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生きたがる身体

「迷うなら、よく考えるといい」


生きるか死ぬかの選択を突き付けたかと思えば、魔法使いはあっさりと身を引いた。

気付けば夕日が部屋を赤く照らしており「疲れたから寝る」と告げた後はそのまま炉端に腰を下ろし眠ってしまった。


翌朝になるとカーテンのない窓からは眩い光が差し込んでいた。木板に直接寝てるかのような硬さのベッドに小汚い薄い敷物はヒストリアの不安を煽る。きっと薄い生地が遮断して作られる柔らかな光も、羽毛のたっぷり入った肌触りの良いサテンに包まれることも、もう二度と叶わないのだろう。


昨日まで死のうと考えていたのに魔法使いが回復魔法をかけた影響か、ヒストリアの身体はいつもと変わらぬ空腹を感じて寂しい気持ちにさせた。

いっそ何も感じなくなっていれば自暴自棄のまま自害できていただろう。王都に帰れる訳でもないのに中途半端に助けられて、魔法使いを恨む気持ちは燻っていたがヒストリアの中には小さな迷いが生まれていた。

目覚めたヒストリアに合わせるかのようにして身体を起こした魔法使いを見て考える。

もしもこの男がその気になればエリザベート達に復讐する手助けをしてもらえるのではないか。昨日は断られたが可能性が全くないわけではない。でなければ時間の無駄などと言わないはずだ。その気になれば、だが。


「おはよう。……今日からここで暮らすために、この家を改装しようと思う」

魔法使いはざっと室内を見渡したあといった。

長く人の手が入っていない様子の家は埃っぽく、壁の中央あたりに位置する暖炉を挟んでベッドと食卓のエリアに分かれている。食卓用のテーブルは大人が一人使う程度の大きさで炊事場も小さい。タウンハウスにあった自邸の調理場とは比べ物にならず、もしかすればこの小屋のようなこの家と同等の広さに感じられた。

当然だが部屋を区切るものは何ひとつなかった。外と内を出入りするための扉が一つ、そういったこの家全体の細部に目を向けると気分は荒む。

改装を提案する魔法使いが何をするつもりかは分からなかったが、今よりは快適にしてくれるのだろうと勝手に解釈しヒストリアは片手を振った。


「そう。さっさと済ませてちょうだい」

しかしふと疑問が湧く。この魔法使いはどこで暮らすつもりなのか、それは確かめなければならない。

「あぁでも、待って。あんたもここに住むのかしら?」

「そのつもりだ」さも当然と言わんばかりの答えだった。

魔法使いという存在がどんな暮らしをしているかヒストリアの知るところではなかったが、少なくとも年頃の乙女である自分は到底受け入れられない。

「嫌よ。ここは私の部屋にするわ。婚姻前の令嬢が知らない男と同じ場所で寝食を共に過ごすなんてあり得ないでしょう」

「もう令嬢じゃないだろ。それに昨日も同じ家で眠ったが」

「き、昨日は例外よ!あんたが勝手に寝始めたんでしょ」

「そうか。ならここは君が自由にすればいい。俺は近くに家を建てよう。ひとまずは雨風を凌ぐためのにも俺は自分の住まいを確保することを優先事項とするが、いいな」

冷静沈着にヒストリアの主張を呑んだ魔法使いの態度に文句のつけようはなく、静かに頷けば目覚めてから空腹を訴えていた腹が鳴った。だがヒストリアが覚えているかぎり、もうここには食料は残っていない。据え置かれた水瓶だってそうだ。もうすっかり乾いている。そのことをどう伝えるか考えあぐねるが、一向に良い案は思い浮かばなかった。

実家なら言わずとも朝食は用意され、気分に応じて使用人に言いつけ茶菓子を貰うことは容易だった。準備に時間がかかっていたり、用意された内容が気に入らなければ叱責し作り直させていたが、もうヒストリアが顎で使えるだけの人間は存在しない。それどころか食事をしたければ自分でどうにかするか目の前の魔法使いを頼らなければならないのだ。


「……まずは朝食にするが持ち合わせはあまりない。期待はしないでくれ。確認しておくが食べれないものはあるか?」

ふと落ちてきた問いにヒストリアの頬は紅潮した。

腹の虫が鳴ったのを聞かれたからか、魔法使いは直ぐに炊事場へと背を向ける。

そういえばこの男は世話を焼くと言っていたのだ。

「わ……私、パンは白いのじゃなきゃ嫌。野菜と香草は苦手。あと肉は絶対柔らかくね。それに油っぽいのは胃もたれするから無理。魚も赤みは好きじゃないの、でもバターは別。あれはたっぷりと欲しいわ。それから卵は黄身しか食べないから」

魔法使いというのは料理も出来るらしい。魔法で出すのかと考えたヒストリアは興味を持ち、ようやくベッドから出で後に続いた。

袋から何か取り出しているが、出てくるのは香草のようなものと芋に干し肉である。

「食べたくないものばかりということはよく分かった。一応覚えておく」


ムッとして顔を顰めていると魔法使いはヒストリアに顔を向けた。

昨晩、覆い被さられた時に間近で見た精悍な造りを再び捉える。

杖よりも剣を手にする方が似合うであろうこの男は、父よりも随分若いと分かる。しかしベルナルド王子よりはさらに年上の大人の色気を帯びていて、切れ長の目がヒストリアに向けられ刹那、緩やかに口端を持ち上げる姿に、思わず視線を外そうとしたがもう一度見てしまった。

「ちなみにこれが気遣いというものだ。覚えておいて損はない」

不遜な物言いに気分は急降下し、僅かながら身体に火が灯りかけたことをヒストリアは恥じた。

それから矢継ぎ早に「手伝うか?」と窺われる。まるで大聖女の扱いを熟知しているような言動をしていたわりにわざわざ訪ねるとは一体どういうつもりなのだろうか。

「見てるだけよ。料理なんてしたことないもの」

「芋を洗ってくれても良いが……」

「手が痛むの」

「治癒したから問題ないはずだ。それでも痛むというのならその症状は神経の記憶だ。実際の怪我は治っているから安心すると良い」

ヒストリアにその気がないことを理解したようで魔法使いは再び背を向けた。それからしばらく二人の間に会話らしき会話はなかった。

魔法使いは小瓶からチェスの駒ほどの四角い結晶を取り出すと、先に蒸していた芋と水と共に鍋に火を入れた。暫くすると乳白色のどろりとした液体となり、香りからして先ほどの四角い何かはミルクの役割をしていたのだと知る。

今までヒストリアが食べていた料理もこのようにして調理されていたのだろうか。調理場に出向いて叱責することはあったが、彼らの手元に目を止めたことはないため比較対象がない。水瓶はいつの間にか満たされており、ヒストリアの知らぬ間に魔法使いがなにかした様だった。


「出来たぞ」

しばらくして声をかけられた。

時間をかけずに手際よく用意され、食卓テーブルへと運ばれる。

朝食は二人分、しかし椅子は一脚。その一脚に座るよう魔法使いに促された。生粋の貴族故に使用人を立たせておくことに一切の躊躇いのないヒストリアが着座すると、魔法使いは部屋の隅に転がっていた木箱を拾いそれを椅子代わりに対面したため困惑して物申したくなったが、身分を剥奪されたことを思い出していると魔法使いが云った。

「さぁ、召し上がれ。ポタージュだ。パンとソテーもある」

香りは、悪くない。ポタージュには干し肉のかけらも散りばめられており、ソテーの方も干し肉だったとは思えない仕上がりだ。しかしパンは黒っぽい色をして一目で硬いだろうと判断できた。カラトリーを手にするより前に思わず零れる。

「白パンじゃない……」

「期待しないでくれと言ったはずだ。すべてを叶えることは出来ないし、これでも君のことを考えて用意している。黒いパンは全粒粉で栄養価が高い」

「でも私は白パンがいいの」

「そもそも、白いパンは貴族の食べ物だろう?」

「そうよ!」思わず大きな声が上がった。

白いパンは貴族の中でもそれなりの階級でなければ食べられない。貴族籍があれど資産がない家で白いパンを食べ続けることは難しい。食事とはヒストリアにとって一種のステータスであり、現実を映す鏡でもあった。居心地が悪く視線は手元に落ちた。

はぁ、と向かいから溜息が零れる。

この状況で白パンを求める権利が自分にないことは流石のヒストリアもなんとなく理解していたが、これは受け入れられるか否かの問題なのだ。突如身に覚えのない罪で地獄に落とされ理不尽を叩きつけられた可哀想な令嬢は、王子様が迎えにきてくれるのが相場ではないのか。昔の記憶に残っている寝物語では、そうだった。

助けてくれて、支えてくれて、砂糖菓子よりも甘い愛に包まれ城で守られ幸せに暮らすのだ。

自分の不幸も、それに当て嵌めなければ受け入れられない。

しかし現れたのは魔法使いで、見た目こそ良いがヒストリアを守る王子ではない。そうでなければ今頃は王宮で無礼を働いた者たちを跪かせ相応の罰を与えている頃合いだろう。姉のエリザベートと義兄のロイドは阿鼻叫喚で、べルナルド王子殿下からは赦しを乞われていなければならない。

だが現実は違った。

眦を上げて唇を引き結ぶヒストリアに、魔法使いは重々しく口を開いた。

「君は嵌められたと言っていたな。シルドバーニュほど聖女を大切にする国は他にないが、僻地に捨て置かれるほどの君が既に貴族でないことは察しが付く。名はなんというんだ?」

「ヒストリア……ヒストリア・フランドールよ。フランドール侯爵家の次女、だった……」

貴族であることを過去の様に扱わなければならないのは心苦しく声が低くなる。

「やはりシルドバーニュの聖姉妹か……なるほど。その名は捨てて方がいい」

「どうしてよ!」

「この先、何を選ぶにしても、今はしがらみが多いだろう」

魔法使いは同情気味に告げた。そしてヒストリアが自害を選ぶ可能性がまだ残っていることに含みを持たせる。

それから押し黙ったままのヒストリアを見かねてか黒パンを差し出した。ついさきほど拒否したばかりだというのに、この魔法使いは一体何を考えているのだろうか。受け取る可能性がないことを確認して皿に戻した魔法使いはヒストリアを置いて食事を進めることにしたらしい、木製のスプーンを手にポタージュをすくっては口へ運び満足そうに味を確認し始めた。


「ひとまず君のことはセシルと呼んでも?」

唐突な提案に戸惑いヒストリアは眉を顰めた。

「……あんたが考えたの?」

悪くない響きだが、この魔法使いの口から美しい響きの名を出されるのは意外だった。

「俺が昔世話になった聖女の名だ。名を捨てるのは辛いだろうが、セシルは紛れもなく最高峰の聖女だった。君のもう一つの名に相応しい」

「最高峰の聖女……」

頷けばこれからその名で呼ぶつもりなのか、世話になったという聖女の名を出会ったばかりのヒストリアに渡そうとする魔法使いの言葉には迷いはない。

気付けば涙がぽろぽろと零れていた。

この地に追放されてから散々泣いたというのに、まだ流せる涙があったようだ。とめどなく零れ落ちて肩が震える。

思えばここまで長く誰かと言葉を重ねたことがなかった。

ヒストリアの一方的なものばかりで、陰口に対する癇癪や格下の相手への叱責。完璧な姉の唯一の障害物として腫物のように扱われ、近づいてくる人間はおらず、同じ貴族籍の友人はおろか家族の間ですらまともな交流はなかった。


ヒストリアは長い息をつくと涙をぬぐい、手を伸ばして黒パンを掴んだ。

ちぎろうとすれば想像通り固く、ポタージュに付けて食べてもやはり白パンの生地には程遠い食感である。けれど空腹の腹に噛み応えのある黒パンはするすると入っていった。

干し肉のソテーもヒストリアの希望通りに柔らかく調理されている。味を評価するよりも黙々と口へと運んだ。

「君に興味がないと言ったが、話したければ何があったか聞いてやるから話せばいい」

ヒストリアが食事を始めたことで魔法使いは声を掛けてきた。今さら何を、と思ったが、しかし昨日よりも落ち着いた頭が罵倒の言葉を選ぶことはなく、代わりに拗ねた口ぶりへと変わる。

「変な男。今日から家を建てるんじゃないの……」

「予定を変えるのはかまわない」

「なんで優しいこと言うのよ……実験に協力して欲しいから世話を焼くって、こういうことなの」

長い日々のなかで、ヒストリアは心のどこかで大聖女の印があれど自分が無価値な存在だと考えるようになっていた。しかし皮肉なことに、必要としてくれたのは、家族でも、ベルナルド王子でも、国でもなく、追放先で出会った風変わりな魔法使いだった。


「あぁ。君にはその価値があるからだ」


復讐に加担する気のない意思とは裏腹に垣間見られる魔法使いの理解しがたい行動は新鮮で、絶望のあとに与えられた必要とされる喜びは甘く胸に響いた。

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