38、パンデミックについて話しました。
「カミーユ、もう大丈夫なのか?」
部屋に入った私に気付いて、シャルマーニュ王太子はすぐに話しかけてくれた。
「はい、おかげさまですっかり元気になりました。本当にありがとうございます。」
本当にあれだけ死にかけたのに、今こうして元気に動けるようになったのは、全てシャルマーニュ王太子とシルヴィのおかげだった。
「回復したのは良かった。けれどまだ無理はするな。そもそもカミーユは、今まで無理をし過ぎていたのだ。」
「ご心配お掛けしていて、申し訳ありません。」
会話をしながら、私は5日前からシャルマーニュ王太子が、私のことを『あなた』ではなく『カミーユ』と名前で呼び始めていることに気付いていた。
私を見るシャルマーニュ王太子の視線にも、以前よりも親しげな色が増えているような気がする。
シャルマーニュ王太子は、私のことをいったいどう思っているのだろうか、と思う。
婚約破棄を拒絶したのも、私からのショコラを欲しがったのも、口移しで水を飲ませてくれたのも、もしもそういう意味なのなら…、と胸が期待に疼いたけれど、今はそれを話し合う時ではなかった。
「シャルマーニュ王太子殿下、折り入ってお話があります。」
私は執務室の机に世界地図を広げると、このコレラのパンデミック疑惑についての説明を始めることにした。
「ここ、インディカ王国が、今回のコレラの発現地ではないかと、私は考えています。」
「コレラと言うのが、今回カミーユが掛かった病の名前で良いのだな?」
「はい。コレラは、コレラ菌による感染力と致死率の非常に高い伝染病です。コレラ菌の経口感染により、爆発的に感染します。」
「と言うと?」
「今回のように、コレラ患者の近くで、飛沫や嘔吐物が口内に侵入するか、例えば感染者の糞尿が流された川の水を飲むなどで、大量の人が同時期に罹患することが考えられます。」
「ほう。」
私の説明を、シャルマーニュ王太子も、部屋にいたシルヴィも一緒に聞き入ってくれていた。
「インディカ王国には、ガンガー川と呼ばれる大きな川があり、人々は生活用水を全てこの川に頼り、同時に、生活排水を全てこの川に流しています。インディカ王国でコレラが爆発的に流行していると思われる理由は、この川の利用法にあります。」
「そういうことか…。」
私の言わんとする内容に、シャルマーニュ王太子の顔色が青冷めた。
「つまり、わがフランセイズ王国における、セイネ川の利用法と同じ…、わがフランセイズ王国でも、コレラとやらが爆発的に流行する土台が整っているということなのだな。」
「その通りです。我がフランセイズ王国でも、セイネ川の利用法を即刻改めなければ、このような伝染病が瞬く間に広がり、国民の大多数が死亡する、地獄のような有り様になるでしょう。」
「うむ…。」
以前私が提言した、上下水道の整備は、簡単にできるものではないと分かっていた。
それでも、出来る限り迅速にやらなくてはならない。
それができなくては、あり得ない数の国民を見殺しにするのと同じだった。
「インディカ王国は、紅茶や香辛料などを、様々な国と取引をしています。今回この病気も、取引と一緒に広まっていると考えた方が良いでしょう。」
「なるほど。」
「つまり、ファールス王国、エリニキ王国、そして、リ・コーズ王国などに、すでにコレラ菌は渡っていると、私は予想しています。」
「ああ…。」
フランセイズ王国を囲む形で、周辺国にどんどん感染が広がっているとすれば、これは本当に恐ろしいことだった。
「ファールス、エリニキ、インディカと、我が国は幸い直接の貿易はしていません。けれど、地続きの国であり、人は流れています。まずは、現時点で我が国に入る他国の人には、全員検疫をして、数日間は国境に用意した宿に留めるべきです。」
「うむ。」
大がかりな施策に、シャルマーニュ王太子の顔も更に真剣さが増す。
「次に、リ・コーズ王国、ここはすでにコレラの流行が確認され、更に我が国と密接なやり取りがあります。」
「そうだな。」
リ・コーズ王国は、海を隔てた島にある国ではあったけれど、フランセイズ王国とは非常に関わりが深かった。
以前は百年戦争と呼ばれる程の戦を繰り返し、何度も領土を奪われたこともある。
今は戦はせず、貿易相手として関わりながらも、決して気の抜けない相手でもあった。
「リ・コーズ王国とは、民間人の移動を完全に禁止します。そして、コレラ菌への対処を伝えるため、善意で医師団を派遣し、リ・コーズ王国内のコレラ流行の悪化を食い止めます。」
「何?」
私の提案に、シャルマーニュ王太子は眉を寄せた。
リ・コーズ王国は、仇敵と言っても差し支えない相手である。
戦をせずとも、病気で勝手に死んでくれるなら、ありがたいとまで思える相手だった。
「疫病対策は、人道的見地で行うべきです。今ここでリ・コーズ王国を助ければ、必ずそれは後にフランセイズ王国に益をもたらします。」
「うーん…。」
私の言葉に、シャルマーニュ王太子はしばらく考え込んだ。
「カミーユの言葉は分かった。ひとまず持ち帰り、国王陛下にお伺いさせて貰おう。」
「ありがとうございます。」
その場で拒絶されなかったことに、私はひとまず安心して、王太子にお礼を言った。
言うだけのことは伝えた。後は、国王陛下がどう判断されるかにかかったのだった。




