イケオジ、夜のRAIN祭り
千名月さんが帰った後、私は店内で閉店作業をしていた。レジ閉めや清掃などを行いながら、先ほどの会話を何度も思い返している。口元が緩んで仕方がない。一日の疲れはどこへやら、喜びで頭がいっぱいだった。
ようやく連絡先を交換できた。これで千名月さんとの接点が増える。会えなくても連絡が取れる。
彼女のことが気になりだしてから、私はずっとそれを聞きたいと思っていた。
あの人のことをたくさん知りたい。早く距離を縮めたい。
恋に落ちた日から、そんな願いを持っていたものの、感情の赴くまま行動するべきではないと、私は経験からよく知っていた。
ほとんど面識のない男が、いきなりプライベートなことをずけずけ聞いてきたら、驚かれるし引かれるに決まっているのだ。最悪の場合、危険を感じて店に来てくれなくなるかもしれない。それだけは絶対に避けたかった。
ゆえに私は、これまで自分を抑えタイミングを見計っていたのだ。彼女が心を開いてくれるタイミングを。
けれど理彦が来た日に、現実を思い知らされた。どれほど好意を抱いていても、しょせん私とあの人は、ドーナツ屋の店員とお客さん⋯⋯ただそれだけの関係である、と。
彼女がひとたび店へ来るのをやめてしまえば、私たちの関係はあっけなく終わってしまう。まるでわたあめの糸のような、か細い繋がりしかない。
あの日、悲しげに去っていく千名月さんを見て、このまま会えなくなってしまうんじゃないかと、恐ろしくなった。
同時に、彼女にすでにお付き合いしている人が居るかもしれない可能性にも気付いた。
あの人はドーナツが好き、ということ以外、私は何も知らない。それが不安で、しかし何も出来なくて、焦りだけが膨れ上がっていく。
どうか来週も、ここへ来てほしい。
仕事をこなしながら、毎日のように祈った。そして次にあの人と出会えたなら、どんな些細な機会も逃すものか。必ず次の段階へ繋いでみせる。そう心に決めていた。
そして今日、彼女と話し、結果とてつもなく大きな情報を得た。
恋人が居ないことも判明し、名前と連絡先も分かった。出会った当初からすれば、ずいぶん進展したと言える。
突如、エプロンのポケットの中でスマホが震えた。何かの通知のようだ。どきりとして、期待を胸にすぐ画面を確認する。
『無事、家に着きました』
メッセージは千名月さんからだった。短い言葉なのにとても嬉しい。それと今、気付いたが、千名月さんのRAINのアイコンが、私の作ったくまカスタードーナツの写真だった。
差し上げたあのドーナツを、千名月さんは本当に喜んでくれたんだろう。
くまカスタードーナツのアイコンを見つめ、愛おしいな、と思う。さっきまで一緒に居たはずなのに、淋しくて、また早く会いたいと願ってしまう。
千名月さんにどう返事するかと考えていたら、今度は理彦からメッセージが来た。しかも三件連続である。
『会社の女子たちに怒られた』
『お前を紹介できないって言ったからだ』
『俺の信用は失われた。お詫びになんか奢れ』
「いや、何で私が奢らなきゃならないんだ?」
奴の言い分があまりに理不尽すぎて、スマホへ独り言を呟いてしまう。そもそも、格好つけて何でも安請け合いするからそうなるんだ。少しは己の言動を反省しろと言いたい。
「⋯⋯でもまあ、千名月さんと連絡先を交換できたのは、ある意味こいつのおかげかもしれないな」
私は少し考えて、メッセージを送信した。
『奢りはしないが、飯は行ってもいいぞ』
送った瞬間すぐ既読がついた。この男、暇なんだろうか。
『明日はどうだ?』
気が早いな。まあ別に予定はないからいいが。
『仕事終わりなら』
『よし行こう!』
きゅるんとした目の黒猫が『やったにゃあ』と万歳しているスタンプが送られてきた。あざといなと私は微笑み、了解と送る。ややあって、またメッセージが届いた。
『そういや、この前のアレ、どうした?』
理彦の尋ねたことに思い当たり、返信する。
『様子見だ。たぶんこのままそっとしておく』
『分かった。コトが大きくなりそうだったら言えよ。俺、顔広いし色んなところに伝手あるから。落ち込むなよ』
全く、この男は。
だいたいふざけたことばかり言ってくるくせに、時おり優しさと気遣いをみせてくる。こういう一面があるから、何かやらかしても、みんなつい許してしまうのだ。
苦笑した私は、この人たらしめと、画面に言葉を投げた。
理彦からのメッセージにOKと返信すると、千名月さんからもメッセージが来る。
『今日、話せて楽しかったです』
瞬時に、私も同じだと思った。千名月さんに会えると、本当に嬉しいし楽しい。彼女が来るかもと考えれば、仕事もより頑張ることが出来る。
「しかし困ったな。どう返そうか」
理彦には適当にぽんぽんメッセージを送れるのに、千名月さんに送るのはやたらと慎重になってしまう。しかしなるべく早く返事をしたいので、とりあえず今の気持ちを素直に入力してみた。
『私も話せて楽しかったです。もっとあなたとお話がしたいので、今度一緒にランチでもどうですか?』
⋯⋯いや、さすがに今日デートに誘うのは急すぎるか。
『私もすごく楽しかったです。また千名月さんにお会いしたい。チョコドーナツの感想、良ければ聞かせてくださいね』
うーん。これは早く店に来るよう催促してるみたいで、だめかもしれない。
――それから何度も何度もメッセージを書き直したが、どう返すか決まらず、いったんスマホを片付け閉店作業を先に終わらせた。
その後、帰宅して食事や風呂などを済ませていたら夜遅くなってしまい、結局『私も楽しかったです。おやすみなさい』という当たり障りのないメッセージしか送れなかったのだった。




