12、上水道が必要です。
マルセイル伯爵は、オリーブ油ではなく、安価なパーム油と、海藻ではなく木の灰を使って、近日中に安価で質の良い石鹸を作ってくれると約束してくれた。
どうやら、私からの話を持ち込まれる前に、すでに予想をして準備を進めていたらしい。
恐ろしく頭の切れる、頼もしい伯爵だった。
マルセイル伯爵に任せておけば、石鹸の件は心配しなくても大丈夫そうだった。
餅は餅屋、やはり石鹸のことは、石鹸の専門家に頼んで正解だったと思う。
このまま民間にも石鹸が普及すれば、衛生状態は劇的に改善するはずだった。
ここで次に取り組みたいのが、上下水道の整備だった。
フランセイズ王国の帝都プリエの上下水事情も、端的に言って最悪だった。
フランセイズ王国には、全域に渡ってセイネ川という名前の一級河川が流れている。
プリエの市民は、全ての下水をセイネ川へそのまま捨て、更に生活用水も全てセイネ川の水を汲み、飲み水もまた、汚れたセイネ川の水をそのまま飲んでいたのだ。
信じがたい不衛生である。
前世の感覚で考えれば、まずあり得ない。
病気にならない方が不思議なくらいの環境だった。
しかし、今までであれば百歩譲って、生活内に化学物質がなく、排水にも有機質のものしか流していなかったので、ギリギリ大丈夫な部分もあったのかもしれないけれど、これからは違った。
これから、各家庭に石鹸が行き渡ったら、排水の中に石鹸の泡も混ざってくるようになる予定だった。
石鹸水も混ざった汚水を含んだ川の水を飲み水にしたり、それで食事を作ったりしたら、恐らく、高い確率で、嘔吐や下痢の症状が出るかもしれない。
つまり、石鹸を普及させる上で、上下水道の整備は必須であるのだけれど、そうなると、大規模な工事が必要になる。
確実に国家級の大事業だった。
ここから、事はついに王太子を通じて、国の助けが必要になる段階へと入ったのだった。
私はあらかじめ書面で王太子との約束を取り付けると、王太子に会うために、王太子の住むトゥリノン宮殿へと足を運んだ。
トゥリノン宮殿はプティ・トゥリノンとも呼ばれ、ヴェルシイス宮殿の離れにあり、今は王妃と王太子の憩いの場ともなっていた。
王太子は、気に入った者しか、このプティ・トゥリノン宮には招き入れなかった。
小説『アンフィニ・アフェクシオン』の中には、聖女シルヴィはほとんどこのプティ・トゥリノンに入り浸り、王太子と様々な愛を育んでいった描写がたくさんあった。
けれど、婚約者であった、私、カミーユ・オルレアンと会うのは、いつも表向きのヴェルシイス宮殿のみであったのを思い出す。
そんなプティ・トゥリノン宮殿に、会合の初回から呼ばれるというのは、なんだか不思議な気がした。
けれど、きっと良い兆しだろうと考え、私は侍女のアンナに資料を持って貰い、同行して貰うことにした。
今回の会合には、聖女シルヴィ令嬢の同席もお願いしている。
いよいよ、王太子と聖女、王国と聖堂の力も借りての大事業を始めるつもりだった。
集まったのは、プティ・トゥリノン宮殿に作られたサロンだった。
「本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございます。」
私は集まってくれたシャルマーニュ王太子と、聖女シルヴィ子爵令嬢の前で、そう挨拶をした。
「こちらこそ、ようやくこうしてゆっくり話ができて嬉しい。これからよろしく頼む。」
「こんな大事な席に、最初から同席させていただけるなんて、本当に光栄です!」
シャルマーニュ王太子も、聖女シルヴィ令嬢も、最初から私に対して好意的だ。
小説に書かれていた態度とまったく違うのには戸惑いもあるけれど、今後のためにはありがたかった。
「この度は、私の計画している、疫病防止対策にご協力、本当にありがとうございます。」
「我々としても、そなたに頼っていだけるのは、とても嬉しい。」
王太子は笑顔だった。
けれど、この後の話を聞いても果たして笑顔を続けてくれるだろうか、と不安がある。
それだけ、私の計画も、この街に必要なことも、大規模な工事が必要なものだった。
「王室と、聖堂と、そして国民の力を借りなければできない、大事業になります。」
「ほう。」
「まあ……。」
私の前置きに、王太子と聖女の顔に、興味と緊張が走る。
「上下水道を整備し、浄水場を設置します。」
「え?」
「浄水場?」
「同時に、街の区画を整理し、道幅を広げ、雑多な建物とならず者を撤去します。」
「ええ!?」
「それはっ…!?」
「法が必要です。まずは、ならず者が集まる建物は取り壊しても良い、という。」
「ほう…。」
「次に、道の脇に住んでいる家に立ち退きをお願いし、家を壊し、道幅を広げ、街に日差しを取り戻します。」
「それは…。」
「同時に、道の下と端に下水通路を作り、各家に上水道も作ります。」
「…………。」
「………。」
私の壮大過ぎる計画に、王太子も聖女も無言になった。
まるで不可能に見える、大規模すぎる計画。
けれどこれができなければ、この街から疫病が発生し、この国を、引いては世界を蝕む恐ろしい感染症になる。
何がなんでも、成し遂げなくてはならない。
私は強い気持ちで、侍女アンナに持ってきて貰った地図と資料を机に広げ、更に説明を続けたのだった。




