第七話 六度目の旅
六度目の人生で、エレナは旧祭壇と同じ年代に造られた遺構を追った。王都から北へ向かう街道を外れ、修道院の地下、放棄された礼拝堂、崩れた水門を訪ねた。古い石には共通して、輪のような刻印が残っていた。
地図に印を付けると、それらは王都を中心として放射状に並んでいた。
旅の途中で泊まった村は小さかった。白樺の林に囲まれ、夕方になると家々の煙突から薄い煙が上がった。宿屋の床は歩くたびに軋み、食堂には煮込み料理と薪の匂いがこもっていた。
リタはそこで働いていた。十歳くらいの、小さな女の子だった。日に焼けた頬にはまだ子どもの丸みがあり、よく動く榛色の目で、初対面のエレナを遠慮なく見上げた。
栗色の髪を二つに編み、左にだけ黄色い紐を結んでいる。右の紐は昨日どこかでなくしたらしい。本人は気にしていなかった。
「これ、あげる」
差し出された林檎は、片側が少し潰れていた。
「売り物にならないから。でも、甘いよ」
聖女だからではなく、ただ旅人に物をくれたのだと分かる。それがエレナには嬉しかった。
宿の裏には古い井戸があった。主人が水量が減ったと愚痴をこぼしているのを聞き、エレナは縁石へ手を置いた。掌の下、冷たい石のさらに奥に、細い流れがある。人の身体に触れた時と同じように、その流れは途中で切れていた。
意識を向けると、切れた糸の両端が近づいた。
翌朝、桶を引き上げた主人が驚いた声を上げた。水位がわずかに戻っていた。
「聖女様が直したの?」
リタが尋ねた。治癒の能力ではないため、エレナは曖昧に答えた。
「どうかな」
「じゃあ、井戸が勝手に元気になったんだね」
エレナは笑った。
昼過ぎ、リタは白樺の林へ案内してくれた。まだ花の季節には少し早かったが、落ち葉の間から黄色い芽が覗いていた。
「もっと暖かくなると、ここ全部黄色になるよ」
「見たかったな」
「来年も来ればいいよ」
その言葉に、エレナは返事をしなかった。
自分には来年がない。
死ねばまた、この春へ戻る。
それでも帰り際、エレナは村の名前を何度も心の中で繰り返した。その時はまだ、忘れる必要がある日が来るなどとは思っていなかった。
六度目の旅では、エレナは宿を急がなかった。これまでの人生では、黒竜が現れる日から逆算して、一日でも早く答えへ辿り着こうとしていた。けれど、急いだ結果が何度も同じ死だった。
村々では市場を歩き、古老の話を聞いた。神殿の文書に残らないものが、人の記憶には残っていることがあった。
ある村では、昔は冬になると地下から暖かい水が出たという。別の町には、地面の下を「王都へ向かう竜の道」が走っているという童話があった。誰も本気にはしていない。
そうした話を地図へ書き込むと、十二の古い遺構と重なった。
リタの村でも、宿の主人が井戸について似た話をした。
「爺さんの頃は、冬でも凍らなかったそうですよ」
「今はどうなっていますか?」
「ご覧の通りです」
水は冷たく、量も少ない。
エレナがつないだ翌日だけ、水は少し温かかった。
リタはそれを面白がって、井戸の周りを何度も覗いた。
「中に何かいるのかな」
「いたら怖くない?」
「大きくなければ平気」
「蛙でも?」
「蛙は平気だよ」
エレナは笑った。三十五年前のマリアンヌが蛙を嫌っていたことなど、この時はまだ知らない。
旅を再開する朝、リタはもう一つ林檎を持ってきた。今度は傷のないものだった。
「これは売れるでしょう」
「昨日の分のお返し」
「私、何もしてないけど」
「井戸が元気になったから」
リタは勝手に決めて笑った。
エレナはその林檎を道中で食べず、王都まで持ち帰った。
机の上で皺の寄っていく林檎を見るたび、エレナはリタの笑った顔と、春には黄色くなるという白樺の林を思い出した。
その人生でも、答えを見つける前に黒竜は現れた。エレナは王都へ戻り、北から流れ込む避難民の救護に加わった。傷をつなぎ、途切れかけた呼吸を戻し、何人もの手を離さなかった。
夜明け前、救護所へ黒い霧が入り込んだ。人々を奥へ逃がしたあと、エレナ自身の脚が動かなくなった。肺の奥まで冷たいものが入り、床へ膝をつく。
右の掌で螺旋が白く輝いた。最後に思い出したのは処刑台ではなく、片方だけ黄色い髪紐をつけた少女だった。
次に目を開けた時、七度目の春が始まっていた。




