う指輪をじっくり選ばれているのですわ。ね、聡子さん?」
「……っ、もうっ! これ、これにします!」
志乃に茶化すように言われて、二人に『聡子が選び抜いた逸品』を注目して待たれるよりは、勢いで決めてしまった方がいいと思った。
聡子は並んだ指輪の中で、一番小さい石がついた、輪の装飾も控えめなものを選んだ。
これなら、他よりは安く済むだろう、と――。
「あら、お目が高い! そちら、純白の輝きと中に含まれる不純物の少なさから最高級グレードがついたダイヤモンドを使った品ですわ。この中でも特に、当店自慢の品です」
「ねえ、嘘でしょう……?」
「お買い上げありがとうございます!」
志乃の弾んだ声とほくほく笑顔を見るに、本当のようだった。
どうやら、聡子には宝飾品を見る目が致命的にないらしい。
「刻印はどうなさいますか? 当店は、刻印のみでもお受けしておりますし、当店でご購入いただいた品については、後日のお申し込みでも無料で対応させていただいております」
どうしよう、晴臣にとんでもなく高い買い物をさせてしまった。
精魂尽き果てて、勧められた椅子にふらふらと座り込む聡子をよそに、晴臣は動じた様子もなく注文を続けている。
「時間はどれくらいかかりますか」
「そうですわね、今お申し込みいただけば、店舗の裏に常駐しております職人が仕上げて、夕刻にはお渡しできるかと。数時間はお待たせしてしまいますが」
「夕刻ならまだこの辺りにいますから、今日の仕上げでお願いします。刻印する文字は、晴臣から聡子へ、のローマ字で『Haruomi to Satoko』で」
「かしこまりました!」
記入した注文書を持った志乃が、店舗のカウンターの奥に下がるとき、聡子にだけ見えるように片目を瞑ってみせた。
彼女が聡子をからかうときの仕草だ。込められた意味はさしずめ『ひゅう! 愛されてるぅ!』と囃し立てるといったところか。
「……ごめんなさい。そんなに高いとは知らなくて」
店頭に二人で残されて、聡子はぼそりと呟いた。
婚約者らしく過ごしているように見せるカモフラージュのための指輪なら、これほどの品を用意する必要はないはずだ。
また晴臣に迷惑をかけてしまったと落ち込んでいると、彼はけろりと言ってのけた。
「なに、いずれ婚約を解消するときの、慰謝料というか手切れ金だと思えばいい。売ってそれなりの金に換えられるものなら、君も満足だろう」
先払いの慰謝料だと思って受け取れ、というのは、もしかしたら、彼なりの「気にしなくていい」という励ましだったのだろうか。
どういう理由にしろ、聡子のものにしていい、と言われたことは嬉しくて。
「……名前を入れたら、売りづらくなっちゃいますよ」
照れ隠しに、そんな可愛げのないことしか言えなかった。




