第63話『思い出せない名前』
昼。
星降る宿屋には、
いつもの穏やかな時間が流れていた。
窓際の席では、
王都から来た男が静かに紅茶を飲んでいる。
暖炉前では、
ガルドたちが相変わらず騒がしかった。
「最近客増えたなー」
「お前もその一人だろ」
ユーリが呆れる。
その時だった。
ガタッ。
食堂の椅子の脚が外れた。
「あっ」
リアが慌てる。
だが。
「大丈夫です」
レインが近づき、
外れた脚を確認する。
数秒後。
カチッ。
それだけだった。
椅子は元通りになっている。
「はい」
「ありがとうございます!」
リアは笑顔で受け取った。
いつもの光景。
誰も驚かない。
だが。
「…………」
王都の男だけは違った。
修理技術。
工具なし。
無駄のない動き。
普通ではない。
その時。
「お兄さん、難しい顔してるな」
ガルドが笑う。
男は少し苦笑した。
「いや」
そして。
視線をレインへ向ける。
「彼は昔からここに?」
「いや?」
ガルドが首を振る。
「数か月前くらいだな」
「追放されて来たんですよ」
リアが何気なく答えた。
店内が少し静かになる。
王都の男の眉が動いた。
「追放?」
「はい」
リアは頷く。
「王都の騎士団からです」
暖炉の火が揺れる。
その瞬間。
男の中で何かが引っかかった。
騎士団。
追放。
灰銀色の髪。
万能な技術。
そして。
どこか見覚えのある顔。
「…………」
記憶の奥を探る。
だが。
まだ繋がらない。
すると。
「お待たせしました」
レインが料理を運んできた。
穏やかな表情。
自然な動作。
王都にいた頃の雰囲気は感じられない。
まるで最初から宿の人間だったみたいに。
「……失礼だが」
男が静かに聞く。
「名前を聞いても?」
レインは少し首を傾げた。
「レインです」
短い返事。
だが。
その名前を聞いた瞬間。
男の手が止まった。
「……レイン?」
聞き覚えがある。
いや。
知っている。
どこかで確かに。
「…………」
だが。
あと少し思い出せない。
暖炉前では、
ガルドたちが普通に食事をしている。
リアは笑っている。
ミアはパンを並べている。
誰も気づいていない。
王都の男だけが、
静かにレインを見つめていた。
そして心の中で呟く。
(まさか……)
だが。
まだ確信には届かなかった。
暖炉の火が静かに揺れていた。




