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35、魂が離れました。

 

 ずっと、3年後に流行る予定の黒死病のことばかりを考えていたけれど、そういえばコレラの流行も、小規模ながら各地で頻発していたと、私は今さらながらに思い出した。


 悪役令嬢であったカミーユは、どこかでコレラが発生したと聞いても、完全に他人事だと思っていたので、小説にそのような文字があっても、記憶に残っていなかったのだろう。


 どうしてもう少し早くに思い出さなかったのかと悔やまれるけど、きっと思い出していても、私の対応は変わらなかったかもしれなかった。


 他国から持ち込まれる疫病を、完全に予知して、完全に封鎖するのは難しい。


 流行が起こる前に封鎖を実施すれば、それは外交問題になるからだ。

 そのため、ある程度後手に回ってしまうのは致し方なかった。


 本当なら、陣頭指揮を取ってこのコレラ対策にも力を入れたかったけれど、まさかこの初期段階で感染してしまうとは思わなかった。


 脱水症状で朦朧とする中、私は今までのことを考えていた。


 感染症対策は、まだ全てが中途半端だった。


 公衆浴場は建設途中だし、プリエの都市改造は、まだ手を付けられてさえいない。


 浄水場もまだ建設計画止まりだし、マスク工場も、ショコラ工場も、作り始めたばかりだ。


 上下水道の整備など、夢のまた夢だった。


 できれば、あと2年掛けて全てを軌道に乗せるつもりだった。


 あとは運営すれば良いだけにして、私が退場した後は、全てをシルヴィに引き継いで貰おうと思っていた。


 シルヴィは頭が良いし、何より心が優しい。まさに聖女と呼ぶのに相応しい女性だった。


 今、何もかもやりかけのまま、ここで私が死んでしまったら、シルヴィに掛ける負担はものすごく大きくなってしまうと思う。


 でも、と思う。

 どんなに大変でも、きっとシルヴィなら、私の志を引き継いでくれるはず、という確信があった。


 大変な思いをさせてしまうのは申し訳ないと思う。

 でも、種は蒔いた。

 警鐘も鳴らした。


 この二つだけで、きっとシルヴィは、この後に起こる黒死病大流行の悪夢から、人々を救ってくれるに違いない、と。


 そう考えれば、今ここで私が死んでも、もうこの世界は大丈夫なのかもしれなかった。


 今私がコレラで死ねば、魔女として火刑にされるよりも、断然オルレアン公爵家への風当たりは弱い。

 オルレアン家に、魔女を排出した家系などという汚名を着せなくて済む。


 親より先に逝く不孝は、大切に育ててくれた両親に本当に申し訳ないとは思うけれど、火刑に処せられて死ぬよりかは、まだ親孝行であるとも思えるかもしれなかった。


 それならこれで、万々歳だ。


 私の死んだ後の世界で、シャルマーニュ王太子は、シルヴィと結婚して、シルヴィは黒死病から人々を守り、世界は平和で、豊かに栄える。


 非の打ち所のないハッピーエンドだ。


 私は火刑に処せられて死んだ魔女ではなく、不幸にも流行病で死んだ令嬢として、まともに墓に入り、両親から花を手向けて貰える。


 なんて幸せな、結末。


 朦朧とした頭が考えた幸せな未来に、私は小さく微笑んだ。


 もはや脱水が進み、私の身体からは何も出なくなっていた。


 ぼんやりと、寝ている私が見えた。


 手足はカサカサで、目は落ち窪み、ひどい有り様だった。


 私はいつの間にか天井から、寝ている私を見ていた。


 ああ、ついに魂が身体から離れてしまったのか、と、私は理解した。


 このまま死んで、そして終わって。


 シャルマーニュ王太子とも…。


 そこまで考えた時、私の頬を涙が伝った。


 極度の脱水で、もう涙なんて出ないはずなのに、無意識のうちに、瞳が濡れていた。


 意味が分からなかった。


 別にもう、好きでも何でもない人のはずだった。

 確かに彼の妃になるための教育をされて育ったけれど、それは愛ではないはずだった。


 シルヴィを愛すると分かっている人に、いつまでも未練を残してる暇もなかった。


 将来、私に火刑の判決をくだすであろう、恐ろしい人のはずだった。


 それでも、もしかして、と思う。


 もしも私が今こうしてここで死んだなら、シャルマーニュ王太子は、私のために泣いてくれるだろうか?と。


 ショコラをあげる約束は、果たすことができなかった。


 そもそも、どうして私なんかのショコラを欲しがったのか、聞くこともできなかった。


 それでも、と思う。


 もしも私なんかのために、王太子殿下が、シャルマーニュ様が、一粒の涙でも流してくれることがあったなら、


 私の全ては報われるだろう、と。


 生まれてきて良かったと、きっと私は思えるだろう。


 ベッドの上の、死にかけの私を見ながら、私の魂は、天に昇る準備を始めていた。




 

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