第75話『英雄は気づいてしまった』
昼。
星降る宿屋には、
いつもの穏やかな時間が流れていた。
だが。
A級冒険者アルベルト・レイヴンだけは違う。
「…………」
朝の出来事を思い返していた。
坂道を転がる荷車。
子ども。
そして。
一瞬で救い出したレイン。
あれは偶然ではない。
反射でもない。
鍛え上げられた技術だ。
「どうした?」
ガルドが笑う。
「朝から難しい顔してるぞ」
アルベルトは苦笑した。
「いや」
そして。
厨房を見る。
レインはいつも通りだった。
パンを焼き。
料理を作り。
壊れた棚を直している。
完全に宿屋の店員である。
「本当に不思議だな」
思わず呟いた。
その時だった。
カラン、と扉が鳴る。
「こんにちはー!」
入ってきたのは若い冒険者たちだった。
どうやら依頼帰りらしい。
席へ座るなり盛り上がる。
「聞いたか?」
「何を?」
「最近の王都の話」
暖炉前の常連たちも耳を向ける。
「補給が大混乱らしい」
「武器修理も遅れてるって」
「騎士団大変みたいだぞ」
その話に。
アルベルトの目が細くなる。
そして。
無意識にレインを見る。
「…………」
やはり。
全部繋がる。
レインがいなくなった。
王都が混乱した。
偶然ではない。
その時。
「レインさん!」
リアが呼ぶ。
「この棚少し傾いてます!」
「直します」
即答だった。
数分後。
棚は元通り。
誰も驚かない。
「ありがとうございまーす!」
「いえ」
終わり。
本当にそれだけだった。
だが。
アルベルトは思わず笑ってしまう。
「なるほどな」
「何がだ?」
ガルドが聞く。
アルベルトは暖炉を見る。
笑い声。
穏やかな空気。
帰ってくる人たち。
そして。
誰にも気づかれず支えている青年。
「この宿が特別な理由だ」
「?」
皆は首を傾げる。
だが。
アルベルトだけは理解していた。
強いからではない。
S級だからでもない。
英雄だからでもない。
レインは。
誰かを支えることが自然なのだ。
王都でも。
宿でも。
変わらない。
その時。
「お待たせしました」
レインが昼食を運んでくる。
アルベルトは料理を受け取りながら小さく笑った。
「君は自覚がないんだろうな」
「?」
「いや、何でもない」
レインは首を傾げる。
そして。
また厨房へ戻っていった。
暖炉の火が揺れる。
A級冒険者アルベルト・レイヴンは確信していた。
この宿にいる青年は――
誰かが帰ってこられる場所そのものなのだと。




