第五話 閉じ込められた聖女
王宮の朝は、大聖堂より明るいはずなのに冷えていた。厚い壁が夜の冷気を抱え込み、長い回廊には蜜蝋と濡れた石の匂いが残っている。窓の外で庭師が枝を払う音だけが、遠くから乾いて響いていた。
四度目の春、エレナは王太子リオネルへ会うため、聖女として王都へ入った翌日に王宮へ押しかけた。未来を知っていると言っても信じてもらえないことは分かっていたので、翌朝の鐘楼で綱が切れること、午後に東門の馬車が横転することまで細かく告げた。
二つとも起きた。
翌日の夜、リオネルは人払いをした小会議室で彼女を待っていた。窓の外には王宮の中庭が見え、雨上がりの石が月明かりに湿っていた。
「あなたが何者なのか、まだ分かりません」
「私も分かりません」
「では、何を望んでいるのです」
「死なずに黒竜を止めたいです」
リオネルは笑わなかった。
「それができるなら、私も知りたい」
それが、王家の人間から初めて聞いた言葉だった。
しかし神殿は違った。未来を語る聖女は、黒竜の魔力に触れて精神を侵された可能性があると判断された。ヴァルターは迷いなく隔離を命じた。
地下の部屋には小さな寝台と机しかなかった。壁は厚く、窓は天井近くに細いものが一つあるだけだった。石は一年中冷たく、夜になると水滴が壁を伝った。
秘密の文字も、都合よく残された古文書もなかった。
ただ閉じ込められた。
セヴランだけが数日に一度訪れた。温かい食事を持たせ、本も届けた。
「ヴァルターは規則に従っているだけです」
「あなたは私を信じますか」
セヴランはすぐには答えなかった。
「少なくとも、あなたが嘘をついて楽しんでいるようには見えません」
その返事がエレナにはありがたかった。
ただ、エレナが何を知っているのかを静かに聞き続けただけだった。
黒竜が王都へ来た夜、地下でも鐘の音が聞こえた。初めは規則正しかった音が、やがて乱れ、最後には一つずつ途切れた。天井から砂が落ち、壁の向こうで人が走る音がした。
エレナは扉を叩かなかった。
未来を知っているだけでは、何も変えられない。
暗い部屋で、エレナはそのことを覚えた。
地下へ閉じ込められた日々、エレナは時間を数えるために食事の回数を覚えた。朝は薄い粥、昼にはパンと煮込み、夜はスープ。それが何度届いたかでしか、外の日付が分からない。
最初の数日は腹が立った。
その次は怖くなった。
やがて、何も感じない時間が増えた。
セヴランが来る日は分かった。廊下を歩く足音が他の神官より遅い。扉が開く前に鍵を二度回す癖がある。
「今日は何日ですか」
「十九日です」
「北から何か?」
セヴランは少し迷ってから、家畜の死が二つ南の州まで来たと教えた。
「どうして教えてくれるんですか」
「知らないまま待つ方が怖いでしょう」
優しい答えだった。
エレナは彼に、北の谷で地面の中の流れを感じたことまで話した。
セヴランは黙って聞いた。
「人の身体と同じだったんです。もっと大きいけど」
「切れていた?」
「はい」
その時だけ、彼の指が膝の上でわずかに動いた。
「それは、誰にも話さない方がいいでしょう」
「どうして?」
「神殿は、分からないものを怖がります」
エレナはそれを自分への助言だと思った。
実際には、セヴラン自身が最もその意味を理解していたのだと知るのは、ずっと後だった。
黒竜が近づいた最後の日、地下室の空気が変わった。壁の隙間から煤のようなものが入り、燭台の炎が青くなった。
遠くで鐘が鳴る。
エレナは寝台ではなく、扉の前に座っていた。
アルベルトが来るかもしれないと、最後までどこかで期待していた。
しかし彼は最後まで来なかった。
最後の鐘が途切れたあと、地下室の床が大きく揺れた。壁に一本の亀裂が走り、次の瞬間、天井の石が崩れ落ちた。エレナは扉の前で身を丸めたが、逃げる場所はなかった。
重い石に胸を押し潰され、息が途切れる直前、瓦礫の隙間で右の掌だけが白く光った。螺旋は、まるで死を待っていたかのように静かに明るさを増した。
雨の朝へ戻った時、エレナはしばらく寝台から起き上がれなかった。未来を知るだけでは足りない。信じさせるだけでも足りない。証拠と、仕組みそのものが必要だった。
五度目の春だった。




