第六話 処刑場の下
五度目の春には、エレナは黒竜より先に自分の死を調べることにした。最初の人生で見た白い螺旋は、死の直前まで知らなかったものだった。ならば、あれだけは黒竜とは別の仕掛けかもしれない。
現在の王都図には、公開刑場はただ「西広場」と記されていた。五十年前の地図でも同じだった。百年前になると、広場の形が少し違う。さらに建国期の写本を広げた時、エレナは指を止めた。
そこには「旧祭壇」と書かれていた。
文字は小さく、後世の書き込みに半ば隠れている。周囲には今は存在しない建物が並び、大聖堂もまだ描かれていなかった。
「ここに祭壇があったんですね」
司書補佐のリゼットは、地図へ顔を近づけた。五度目の人生でも、リゼットにとってエレナは初対面だった。
「ずいぶん古い話です。王都が今の形になる前でしょう。神殿の目録でも、この時代は欠けが多いです」
「何の祭壇ですか」
「そこまでは」
リゼットは首を振った。
エレナは地図を重ねた。位置は間違いない。一度目に自分が火刑にされた、あの石の処刑台の真下だ。
ヴァルターは、その調査を知ると閲覧許可を取り上げようとした。
「刑場の来歴が、聖女の務めに何の関係があるのです」
「分からないから調べています」
「分からないことをすべて知る必要はありません」
それを止めたのがセヴランだった。
「古い地図を見る程度で国は滅びません」
穏やかな口調だった。ヴァルターは左眉の傷をわずかに歪め、不満そうに口を閉じた。
その夜、エレナは書庫に一人残り、何枚もの地図を机へ広げた。窓の外では雨が降り始めていた。古紙には乾いた埃と革の匂いが染みついている。
初めて、誰かが自分をあの場所へ連れていったのだと確信した。
偶然ではない。
聖女だから死んだだけでもない。
一度目の処刑には、まだ知らない目的があった。
確認のため、エレナは鐘楼裏の最古書庫でも建国期の地図を調べた。変色した羊皮紙には、現在の刑場と同じ位置に小さな四角があり、古い字で「祭壇」とだけ記されていた。神殿地下の封印祭壇とは別のものだった。
一度目に自分が殺されたのは、処刑場だったからではない。祭壇だったからではないか。その疑いが、初めて確信に近づいた。
建国期の地図を見つけたあと、エレナは旧祭壇について書かれた記録をさらに探した。だが、古い都市図にあるはずの説明書だけが欠けている。目録には題名が残っているのに、本棚には空きがあった。
「失われたんですか」
リゼットは目録帳をもう一度めくり、眉を寄せた。
「少なくとも、私がここへ来た時にはありませんでした。目録にあるのに現物がないのは、私は嫌いです」
誰かが意図して抜いたのか、単に何百年もの間に失われたのかは分からない。
リゼットはしばらく考えたあと、棚から顔を上げた。
「神殿にないなら、王立文書院を当たってください。都市の測量図は、神殿よりあちらの方が古い写しを持っています」
王立文書院は王宮の南、古い官庁街の端にあった。曇った窓と黒ずんだ石壁の建物で、入口をくぐると外より空気が乾いている。紙を守るため火気を厳しく制限しているせいで、冬でも廊下は冷たかった。
院長のオズワルド・ハイネは五十八歳だった。銀の混じった濃い髪を後ろへ撫でつけ、細い銀縁の眼鏡をかけている。深い色の上着は古い型ながら仕立てがよく、細身の杖を机の脇へ立てていた。背筋は真っ直ぐで、立ち上がる時にわずかに左脚を庇ったが、その仕草まで妙に様になっている。若い頃はさぞ人目を引いただろうと、エレナは思った。
「フィオール嬢ですね。お待ちしていました」
聖女様ではなく、姓に嬢をつけて呼ばれたことに、エレナは少し驚いた。
「聖女と呼ばないんですか」
「肩書きは目録に書けば足ります。人を呼ぶ時には名前の方が便利です」
オズワルドはそう言って、古い測量図の箱を開けた。付き添ってきたリゼットが、いつもよりわずかに背筋を伸ばす。
「オズワルド先生、建国初期の西区測量図をお願いできますか」
エレナは横から小声で尋ねた。
「リゼット、声がいつもより優しくないですか?」
「気のせいです」
返事だけはいつも通り冷たかったが、耳が少し赤かった。オズワルドは聞こえなかったふりをして、眼鏡を掛けた。
文書院の写しにも、旧祭壇の印は残っていた。しかし用途を説明する頁は、そこでも欠けていた。オズワルドは空白の参照欄を指でなぞった。
「人は、必要のなくなった記録から捨てます。そして三代もすれば、なぜ必要でなかったのかまで忘れる。文書院というのは、本来、その忘れ方を少し遅くするための場所です」
答えそのものは得られなかった。それでも、神殿だけではなく王都全体の記録を遡る道が、ここで初めて開いた。
代わりに、別の修道院から移された建築記録の中に、奇妙な一文を見つけた。
旧祭壇は「第一の輪」の上に置かれた。
それだけだった。
第一の輪とは何なのか、説明はない。
エレナは夜遅くまで書庫に残った。灯油が減り、燭台の火が小さくなっても帰らなかった。
アルベルトが迎えに来たのは、鐘が十回鳴ったあとだった。
「明日もあります」
「でも、明日が何回あるか分からないんです」
思わず言ってから、口を閉じた。
この人生のアルベルトは、まだ何も知らない。
「何の話ですか」
「……何でもないです」
彼は追及しなかった。
書庫を出る時、エレナは地図を振り返った。
王都は何度も作り変えられている。古い道の上に新しい道を敷き、祭壇の上に刑場を作り、かつて何のためにあった場所なのかを忘れていく。
人の記憶も同じなのかもしれない。
上から新しい説明を重ねれば、昔そこにあった意味は見えなくなる。
それでも、石の下には残る。
一度目の足元で光った螺旋のように。
旧祭壇の意味を確かめきれないまま、季節は巡った。エレナは冬まで王都の記録を追い続けたが、黒竜が近づく頃になっても「第一の輪」が何を指すのかは分からなかった。
翌春、西地区へ黒い魔力が流れ込んだ。避難する人々を広場から逃がしている最中、古い建物の壁が崩れた。エレナは子どもを押し出すことはできたが、自分までは間に合わなかった。
石床へ倒れた右手の下で、掌の螺旋が白く灯った。光は指先から視界いっぱいに広がり、次の瞬間には、また春の雨が窓を叩いていた。
六度目だった。




