第一話 事故
(変な夢だったなぁ・・・・・ありゃぁ、一体なんだったんだよ)
通勤の満員電車に揺られながら、敦は昨夜の夢の事を考えていた。
『扉を開けるな』という声が聞こえ、結局ドアを開けることを躊躇っているうちに、夢は尻切れトンボのように、結末が無いまま終わったのだ。
勿論夢なんてものはそんなものだとは思うが、どうしたわけか気になる。
気にはなるが、所詮は夢だ。
夢で占うとか、予知夢などというものもあるというが、敦はそういった類の事は端っから信じてはいない。
夢が何かを教えてくれるなどという、非科学的な事を信じろと言う方が無理な話なのだ。
敦は振り切るように、頭を振った。
調度その時、敦の体が大きく揺れた。
電車が減速し、駅へと滑り込んでいった。
ホームに着くと、ドアが開き人の波が動き出す。
ある者は波に飲まれるように押し出され、ある者は押し出されまいともがく。
敦は、波に逆らわずにホームに下り立った。
人の波は止まることなく、エスカレーターへと向かう。
エスカレーターに足を乗せれば、自動的に改札付近まで行くことが出来るのだ。
朝のけだるい空気の中、誰もがエスカレーターを目指して足早に歩みを進める。
敦も同様、焦っているわけでもないのだが、つい早足になってしまう。
後数メートルでエスカレーターに足が掛かるという時だった、敦の体が強い力で押され思わずよろけた。
何が起こったのか、瞬時には理解が出来なかったが、危なく一歩を踏み出し上体を戻すと、スーツ姿の白髪の男が敦を横目で睨んでいた。
その目は、『邪魔だ! この、うすのろが!』となじっていた。
(くそ! このジジイが俺を押したのかよ! 謝りもしないで行きやがる!)
朝から腹立たしい限りだ。
白髪の男は、顔を前に向けるともの凄い勢いでエスカレーターへと向かった。
敦は、その後ろ姿を憎々しげに眺めながら、心の中で毒づき続けていた。
(ああいうやつは痛い目に遭ったほうがいいんだよ!)
しかし、この一件に目を留める人間など誰もいない。
誰もが黙々と歩みを進めているのだ。
白髪の男はエスカレーターに乗っても尚、歩くことを止めなかった。
(遅刻でもしそうなのか?)
敦は、未だエスカレーターに辿り着かずにいる。
だが、その時だった。
白髪の男の体が大きく揺れたかと思うと後ろ向きに倒れ出したのだ。
その体は宙を舞い、ゆっくりと落下していった。
一体何が起こったのか、敦には理解できなかった。
エスカレーターに乗っている人たちの体が、皆大きく揺れ将棋倒しの様に倒れてくる。
スローモーションビデオを見ているようだ。
女性の悲鳴が聞こえ、男性の叫び声が木霊する。
一人早足で駆け抜けようとしていた白髪の男は、無残にも長いエスカレーターの上方より落下したのだ。
下の方では、人が人の上に重なり間断無くうめき声が上がっている。
白髪の男は、それらの人の上におかしな姿勢のまま落下して行った。
そして、うめく事すら出来なかった。
敦は、人生にこのような地獄絵図を見る事があろうとは思ってもいなかっただけに、足が竦み動く事が出来ずにいた。
もし、あの男が自分を押さなかったら、もし自分がもっと足早に進んでいたなら、この地獄の中でうめいているのは、紛れも無い自分なのだ。
嫌な汗が背筋を流れた。
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