第4話 あれはああいうプレイだから
「れんにぃ、おっはー……って、何してんの!?」
「二百五十八、二百五十九……」
朝、階段を駆け降りてきた妹の夕陽は俺のトレーニングルームに入るなり目を丸くした。
七時。ちょうど夕陽が朝食を作って呼びに来てくれる時間だ。普段なら部活の疲れもあってこの時間は寝ているが……今日は朝からベンチプレスをあげている。
「どったの。高校で部活始まるからって気合い入れてんの?」
「いや違う。大切なものを守り抜くために鍛えてるんだ」
「え……。れんにぃ、高一で中二病に目覚めるのは遅すぎるんじゃない?」
『バカなこといってないでごはん食べるよ』と言い残し、夕陽は階段を下りていった。だが、俺は至って真面目だ。昨日奈夏の隣にいたヤツはそこそこ身体がデカかったからな。
リビングへ降りると、そこには山盛りのご飯にベーコンエッグ、納豆、焼き魚。親が出張で家を空けているので、料理上手な夕陽が朝飯を作ってくれているが……できた妹だ。
どのメニューも栄養豊富で、激しい運動をする俺の身体作りを想ってくれている。
「はむっ。あむあむ」
「気合入ってるのは分かるけどさー、食べ過ぎると授業中眠くなるよん」
「大丈夫だ、しっかり食って栄養つけないとな。ご飯おかわりっ」
「まだ食べるの?」
「うむ。はむあむ」
妹にドン引かれつつもお茶碗三杯を平らげると、制服に着替えて眠い目をこすりながら家を出る。
昨日奈夏と歩いていた男が誰なのか、二人がどういう関係なのか。昨晩は脳が破壊されただけで答えは出なかったし、学校で本人に確かめるのが一番早い。今日こそちゃんと聞いてみよう。
※※ ※※
昨晩、脳内で何度も質問をシミュレーションした。「なー奈夏。あいつ誰?」と軽く質問。あるいは「俺以外のヤツやめとけって」とキザなセリフでいくのか。いろいろ考えたけど。
「おはよー蓮斗。今日から本格的に授業始まっちゃうねぇ」
「ああ。そ、そうだな」
登校してきた我が幼馴染のピュアかつ屈託ない笑顔に阻まれる。昨日男と歩いていたのを見られていたなんて微塵も思ってない様子で、それはそれで少し癪だが。
結局、言い出せないまま授業が始まってしまう。
「やっべ! 数学の教科書忘れたー。蓮斗、ちょっと机くっつけてもいいか?」
「ああ。いいけど」
「お前、目のクマすごくね……? やっぱ寝れなかったかよ?」
友瀬は顔を引きつらせながら肩をつついてくる。昨日一緒に奈夏と他の男がいる場面を見ていたので、もはやこいつには隠す必要がない。
一睡もできてなかったことを白状すると、友瀬は気まずそうに口を開いた。
「なあ蓮斗。昨日奈夏ちゃんの隣にいたヤツいるだろ? 爽やか系の」
「がはっ。傷をえぐるな……」
「吐血!? ……まあ聞いてくれ。例のアイツ、なーんか見たことあるなって思ったのよ」
「え。おい友瀬、正体知ってんのか? 教えてくれ!」
「おいおい、まあ落ち着けって」
思わず肩を掴む。もしかして親戚とか、昔からのただの知り合いとか、そういうオチか?
……考えてみればそうだよな。奈夏が俺の知らないところで、会ったばかりのイケメンにホイホイついていくわけがない。絶対そうだ。
「記憶を辿ってみたらさ。あいつ、たしか真央の知り合いだったわ」
「真央ちゃんの?」
「おう。昨日寝落ち通話で聞いたんだけど。C組の稲垣光。外部組で、中学ん時陸上部のエースだったって」
「……陸上部?」
「それで、高校からは陸上やめて水泳やりたいって言ってんだってさ」
待て。親戚でもただの知り合いでもなかった。よりによって水泳部に入る? 奈夏と同じ部活になるってことか。
「おい友瀬。それって安心材料じゃなくない?」
「ああ、むしろ同じ部活になるならめちゃくちゃ接点あるなぁ」
「ぐぬ」
結局何の解決にもなってない……なんて思っているうちに数学の授業が始まる。初回ということで、先生は教科書を開かせる前に黒板へ一本の式を書いた。
「高校数学に入る前に、まずは中学範囲の確認な。これ、解けるやついるか?」
「はいっ!」
数学は得意なので、ここは一発かましてやるか。そう思って手をあげようとしたが――間髪入れず、先に奈夏が手を挙げた。
「お、じゃあ白波瀬〜」
「x=7です!」
「正解っ!」
一問だけじゃない。その後の問題でも何度か手を挙げては、当たり前のように正解を重ねていく。水泳部のエースで、顔もいい。性格も明るくて、そのうえ勉強まで抜かりなし。
「そりゃモテるよな〜俺の幼馴染。って思ってるのか? 蓮斗」
「おい、心の中読むなよ!」
「わりぃわりぃ」
友瀬のいたずらっぽい笑い声を聞くと、昨日から張り詰めっぱなしだった力が抜ける。
爽やかイケメンだの水泳部だの、いちいち勝手に想像を膨らませてたら身がもたん。もういいから、昼飯のときにでもさらっと本人に聞いてしまおう。
※※ ※※
高校生になっても、お弁当をつつくメンバーの布陣は変わらない。俺と奈夏と友瀬だ。将来的には新メンバーが加入する可能性があるが、今は固定だ。
「蓮斗~。たまご焼きあげる!」
「おう。ありがとう、奈夏」
「奈夏ちゃーん、俺にもくれー」
「はーい。って、私の分なくなっちゃう!」
友瀬にも一切れ卵焼きを渡し、奈夏は自分の弁当箱を見ながら頬を膨らませる。ほんと純粋というかお人好しというか……。
いつも通りの昼休み。昨日のことなんて何もなかったみたいに笑っている奈夏を前にすると、朝から何度も決めていたはずの質問がまた喉につかえた。
悶々としていると、奈夏が「ん?」と首を傾げる。
俺が何度目か分からない敗北を喫していると、向かいに座っていた友瀬が露骨にため息をついた。
「……よっし。俺、トイレ行ってくるわ」
「急だな」
「おう。急に行きたくなった」
そう言って立ち上がった友瀬は、俺の横を通り過ぎざまに耳打ちする。
「聞くなら今のうちに聞いとけよ」
「そうするよ。悪いな、気つかわせて」
「気にすんな。じゃ、ごゆっくりー」
友瀬が教室を出ていくのを見届け、俺は箸を置いた。結局気を遣わせてしまったので、さっさと聞こう。
「あのさ、奈夏。昨日友瀬と二人でマック行っちまってごめん」
「ん? 別にいいよー。私もあの後ちょっと用事できたから」
ごはっ。用事って、それはあの男のことかよオイ。なんて口にはできないが。
「そうか。――昨日さ、誰と帰った?」
「え? も~、心配しないで。蓮斗がいなくても帰る人くらいいるからー」
「それを聞いてんだ! 昨日帰ってた男、誰だよ!?」
「ええっ?」
俺が慌ててそう問い詰めると、奈夏はぱちぱちと瞬きをして、目を丸くした。
けれど、その驚きも一瞬。すぐに口元がむずむずと緩みはじめ、俺の顔を見ながら、なんとも楽しそうに体をくねくねし始めた。
この表情。久しぶりに見たが、何かを企んでる時の顔だ。
「……ふ〜ん。蓮斗、見てたんだ」
「見てたよ! あの爽やかイケメンと……お前」
「うんっ。光くんに色々教えてあげてたんだ♡」
「ごばぎれぼえぇっ!」
思わず再び吐血。色々教えてあげてただと……? なんだそれ、二人であんなことやこんなことを教えあっていたのか? いや奈夏、お前は教えられる側だろ。
まさか本当に純粋なふりをしていただけなのか?「ちゅーは子どもできちゃうから~」なんて言ってたあの笑顔は演技だったと?
「おい。教えてあげてたってなんだよ」
「ん~。何でしょう」
「こっちは真剣なんだ! なあ奈夏、何してた?」
「くひひっ」
奈夏は箸を口元に当てたまま、こらえきれないように頬をゆるめる。目まで楽しそうに細くなっていて、どうやら俺が焦る姿を見てすっかりご満悦らしい。
「何してたって――水泳部のこと教えてほしいって言われたから、教えてあげてただけだけど?」
「……ん。それだけ?」
「それだけ。その後、光くんとはたまたま帰る方向同じだったからさー」
その瞬間、俺はヘナっと力が抜けた。そして同時に、こいつがニヤニヤしていた理由も理解した。奈夏は「あれ~?」とわざとらしく首を傾げる。
「蓮斗ー。いったい何の妄想してたのかな? 幼馴染の私が他の人と帰るだけで焦っちゃってぇ」
「くっそ……」
いつもはからかわれているので、その腹いせといわんばかりに奈夏が煽ってくる。何だよ、そもそもこいつがピュア1000%なだけで……俺も純粋童貞ってことかよ。
だが、それだけでは癪だ。ここはカウンターを仕掛けてやる。
「そうだよ。お前が俺以外のヤツと二人でいるとか――つまんねぇなって思ったんだよ」
「ほぇ? ……つまんない?」
さっきまでニヤニヤしていた奈夏の動きがぴたりと固まる。どうやら今の言葉を理解するまで少し時間がかかったらしく、数秒遅れて頬がみるみる赤くなっていった。
「蓮斗。それってどういう――」
「奈夏。俺は本気だぞ」
わざと声を落として名前を呼びながら距離を詰めると、奈夏は分かりやすく肩を跳ねさせた。慌てて口元を隠そうとした両手も、その前に俺が掴んで押さえる。
「んにゅっ!? ちょ、蓮斗。なに、なにするの!?」
「ダメだ。もう逃げられないぞ」
「だ、だって近い! 近いってば……ここ教室だし、それにチューしたらだめぇ!」
そのまま奈夏の顔すれすれまで近づく。逃げようにも両手は押さえられているし、どうすればいいのか分からなくなったのか、とうとう観念したように目を閉じて耳を真っ赤にする。
俺は奈夏の目の前で、わざと大きく唇を鳴らした。
「~~~~っ!?」
全身をびくんと震わせた奈夏は、恐る恐る目を開ける。そして自分の唇に何の感触も残っていないことに気づくと、しばらく呆然と瞬きを繰り返した。
「……あれ? えっ」
「音鳴らしただけだぞ。さっきの仕返しだ」
その一言で緊張の糸が切れたらしい。奈夏は「ふにゃぁ……」と情けない声を漏らし、椅子からずり落ちて床にへたり込んだ。よし……カウンター成功だ。
「ん? どうしたの奈夏ちゃん、座り込んで」
近くで弁当を食べていた女子が、箸を宙に浮かせたままこちらを見ている。その声につられて、周りの何人かも「あの二人、何かやってるぞ」とでも言いたげに視線を向けてきた。
「友瀬くーん。日高くんと白波瀬さんがなんかしてるけど、あれって何してるの?」
「ん? ああ……あれな」
ちょうど教室へ戻ってきた友瀬が、へたり込んでいる奈夏と、その前にいる俺を交互に見た。ほんの一秒だけ状況を確認すると、すぐにけらけらと笑う。
「昔からだから気にしなくていいぞ。あれはああいうプレイだから」
「プレイ?」
「おう。二人にしか分からん愛情行動だなw」
友瀬がけらけら笑いながら席へ戻ると、クラスメイトたちも「なんか幼馴染ってすげー」と妙に納得して、それぞれの昼飯へ戻っていった。




