15、ペニシリンができました。
連日の睡眠不足と過労からか、私は数日前から咽に違和感を感じていた。
そして、昨夜の徹夜が良くなかったのか、朝になり、私はついに高熱を出して倒れてしまった。
熱に浮かされた頭で、私が最初に考えたのは、これで、私の身体で抗生物質の治験ができる、ということだった。
私は早速バジル博士を呼ぶと、青カビの培養液を濾過した液を見せて貰った。
たぶんまだ、濾過しただけでは不十分だとは分かっていた。
青カビの濾過した培養液だけでは、まだ不純物が多い。
どうすれば良いだろう…。
ぼんやりとした頭で考えた時、ふと、突然、何かの漫画で見た映像が頭に浮かんできた。
そう…、油…、油で分離させて、それから、炭…炭に吸着させて…、精製水と、酢と、重曹と…。
そう、前世で読んだ漫画の中に、ペニシリンを自分で正しく作る描写が載っていたものが、確かにあった。
私は熱で朦朧とした意識の中、その方法をバジル博士に伝えた。
そして数時間後、バジル博士は私の言う通りに見事に純粋に近いペニシリンの抽出に成功したのだった。
きちんと抽出されたペニシリンを二又針で皮下接種して貰えた私は、翌日にはすっかり熱も下がり、再び元気に起き上がれるようになった。
ペニシリンの精製に成功したなら、次は長期保存と大量生産が必要になってくる。
バジル博士には引き続き研究をお願いしようと思う。
何故か、凍結、乾燥、粉末、というキーワードが頭に浮かんだので、博士には伝えておいた。
バジル博士は天才なので、私の伝えた片言のキーワードだけでも、早い段階で実用化できるペニシリンを開発できそうに思えた。
実際に、抗生物質がどの程度、黒死病や、コレラといった疫病に効果があるのかは期待できないけれど、それでもかなりの数の病気はこれで回復するはずだった。
後は、なるべく耐性菌を作らないように、ペニシリンの乱用は避けないといけない。
そのためにも、やはり聖堂の持つ、回復魔法の活用も平行して行うべきだった。
翌日も安静にしながら、ペニシリンの皮下接種を受け、副作用などの様子を、私は自分の体で確かめた。
昨日は熱で朦朧としていたため、よく気がつかなかったけれど、二又針を使った皮下接種は、かなり痛かった。
この世界にまだ注射器の存在がないのは致命的だった。
「注射器も開発しないと……。」
注射器の開発も今後の課題として、作れそうな職人を見繕っておかなくてはと思う。
全ては体調を万全にしてから取りかかろうと思った。
1日きちんと身体を休めて、そしてその翌日は、約束していた聖堂への訪問の日だった。
病み上がりの身体には、まだ少しふらつきは残っていたものの、それ以外には特に問題はなかった。
私はふらつく身体を叱咤しながら、サン・ソーヴル大聖堂に行く身支度を整えたのだった。
しばらくすると、約束の時間に間に合うように、シャルマーニュ王太子殿下がわざわざ馬車で迎えに来てくれた。
てっきり現地集合だと思っていたのに、わざわざエスコートして貰えるなんて、とてもありがたかった。
「おはよう、カミーユ令嬢。」
「わざわざのお運び、本当にありがとうございます、シャルマーニュ王太子殿下。」
私は、先に乗っていたシャルマーニュ王太子に手を引かれながら、王室御用達の馬車へと乗り込んだ。
「あっ……!」
けれど座ろうとした瞬間に、ぐらり、と足元がふらついた。
「危ない!」
咄嗟に、シャルマーニュ王太子が態勢の崩れた私を抱き止めてくれた。
「っ………!」
シャルマーニュ王太子の広い胸に抱き締められ、私の心拍数が一気に上がった。
「大丈夫か?」
シャルマーニュ王太子は、私のことを抱き締めたまま、様子を気遣ってくれた。
「だ、大丈夫です、ありがとうございますっ…!」
私は慌てて、シャルマーニュ王太子の腕の中から抜け出すと、向かいの席に腰を落ち着けた。
「顔色が悪いな、無理をしているのではないか?」
座席に座った私に、王太子は心配そうに顔色を伺ってきた。
「少し寝不足が続いていましたが、でも、昨日はしっかり寝ましたので。」
寝たというより、体調不良で安静にしていただけなのだけれど、そこを正直に言うのは憚られた。
「そうか…。」
何を聞いても答えないと悟られたのか、王太子はそこで一度会話を切ると、馬車を出発させた。
馬車が動き、座席が揺れ始めると、大丈夫だと思っていたものの、少しまた気分が悪くなり始めてきた。
「………。」
無言で青ざめてきた私を見て、シャルマーニュ王太子が、馭者に、走行をなるべく優しくするように指示を出す。
シャルマーニュ王太子の気遣いが、申し訳なくもありがたかった。
「体調が優れないのだな。」
「申し訳ありません、一昨日から少し…。」
これ以上隠すこともできず、私は正直に言った。
「…仕方ない、聖堂で回復の魔法をお願いすることにしよう。」
「はい…。」
シャルマーニュ王太子の提案に、私は素直に頷いた。
「本当は無理をしないのが一番なのだが…。」
「……申し訳ありません。」
口先で謝りながらも、私は本当に無理せずゆっくりしようという気持ちは微塵もなかった。
私には時間がない。
限られた時間で、できるだけ多くのことをこなさなくてはいけない。
そんな思いで頭がいっぱいだった。
そんな私を、シャルマーニュ王太子が不満に感じていたなんて、その時の私は、まだ何も気付いていなかったのだった。




