下
右に殿下、左に公爵家嫡男を侍らせながら、例の男爵令嬢は何故か俺だけ引き止めた。
「あの、この間は申し訳ありませんでした」
両隣にビビりつつも、あわてて佇まいを正し、その場に居たそばかすだらけの同僚に目配せする。
(お前もだろ?)
(……うっ)
関わりたくないとばかりにそそくさと離れていく、俺と同じく謹慎をうけたはずの同僚を眼力で引き止める。お願い、俺を一人にしないで。
謹慎以来、仲良くなったそばかすだらけの同僚は、あれで以外と義理堅い。すごすごと俺と二人その場に残った。
そんな人はいないとばかりに、俺にだけ話を続ける男爵令嬢。なんとも奇妙な構図だ。
「私のせいでっ! 本当になんてお詫びしたら……!」
頭を下げる男爵令嬢に、両隣から苛烈な視線が突き刺さる。
何故かどさくさ紛れに握られた男爵令嬢の両手を、失礼にならないよう俺はやんわりと放した。
「ご令嬢のご心配には及びません。家族の事は最初から期待しておりませんから」
「えっ?」
「むしろ縁を切れて清々しております」
「えっ?」
「ですのでお気になさらないよう」
「そ、そんな、でも私が仲を取り持たなくては」
「私にはもう、義父がおりますから」
「えっ、義父?」
そう、家から勘当された俺を慰めにきたあの騎士が、なんと養子にならないかと照れくさそうに提案しにきたのである。
家からの利害ばかり絡んだの傲慢ちき令嬢との縁談は白紙になったし、嫁入りで疎遠になってしまった姉からも連絡がきて、それ以来何かと世話を焼いてくれるし、何だかとばっちり謹慎を受けてから、いいこと尽くしである。
「では、失礼いたします」
もういいだろうとばかりに拒絶の笑みを浮かべ、同僚と二人してそそくさとその場を離れる。
詰所に戻ったところで、そばかすだらけの同僚はおどけた。
「俺、見事に壁の花」
「花じゃなくて、せめて剣って言えよ」
「ちがいない。つーか、なんでお前だけ詫びがはいるんだよ。顔か? やっぱり顔なのか?」
「さあ? なんだよ、お前謝られたいのか? それならば我が心の友にあの場は譲るべきだったかな」
「いやいやいや、関わりたくない」
ぶんぶんと勢いよく首をふる同僚に深く同意した。
それからも男爵令嬢は事あるごとに俺に近づいてくる。
王太子殿下も公爵家嫡男も差し置いて、俺にだけ真っ先にきてくれる! そんなに俺は魅力的か、まったく困ったもんだな。
…………。
だなんて、おめでたい勘違いは俺はしない。
正直会うたびに縁を切られた家の事を持ち出されても困るだけである。たかが小娘の進言で、あの強欲な次兄が厄介払いした俺を再び受け入れるとか、あり得ない。むしろ全力で俺がお断りする。
のらりくらりと男爵令嬢を避けていた矢先に事件は起こった。
正妃の座を狙っていたらしい妹が、夜会の場でよりにもよって男爵令嬢にとんでもない嫌がらせをしたのである。
当然、殿下は激怒した。
腐っても身内、即座に飛び出した俺は妹の頭を下へ下へと抑えつつ許しを乞う。
「殿下、私は大丈夫です」
「……そなたがそう言うのならば」
男爵令嬢のお優しい取り成しに、その場は何とかお咎め無しに終わった。
が、後日。
やはり腹の虫が収まらなかったらしい殿下は、完膚なきまでに妹は家ごと叩かれた。
幸いなことに、既に養子となっていた俺には被害はなかったものの。
あの妹の件は、公の場、つまり夜会で一度はお咎めなしになったはずである。しかも女からのお願いで。
正当な理由も無しに名家を潰す。
それがいけなかった。
王太子殿下の勝手により、高まりつつあった不満が一気に爆発したのである。
姉の嫁入り先も当然批判した。
部外者である男爵令嬢に、城の抜け道を教えたという事も問題となった。
貴族たちによる廃太子の上奏に、王はとうとう重い腰を上げた。
王太子殿下は王太子殿下のままとなったが、伯爵家の爵位は無事に戻り、領地も権利書も何ひとつ欠ける事なくこれも戻った。むしろ、王家からのお詫び金ももれなくついてきた。
その後も、男爵令嬢は何かと俺に話し掛けてきたが、構っている暇なんてあるわけがない。まさかの元実家のお取り潰しに果ては再興。
更に元我が家の騒動はこれだけでは収まらなかった。家族をほったらかしにしていたツケが、一気に回ってきたのである。
次兄が心労で弱っていた頃を見計らい、叔父と従兄弟は、次兄が長兄を殺害したという決定的な証拠を持ってきたのである。
これにより、次兄は処罰されることとなり、継承権は永久に剥奪されることとなった。
三男は殿下の怒りを恐れ、すでに一財産持って出奔していて行方知れずである。
とうとう四男の俺にお鉢が回ってきたが、それは丁重にお断りした。俺は既に親父の息子だ。
ならば! と、嬉々としながらしゃしゃり出てきた叔父一家を俺は即座に黙らせる。
伯爵家のお家騒動は、息子四人を失い一気に老け込んだ父親に一端爵位を返し、爵位と財産はいずれ妹とその婿のものになるとし、ようやく終息した。
だが、俺の多忙の日々は終わらない。
まずは妹の根性を叩き直さなければならない。
姉と共に、妹の癇癪を根気よく宥めながら、時には厳しく尻を叩き、淑女たるもの、貴族たるもの何たるかを妹の軽い頭に無理やり詰め込む日々が続く。
妹の頭が少し重たくなった頃、俺はそろそろ頃合いかと「十日間、生き残ってこい」と身ひとつで山に放り込む。
めでたく十日間乗り切った妹から聞いたのか、「貴方はこの子を騎士にでもするつもりなの!?」と姉が怒鳴り込んで来たりもしたが、「大丈夫、俺は一ヶ月だった」と宥めると何も言わなくなった。
素手で熊を……まではいかないが、ちょっとやそっとでは動じなくなった妹に、姉に小言を言われながらも俺は満足気に頷く。
気の強さは相変わらずだが、代々続く伯爵家の家名と更に増えた財産を背負うのである。これくらいがちょうど良い。
その勝ち気な妹に、最近変化が訪れた。俺の同僚に対しては挙動不審になるのである。
気のおけないあのそばかすの同僚には、妹の山籠りの際に影ながら護衛を頼んでいた。
人柄は俺が良く知っているし、そこそこの家の三男坊で、陛下からも覚えめでたい。妹の婿にはもってこいの優良人材だ。あわよくばと思い配置した布陣であったが、どうやら上手くいったようである。しめしめ。
「まさかお兄様より先に結婚するなんて……」と俺に対してすっかりしおらしくなった妹に、笑顔で首を振る。大丈夫だ、気にするな妹よ。
同僚からは「お義兄さん」と冗談混じりに言われつつ、近衛騎士の職務に励む。
俺が激務に追われている頃、王宮内でも動きがあった。
王太子殿下は、男爵令嬢を選んだのである。いや、逆か、男爵令嬢が王太子殿下を選んだのである。
その御披露目の夜会で、父である陛下は首の薄皮一枚で繋がっていた王太子殿下との縁を切った。勘当である。それと共に、女にうつつを抜かし、職務を疎かにした公爵家嫡男も近衛副団長を辞した。
これを期に、殿下は廃太子となり、その立場はまるまる弟へと譲られた。
夜会はそのまま立太子の御披露目へと変わる。
俺はといえば、新たな王太子殿下の脇を、義弟となった同僚とともに護っている。
その後、男爵令嬢を城で見ることは無かったが、王太子殿下の護衛でとある街に行った時、一度だけ見掛けた。
隣には見覚えのある男。元王太子殿下ではない。
例の謹慎のきっかけとなった脱走事件で、俺が彼女を見付けたとき談笑していた男である。
男に違和感を覚えた俺が、まてよ、と更に記憶を探ると、平民だが金持ちの大きな商家の息子で何度か城に出入りしていた事を思い出した。
元王太子殿下と共に城を出された事は知っていたが、その後彼女は商家の息子に靡いたらしい。
無一文の元王太子よりも、金持ちの平民の男。
何ともいえない気分になりつつ、その後、風の噂でとある商家が事業に失敗し大損害したと聞いた。
それ以来、彼女に会うことも見ることも無かったが、まあ、次も金持ちで、見た目がいい、頭が空っぽな男を捕まえているだろう。願わくば、もう二度と関わりたくない。
思えば、あの謹慎が転機となった。
と言いたい所だが、最近では少し違う考えになってきた。
俺の転機は、義父となった騎士の見習い奉公では無いかと思う。
あれが無ければ、もしくは途中で逃げ出していたなら、俺は今頃どうなっていたのだろうか。
近衛騎士、にはなっていたと思う。金と家の力で。
ならば、その後は?
見た目麗しい男爵令嬢の表面だけのからっぽな言葉に舞い上がり、恋に踊る愚かな男になり果て、気がつけば何もかも無くなって、それでも男爵令嬢の一時の優しさに縋り……、なんてな結末もあったかもしれない。
以前の俺は、そうなっても不思議ではないほどの、何不自由なく暮らしていた伯爵家の四男坊で、父親や兄たちに勝るとも劣らぬ傲慢で我が儘な視野の狭いクソガキだった。
それが一転して、見習いの立場となり、見下していた下男たちと同じ事をするようになる。それも元平民の卑しい生まれの騎士の下で。
何度辞めよう逃げようと思った事か知れないが、それでも続けたのは、あり大抵な悔しさとちっぽけなプライドの他に、俺の中で何か予感があったからかもしれない。見苦しいと家族を内心で馬鹿にしつつも、その庇護から出ることのできない甘ったれた自分から、変われる予感が。
努力しても実らぬ者もいる中で、大成した俺は幸運だった。
この幸運を忘れずと恵まれた周囲への感謝を糧に、俺はこれからも生きて行くだろう。
さて、そろそろ俺も身を固めようと思う。
義父が「孫はまだか」と急かして煩いのである。
相手は前から決めている。
以前、同僚宅へ遊びに行った際に、そばかすを頬に散らした可愛らしい娘と出会って以来、目を付けていた。彼女の兄に家に招かれ、会うたびに惹かれる俺がいる。今では彼女しかいないと思っている。
出会った当時の俺は、元伯爵家の出身とはいえ、平民生まれの義父の息子で、俺自身たいした手柄もない、経歴に傷持ちの男だ。
だが今は勝算はある。
まさか、こちらが先に大事な伯爵家の跡取り妹に婿入りを許したというのに、先方も嫌とは言えないだろう。
運命は、自分の力で切り開くものである。