↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十三度目の春に、あなたの名前を呼ぶ  作者: くるみ
第三章 消える世界

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/7

第七話 六度目の旅

 六度目の人生で、エレナは旧祭壇と同じ年代に造られた遺構を追った。王都から北へ向かう街道を外れ、修道院の地下、放棄された礼拝堂、崩れた水門を訪ねた。古い石には共通して、輪のような刻印が残っていた。


 地図に印を付けると、それらは王都を中心として放射状に並んでいた。


 旅の途中で泊まった村は小さかった。白樺の林に囲まれ、夕方になると家々の煙突から薄い煙が上がった。宿屋の床は歩くたびに軋み、食堂には煮込み料理と薪の匂いがこもっていた。


 リタはそこで働いていた。十歳くらいの、小さな女の子だった。日に焼けた頬にはまだ子どもの丸みがあり、よく動く榛色の目で、初対面のエレナを遠慮なく見上げた。

 栗色の髪を二つに編み、左にだけ黄色い紐を結んでいる。右の紐は昨日どこかでなくしたらしい。本人は気にしていなかった。


「これ、あげる」


 差し出された林檎は、片側が少し潰れていた。


「売り物にならないから。でも、甘いよ」


 聖女だからではなく、ただ旅人に物をくれたのだと分かる。それがエレナには嬉しかった。


 宿の裏には古い井戸があった。主人が水量が減ったと愚痴をこぼしているのを聞き、エレナは縁石へ手を置いた。掌の下、冷たい石のさらに奥に、細い流れがある。人の身体に触れた時と同じように、その流れは途中で切れていた。

 意識を向けると、切れた糸の両端が近づいた。


 翌朝、桶を引き上げた主人が驚いた声を上げた。水位がわずかに戻っていた。


「聖女様が直したの?」


 リタが尋ねた。治癒の能力ではないため、エレナは曖昧に答えた。


「どうかな」

「じゃあ、井戸が勝手に元気になったんだね」


 エレナは笑った。

 昼過ぎ、リタは白樺の林へ案内してくれた。まだ花の季節には少し早かったが、落ち葉の間から黄色い芽が覗いていた。


「もっと暖かくなると、ここ全部黄色になるよ」

「見たかったな」

「来年も来ればいいよ」


 その言葉に、エレナは返事をしなかった。

 自分には来年がない。

 死ねばまた、この春へ戻る。


 それでも帰り際、エレナは村の名前を何度も心の中で繰り返した。その時はまだ、忘れる必要がある日が来るなどとは思っていなかった。


 六度目の旅では、エレナは宿を急がなかった。これまでの人生では、黒竜が現れる日から逆算して、一日でも早く答えへ辿り着こうとしていた。けれど、急いだ結果が何度も同じ死だった。


 村々では市場を歩き、古老の話を聞いた。神殿の文書に残らないものが、人の記憶には残っていることがあった。


 ある村では、昔は冬になると地下から暖かい水が出たという。別の町には、地面の下を「王都へ向かう竜の道」が走っているという童話があった。誰も本気にはしていない。

 そうした話を地図へ書き込むと、十二の古い遺構と重なった。


 リタの村でも、宿の主人が井戸について似た話をした。


「爺さんの頃は、冬でも凍らなかったそうですよ」

「今はどうなっていますか?」

「ご覧の通りです」


 水は冷たく、量も少ない。

 エレナがつないだ翌日だけ、水は少し温かかった。

 リタはそれを面白がって、井戸の周りを何度も覗いた。


「中に何かいるのかな」

「いたら怖くない?」

「大きくなければ平気」

「蛙でも?」

「蛙は平気だよ」


 エレナは笑った。三十五年前のマリアンヌが蛙を嫌っていたことなど、この時はまだ知らない。


 旅を再開する朝、リタはもう一つ林檎を持ってきた。今度は傷のないものだった。


「これは売れるでしょう」

「昨日の分のお返し」

「私、何もしてないけど」

「井戸が元気になったから」


 リタは勝手に決めて笑った。


 エレナはその林檎を道中で食べず、王都まで持ち帰った。

 机の上で皺の寄っていく林檎を見るたび、エレナはリタの笑った顔と、春には黄色くなるという白樺の林を思い出した。


 その人生でも、答えを見つける前に黒竜は現れた。エレナは王都へ戻り、北から流れ込む避難民の救護に加わった。傷をつなぎ、途切れかけた呼吸を戻し、何人もの手を離さなかった。


 夜明け前、救護所へ黒い霧が入り込んだ。人々を奥へ逃がしたあと、エレナ自身の脚が動かなくなった。肺の奥まで冷たいものが入り、床へ膝をつく。


 右の掌で螺旋が白く輝いた。最後に思い出したのは処刑台ではなく、片方だけ黄色い髪紐をつけた少女だった。

 次に目を開けた時、七度目の春が始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。