57、王太子とワインを飲みました。
カレーズの港では、海の見えるアパルトマンを一棟丸ごと借りて、そこを帰還した救援隊の一時隔離場所とした。
全ての部屋に海に面した窓があるので、居心地は悪くない。
地獄のようなリ・コーズ王国での救援活動で疲れ切った参加者達にも、良い休養になって貰えたら良いと思う。
皆、疲れていた。
私はなるべく他の人に接触しないように、頼んで買って貰いドアの外に置いて貰う、という方法で、参加者達への食材を手に入れると、厨房を借りて、皆の分の食事を作ることに精を出した。
救援活動をしている間に振る舞われたロンドルの食事は、ほとんどがフランセイズの皆の口には合わなかったのだ。
こんなに近い国なのに、味付けの根本が何か違かった。
沢山の病人と戦うのも大変だったけれど、食事が口に合わないのも辛かった。
空き時間に料理をしてあげたいと何度も思ったけれど、料理に費やす時間があるなら、一人でも多くの患者の治療をしてあげたかった。
そんなわけで、カレーズに帰った私は、ようやく思い切り料理を作ることができたのだった。
食材を前に、献立を考えている時だけは、諸々の悩みを一瞬忘れることができた。
温かいシチュー、ムニエル、貝の酒蒸し、ずっと作ってみたかった、さつま揚げも。
私は鱈をすり鉢でひたすら練り、砂糖や塩や小麦粉、酒、ショウガを入れ、更に擂った。
ゴリゴリゴリという音に、ひたすら美味しいさつま揚げを作ることだけを考えて、無心になる。
食事は各自隔離のため、各部屋で取っているのだけど、食事を運んだ時の皆の嬉しそうな顔と、食器を下げる時の美味しかったという言葉が、何より嬉しかった。
救援隊の中で、浄化の力を使える参加者は、日に一回全ての参加者をそれぞれ浄化した。
今回参加者の中に感染者が出なかったのも、浄化の魔法をこまめに全員が受け、各自自衛に努めたところも大きい。
この時点でもはや二次感染の危険は相当なくなっていると考えて良かったけれど、救援隊が菌を運んでしまってはもとも子もないので、しばらくは慎重な行動を続けることにした。
夜は静かな時間だった。
食事の片付けも終わり、窓から見える夜の海を見ていると、昼間に見ないようにしていた、様々な思いが頭に押し寄せてきた。
そのほとんどは、反省だった。
後悔はしていない。けれど、思い違いはあった。
前世の記憶があるから、異世界だから、私はきっともっと上手くやれると、過信していた。
現実はそう甘くはなかった。
そう、これは物語ではなく、今の私にとっては、紛れもない現実なのだ。
今も海の向こうのリ・コーズ王国では、毎日何百という人がコレラで命を落としている。
けれど再びあの地に行ったところで、助けられる人はほんのわずかで、広がってしまった感染を止める術はないに等しい。
私の力で出来ることなど、疫病の脅威の前にはあまりにも少なかった。
「眠れないのか?」
コンコンと、ノックの音と一緒に、扉の外からシャルマーニュ王太子の声が聞こえた。
「入っても?」
了承を求められ、私は慌てて扉を開けた。
「どうぞ、シャルマーニュ王太子殿下。」
「ありがとう。」
扉の先には、ワインとワイングラスを持ったシャルマーニュ王太子殿下が立っていた。
「眠れないなら、一緒にどうかな?」
「いただきます。」
悪戯っぽく笑う王太子に、私の悩み過ぎていた気持ちも、少し和らいだ。
厨房から、レーズンとチーズとクラッカーを拝借して、テーブルに並べた。
「献杯。」
グラスを軽く持ち上げ、私とシャルマーニュ王太子は同時にワインに口を付けた。
「美味しい。」
久しぶりに飲むワインの味は、喉に沁み渡った。
「ワインは久しぶりですわ。」
現場でも船でも、お酒を飲む余裕さえ忘れていたな、と改めて思う。
「消毒用アルコールなら、毎日手がたっぷり飲んでいたがな。」
シャルマーニュ王太子の冗談に、自然と笑いが出る。
彼のおかげで、さっきまではあんなに暗く見えた夜の海でさえ、まるで違った景色に見えた。
「でも、消毒し過ぎるとこんなに指が荒れるなんて知りませんでした。改良が必要かもしれないですね。」
「そうだな…、私は良いが、あなたは大丈夫か?」
シャルマーニュ王太子は、私の手を取った。
「恥ずかしいです…。」
私の手は、毎日繰り返していたアルコール消毒と、その後の日々の炊事で、すっかりカサカサに荒れていた。とても貴族令嬢の手肌には見えない。
「いや……。」
シャルマーニュ王太子は、そんなカサついた私の手をじっくりと見ていた。
「私は、こんなにも美しい手を見たことがない。」
「え?いえいえそんな、こんなに荒れてしまってボロボロですのに…。」
シャルマーニュ王太子はもしかして目が悪いのだろうかと、失礼なことを考えてしまったけれど、そうではなかった。
「これはあなたが、必死に人の命を助け、そして今もまた、我々を喜ばせるために、美味しい料理を作ろうと頑張ってくれている証だ。私は、こんなにも美しい人をあなたの他に知らないのだ。」
「そんな……。」
頑張っているのは、皆もシルヴィも同じだと、そう言おうとしたけれど、王太子の眼差しに、私は言葉が出なくなってしまった。
頬が熱い。胸が苦しい。
握られた手が、どうしようもなく恥ずかしいのに、振りほどくこともできず。
私は、シャルマーニュ王太子の真剣な眼差しから、視線を外すことすらできないでいたのだった。




