51、カレーズに着きました。
カレーズの港町は、プリエから馬車で、約9時間ほどの距離にある。
朝の8時に出発し、途中休憩を挟み、着いたのは、夜18時を回っていた。
白い壁に赤い屋根の、可愛い家が並ぶ市街地には、中心まで運河が入っていて、そのまま船で海にまで出られる構造になっていた。
海の近くには海岸もあり、夏に来たらさぞかし楽しいだろうと思われた。
カレーズの港町は、リ・コーズ王国への玄関口として、古くから栄えていた町である。
けれどそのせいで、百年戦争の時には、カレーズの町はリ・コーズ軍に包囲され、市民は飢えに苦しみ、リ・コーズ王国への降伏を余儀なくされた。
その後二百年あまり、カレーズはずっとリ・コーズ王国の支配下にあり、フランセイズに返還される前には一度エスパーニャに占領される、等の激動の歴史を歩んでいる。
そのためカレーズの市民達は皆、有事にもすぐに対応できる心構えを持っていた。
今回、対岸のリ・コーズ王国でコレラが発生しているのに、交流が頻繁なはずのカレーズにまだコレラ患者が発生していないのは、このカレーズ市民特有の対応力によるものではないかと感じた。
後は、リ・コーズ王国との間を隔てている、ドーヴァ海峡にも理由があるだろうと感じる。
わずか四十キロメートルにも満たないドーヴァ海峡は、頑張れば泳いで渡れないこともない距離である。
ただ、潮流が早い。
そこだけが狭くなっているため、北の北海と南の大西洋の水が激しく流れ込み、昔から、泳いで渡ろうと考える猛者や、泳いで密入国しようとする人々を苦しめていた。
けれども、その速い潮の流れが、同時にコレラからカレーズの人々を守ったのだろうと、私は感じていた。
ゆったりとしたセイネ川の流れとは、まったく似ても似つかわない、荒々しい海の飛沫。
夕闇にも白く光る涙の泡は、この世界での初めての海を見る私には、とても新鮮だった。
「これが、海!」
カレーズに着いてすぐ、私はシャルマーニュ王太子と、シルヴィと一緒に海を見に来ていた。
海は市街地からすぐ前にあり、夕飯前に散歩するのにちょうど良かった。
「すごい、すごい広いですねっ…!」
私と同じく、生まれて初めて海を見るシルヴィは、その広さに感動していた。
陽も落ちた夜の海は、どこまでも暗く、広く、吸い込まれそうに恐ろしかった。
「潮の匂いがするわ。」
潮風が、私とシルヴィの髪を揺らす。私は心細さから、シルヴィの手を繋いだ。
「風が強いですね。」
「潮風だわ。」
繰り返し寄せる波の音が、暗闇の中、やけに大きく聞こえていた。
「向こうに灯りが見えます。あれがリ・コーズ王国でしょうか?」
「たぶんそうだわ。船のための灯りかしら?」
ザザン、ザザン、と寄せる波の音を聞きながら、私とシルヴィはポツポツと話した。
「私、実家にいた時には、まさか生きているうちに海を見に来られるなんて思ってもいませんでした…。」
夜の静かな海を眺めながら、シルヴィは少しずつ自分のことを話し始めた。
「私の家、アルトー子爵は、貴族とは名ばかりの、貧しい家でした…。」
暗い夜の海は、今までの自分を思い出させる、不思議な力があるようだった。
「フランセイズの南にある、アルトー領は本当に小さくて、私は羊を飼い、使用人も少なく、私はいつも宮殿や、外の世界に憧れていました。」
「そうだったの…。」
私は静かに相槌を打ちながら、シルヴィの話を聞いていた。
「王都ってどんなところだろう?きっと素敵なところに違いないって、だから、神様からのお告げがあり、王都に行けることになった時本当に嬉しかったんです。」
「ええ…。」
「でも、仲良しの侍女のマリーと、いざ王都に来たら、街は、想像を絶する不潔さで…、私、本当にショックで…。」
「ああ…、そうでしょうね…。」
シルヴィが帝都プリエに来た時の街の不潔さは、本当に言葉にできないほどだった。
「あまりの悪臭と不潔さに、侍女のマリーは体調を崩して倒れてしまい、でも誰に話しても、プリエの街は昔からこうだから、慣れるしかないと言われて、私本当にがっかりして、落ち込んでいたんです…。」
シルヴィは私の手を握り直して、話し続けた。
「私、もう諦めるしかないかと思っていたのですが、侍女が死にそうで、本当にどうしようかと思っていたら、カミーユ様が、突然街の清掃に乗り出してくださったんです!」
シルヴィは私の手を両手で握ると、本当に嬉しそうに言った。
「夢かと、思いました。街がきれいになったおかげでマリーは体調が戻り、元気になることができました。」
シルヴィが最初から私に好意を抱いてくれたのには、そんな理由があったのかと、私は初めて聞く話にビックリしていた。
「カミーユ様は、マリーの命の恩人です。そしてその後、カミーユ様から、疫病を防止するために活動されていることを手紙で教えていただき、私、カミーユ様のためにできることは何でもしようと、そう心に決めたんです。」
「シルヴィ…。」
月明かりに浮かぶシルヴィのプラチナブロンドは、本当に綺麗だった。
夜の海を背景に語られた、シルヴィのカミーユへの打ち明け話を、シャルマーニュ王太子も後ろから、無言で見守っていたのだった。




