イケオジ、動揺する
今日もあの人が来てくれた。
嬉しさで舞い上がりそうになるが、目の前の男のせいで素直に喜べない。
私は出来るだけ平然を装い、彼女に近づいてショーケース越しに頭を下げた。
「いらっしゃいませ、こんばんは。今日もお仕事、お疲れ様です」
「こ、こんばんは! 店長さんもお疲れ様です!」
彼女はトレーを両手に持ってぴんと背筋を伸ばし一礼した。この間も思ったが、とても元気で礼儀正しい人だ。会えるのを心待ちにしていたせいか、少し言葉を交わすだけで、頬が緩んでしまう。
彼女は私を見上げ、ちょっと早口で話を切り出した。
「あの、この前買ったドーナツ、三つともすごく美味しかったです。紅茶と一緒にいただきました」
「そうですか。気に入っていただけて何よりです。今日も色んなドーナツを用意しておきましたよ」
あなたのために、とは伝えられないので心の中で言うに留める。彼女はショーケースを眺めて歓声を上げた。
「わぁ、本当ですね! 今日は何にしようかなぁ」
「どうぞ心ゆくまでお選びください。何か聞きたいことがあれば、気軽に声をかけてくださいね」
「はい。分かりました。ありがとうございます」
彼女はふわりと微笑み、ショーケースの中を覗き込む。何か世間話などしたいところだが、あまり話しかけたら困るだろうか。そんなことを考えていたら、レジの方から嫌な視線を感じた。
振り向くと、理彦がドーナツの箱を片手に、私の様子をうかがっていた。なかなか丁寧に接客してるじゃないか、と揶揄するような目をしている。非常に仕事がやりづらい。
ううむ。彼女ともっと話をしたいが、理彦が邪魔だな。
私は彼を凝視して「早く帰れ」と目線で合図する。すると「ん? 何だ?」みたいな顔で首を傾げてきた。
あいつめ。絶対に分かっていて気付かないふりをしてるな?
いっそ強引につまみ出してやろうかと思ったが、あの人が居る前でなるべく手荒なことはしたくない。私は後で覚えておけよと理彦に念を送り、お嬢さんに向き直った。
さて、彼女はドーナツを決められただろうか?
何やらとても静かなので、気になって確認すると、彼女はキラキラした瞳でドーナツを見つめていた。今日も迷っているようで、ショーケースの前を行ったり来たりしている。わくわくした顔、幸せそうな顔、困った顔。表情が忙しく変わっていき、目が離せない。私は前回同様、彼女にときめいてしまっていた。
ふう〜〜〜〜〜。可愛い。可愛いがすぎるな。子供のように無邪気な姿だ。佐倉さんが癒されると言っていたのも頷ける。ずっと見ていられるぞ。
いつしか動物ドーナツと彼女のにらめっこが始まった。微笑ましいことこの上ない。『可愛い』に『可愛い』が掛け算されて、『とんでもなく可愛い』になっている。
⋯⋯待て待て。あまりじっと見たら失礼だな。落ち着くんだ、私。平常心だ、平常心。
私は営業用の笑みを貼り付け、置き物のようにじっとしていた。
しばらくすると、何を思ったのか、理彦がレジからこちらに向かって歩いてきた。そして彼女の隣へ来て、優しい声色を発した。
「こんばんは。君、ちょっといいかな?」
「! はい。何ですか?」
「さっきからとても迷っているようだけど、ねことくまといぬ、欲しいなら三つとも買って帰ったらいいんじゃないかな」
なんとこの男、初対面なのにお嬢さんへ親しげに話しかけた。彼女は驚いた様子で固まっている。
「おい、理彦」
彼女がじっくり選んでいるのに口を出すな。
そう言おうとしたら、お嬢さんが納得したように理彦へ返事をした。
「そうですね! 悩んでたけど、今日は動物ドーナツの日にします! ありがとうございます!」
「どういたしまして。この店のドーナツ、うまいよね。俺もここのドーナツのファンなんだよ」
「え!? そうなんですか!? 私もそうなんです!」
「君は何味のドーナツが一番好きなの?」
「チョコ味のドーナツが一番好きだと思ってたんですけど、生クリームも美味しかったんですよね」
「分かる。俺は生クリーム、あんまり好きじゃなかったんだけど、ここのは食えるんだよなぁ」
いやいやいや! なぜ君が彼女と仲良くなってるんだ!? 私は慎重に距離を縮めようとしているのに!
このままでは、お嬢さんが理彦を好きになってしまうかもしれない。危険だ。追い出そう。
「おい理彦。奥さんと子供が心配するぞ。もう帰った方がいい」
「はいはい、分かったよ。じゃ、さっきの話、考えといてくれよ?」
「理彦。私は会わないと言ったはずだ。あまりしつこいと出禁にするぞ?」
作り笑顔に怒りと殺気を込める。その瞬間、理彦はにやついた顔を引っ込め、肩を落とした。
「⋯⋯仕方ない。女の子たちに謝るか」
トボトボと理彦が出ていき、私は安堵した。やっとお嬢さんと気兼ねなく話せる。
少し雑談をしてから、彼女は動物ドーナツの会計を済ませ、自動扉を見た。
「さっきの方、店長さんのお友達だったんですね」
「ええ。昔からの悪友ですよ」
「仲良しって感じでいいですね」
「そうでしょうか」
「⋯⋯」
「どうされました?」
「いえ。何でもありません」
首を横に振ったお嬢さんが、なぜか切なげな瞳をしていて、胸がざわつく。一体どうしたんだろう。
「今日もありがとうございました。ドーナツ、食べるの楽しみです」
「こちらこそ、ありがとうございました。また来てくださいね」
自動扉を出て見送ると、彼女はペコリと頭を下げ、肌寒い夜の闇に向かって歩いていく。
私は言い知れぬ不安にかられたが、その背中を追いかけ理由を尋ねることは出来なかったのだった。




