55、ロンドルは酷い状態でした。
ティムズ川を遡っていくにつれ、汚染はやや軽減されるだろうと期待したけれど、ロンドルの中心地までたどり着いても、やはり川は汚いままだった。
ロンドルの中心地で、ティムズ川は約半分くらいの距離である。おそらくもっと上流へ行かなければ、綺麗な水を見ることはできないだろう。
半日をかけ、ロンドルの中心地に着いた私達は、最初にリ・コーズ王国の国王である、エゼルバルド四世の謁見を許された。
こんなにも破格の扱いを受けるのは、やはりこちらにシャルマーニュ王太子と、ブルゴーニュ公爵の大使もいたおかげだろう。
エゼルバルド国王は高齢のため、謁見は形式的なものだった。
わざわざ救援隊に来てくれたことに感謝の意を伝えてくれると、ロンドル市内にある修道院を活動の拠点として貸して貰えることとなった。
実際にリ・コーズ王国の政治を行っているのは、王太子のエゼルウルフ第一王子であった。
そのため、私達はロンドルの詳しい状況を把握するために、次にエゼルウルフ王子と話しをさせて貰えることとなった。
そして私は、ロンドルの現状を聞いて、自分の考えがいかに甘かったかを思い知ったのだった。
ロンドルの市街地は、プリエよりもずっと整備がされていた。
私がずっとフランセイズで必要だと唱えていた、下水道の整備が整っていたのだ。
なんと、かなりの家庭に水洗トイレまで備えられていた。
当然ロンドルの街は、以前のプリエのように、汚物が道に投げ捨てられているような不衛生なものではなかった。
では、なぜ、プリエではまだ大流行していないコレラが、今このロンドルの街で猛威を奮っているのか。
答えはティムズ川と水洗トイレにあった。
水洗トイレが普及し、ティムズ川に直接流れ込む汚物の量は飛躍的に増え、川はみるみるうちに汚染された。
そこにインディカから持ち込まれたコレラ菌が混じり、近隣住民に感染し、コレラ菌が爆発的に増え、感染者を増やしていったのだ。
リ・コーズ王国の敗因は、きちんとした下水処理場を作る前に、水洗トイレを普及させてしまったことだろう。
ただ上下水道を整備すれば、街の衛生状態は改善すると短絡的に考えていたけれど、順番を間違えると、かえって悪い結果になるということだった。
このロンドルの失敗は、今後のプリエの街作りの良い参考にはなると思う。
けれどその前に、まずこのロンドルの街からいかにコレラ菌を追い出すかとなると、それにはかなりの時間が必要に思えた。
「エゼルウルフ第一王子様、この街の疫病は、あの川に流れ込む汚物を浄化しなくては、解決はいたしません。」
「川が汚いのはその通りだが、疫病は川に近づいていない者もかかっている。それは関係がないだろう。」
「恐らく、汚染されたティムズ川の水が、飲み水である井戸水に混入している地区があるはずです。疫病はその井戸の周りから発生しているのでは?」
「疫病が感染するのは、感染者の呼気からだ。感染が集中するのは、患者が周りの人に移しているからだろう。」
エゼルウルフ第一王子への諫言は、失敗に終わった。
けれど、ひとまず街の患者達を治療しても良い許可は得たので、私達は拠点に許された修道院に移動して、今後の対策を練ることにした。
ティムズ川の汚染を今すぐに改善するのは難しい。
であれば、まずはコレラにかかった人がいる地域では、周りの人に同じ水を飲まないように指導するしかなかった。
まずは街に行き、コレラで苦しんでいる人は保護し、修道院に連れて行って治療をする。
同時にコレラ患者と周りの人の飲み水を確認して、同じ水を使わないように指導する。
更に、こちらで用意した清浄な水を、健康な人にも配る。
まずは拠点としたセント・メアリー修道院の周りの患者達から治療を開始しようとしたけれど、その作業は想像以上に難しいものだった。
近隣でコレラを発症している患者は、基本的にもはや移動が困難な状態になっていたので、在宅での治療がメインになった。
私は配分を考え、救援隊をいくつかのチームに分け、それぞれ1チームで1人~5人の患者を診てもらうことにした。
けれど、コレラ患者のあまりの数の多さは、私の心を打ちのめすに充分なものだった。
一人を治療しているうちに、100人、1000人と、手の届かないところで死んでいく。
コレラはまさに、見えない恐怖だった。
どうして私は、半端な知識だけを頼りに、この凶悪な伝染病に立ち向かえるなどと思ったのだろうか?
救えない多くの命を前に、私の心は無力感にうちひしがれた。
日々を治療に費やしながら、コレラの脅威を前に、あまりにも無力であった、私達救援隊を、セント・メアリー修道院の修道女は優しくもてなしてくれていた。
特にデイジー修道女は、疲れて帰る私達をいつも笑顔で迎えてくれていた。
彼女の笑顔を見ると、この頑張りが報われるようにも感じた。
それが、更なる悲劇に繋がるとは、その時の私はまだ予想できていなかったのだった。




