第62話『王都の噂』
朝。
星降る宿屋には、
焼き立てパンの香りが広がっていた。
王都から来た男は、
窓際の席で静かに朝食を取っている。
暖炉の火。
穏やかな空気。
朝の日差し。
「…………」
不思議だった。
昨夜は久しぶりによく眠れた。
王都では常に気を張っていた。
仕事。
人付き合い。
責任。
休んでいても、
頭の中は忙しかった。
だが。
この宿では違う。
「よく眠れましたか?」
リアが笑顔で聞く。
男は少し驚きながら頷いた。
「ああ」
そして。
「久しぶりだ」
素直な感想だった。
その時。
カラン、と扉が鳴る。
「おはよー!」
元気よく入ってきたのは、
旅商人だった。
どうやら王都方面から来たらしい。
荷物を降ろしながら、
楽しそうに話し始める。
「いやー、最近王都でも噂だぞ」
「何がですか?」
リアが首を傾げる。
「辺境の不思議な宿」
店内が少し静かになる。
「え?」
「疲れた冒険者が元気になるとか」
「眠れない人が寝れるとか」
ガルドたちが笑った。
「事実だな」
「寝れる」
「……寝れる」
ディオは今日も変わらない。
旅商人は続ける。
「あと変な噂もある」
「変な噂?」
ミリアが聞き返した。
商人は少し声を潜める。
「宿にすごい職人がいるとか」
「え?」
「料理もできる」
「修理もできる」
「建物も直せる」
暖炉前の常連たちが、
一斉にレインを見る。
「いるな」
「いる」
「……いる」
リアは思わず吹き出した。
レイン本人は平然としている。
「普通ですよ」
「普通じゃねぇ」
全員の意見が一致した。
店内に笑い声が広がる。
だが。
窓際に座る王都の男だけは、
静かにレインを見ていた。
「…………」
料理。
修理。
建築。
その言葉に、
何か引っかかる。
どこかで聞いたような。
思い出せそうで、
思い出せない。
その時。
レインが何気なく椅子の脚を直した。
ガタついていた椅子が、
数秒で元通りになる。
「ありがとうございまーす」
リアは完全に慣れていた。
だが。
王都の男は少し目を細める。
「…………」
やはりおかしい。
普通ではない。
だが。
店内の誰も気にしていない。
まるでそれが当たり前みたいに。
暖炉の火が揺れる。
星降る宿屋。
その小さな噂は、
少しずつ王都へ届き始めていた。




