58、王太子の胸で泣きました。
握られた手は離して貰えず、熱い眼差しは逸らして貰えない。
私は恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
「あなたほど王妃に相応しい人は、他にいないと思っている。」
けれどシャルマーニュ王太子のその言葉は、私には荷が重いものだった。
「ですが、私よりも王妃に相応しい方は、他にいるのです…。」
私は怖かった。何より国民を殺してしまうことが。
いずれ起こるであろう、コレラよりも更に恐ろしい疫病、ペストの大流行。
もしもその蔓延を食い止められずに、この国が今のロンドルのようになってしまったら、私は今と同じように、きっとたいしたことはできないのだろう。
山のように死んでいく大切な国民達を、ただ眺めて泣くしかできない無力な存在になるのかもしれない。
そんな時に、魔法の力で国民を助けることができるのは、聖女シルヴィだけだというストーリーなのだ。
聖女シルヴィは、まだそんな夢のような力には目覚めていない。
けれど、フランセイズが危機に陥った時に、最後に頼れるのは彼女なのだ。
それに何より、二年後に生きているかも分からない私が、王妃になる約束なんてできるわけがなかった。
「あなたが何故王妃になろうとしないのかは分からない…、けれど、いや、そうじゃない……。」
王太子は何かを悩むように、頭を振った。
「私は確かに王太子で、王太子以外の私はあり得ないが、例えば私が王太子ではなく、ただのシャルマーニュであったのなら、あなたは私の妻になることを承諾してくれるのだろうか…?」
「え……?」
王太子ではない、ただのシャルマーニュとして、目の前の青年を愛しているのかどうか?
そんなこと、今まで考えてみたこともなかった。
「私は、あなたが王妃に相応しいからではなく、あなた自身を愛している。自分以外の人のために身を粉にして働き、命をかけ、悩み、傷付き、それでも笑顔でまた人のために料理を作り、笑顔になる、そんなあなたが、私は悲しくて、愛しくて堪らない。」
「シャルマーニュ王太子殿下…。」
「どうか私に、あなたを助け、支えさせてくれないだろうか?」
見ていてくれたのだ。そして、認めてくれたのだ、私を。
そう感じた瞬間、私の目から涙が溢れた。
「カミーユ…。」
シャルマーニュ王太子の温かな胸に抱き締められながら、私は泣いた。涙が止まらなかった。
無力感に打ちのめされていた心を、シャルマーニュ王太子が、優しく慰めてくれた。
よく頑張っていると、認めてくれた。
そう、私は頑張っていた。力及ばずとも、必死に頑張っていた。
思った結果は、すぐには出せなかったとしても、頑張ったことは無駄ではないと、それを愛しいと、認めてくれた。褒めて貰えた。
張り詰めていた心が、一気に緩んだ。
そうだ、私は、誰かにこうして褒めて、認めて貰いたかったんだと、よくやってるね、と言って欲しかったんだと分かった。
毎日必死に、ただ必死に頑張って、先も見えない、結果も見えない、そんな状態でも、
私の頑張りに、意味がないことなんてないと、誰かにそう言って欲しかった。
そして、私を見て、一番欲しかったその言葉をくれたのが、シャルマーニュ王太子であったという事実。
ずっと心に蓋をして、見ないようにしていた相手。
好きだったのに、小説の中でシルヴィを愛するキャラだから、絶対私を好きにはなってくれないはずの人だから、手に入らない、人だから。
私はシャルマーニュ王太子が何を考えていて、何が好きで、どんな風になりたいと思っている人なのか、そんなことにまったく興味を持たないようにして過ごしていた。
今目の前にいるシャルマーニュ王太子は、小説に出てくるキャラではなく、自分で物を考え、自分で動く、血の通った一人の人ではないのだろうか?
そんな、ごく当たり前のことに、私は今ようやく気付くことができたのだった。
「私、シャルマーニュ王太子殿下のこと、何も知りません…。」
好きな食べ物、好きな色、好きな遊びは?
ショコラが好きで、青が好きで、剣術が得意で、頭が良くて、顔が良くて、責任感があって、冷酷なところもあって、優しく強く可愛く淑やかな、国を思う少女を愛した小説の中のシャルマーニュ王太子。
同じところもあるかもしれない、けれど全部が同じではない。
小説で得ていた知識は、本当に目の前のシャルマーニュ王太子を見て感じたものだったのか。
見ていたようで、きっと何一つきちんと見てはいなかった。
わざと、向き合わないように気を付けていた。
「ならば、これから知って貰えれば良い。」
シャルマーニュ王太子の唇が、私の手の甲に恭しく落とされた。
尊敬のキス。
シャルマーニュ王太子は、これ以上なく、私のことを尊重してくれていた。
敬愛には、敬愛を。
ならば私も、シャルマーニュ王太子を尊重しなくてはフェアではないだろう。
「殿下のことをもっと、教えていただけたら嬉しいです…。」
私の返事に、この上なく嬉しそうに笑ったシャルマーニュ王太子の笑顔は、天使でさえも見惚れてしまうのではないだろうかと思うほどに、たまらないほど魅力的だった。




