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「おつかわし屋事調べ 山姫さまの涙」  作者: しきもとえいき


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第参話 辰吉と黒丸、そしてアオ

「ぶるる、ぶるるっ」


 アオはたてがみを揺らしながら小さく嘶き、ずんぐりむっくりとした体躯を揺すり、力強い前足で土を掻いた。

 気性は荒く、お市と辰吉以外の言う事は全く聞かないひねくれ者の馬だが、大変賢く勘に優れ、山犬くらい蹴散らす勇ましさを兼ね備えている。

 アオは、お市が赤子の頃からこの娘の面倒見るのは俺が役目だと言わんばかりに、つかず離れず周りにいる老馬である。

~本文より

 皆が声を聴いてあげられたら、人と獣はもっと仲良くなれるのに。ねぇ、おじい。


 ただ、お市のあっけらかんとした心根で、隠し事など上手くいくわけも無く、祖母に父母、それに家族同然の辰吉は知るところとなってはいるのだが。

 家族の皆は余所に話が漏れないようにと、よくよくこれまたお市に言って聞かせていた。

 辛うじてその秘密はまだ守られてはいるが、弟の藤次郎は姉のこの力のお蔭で、散々ぱら振り回されて、危ない思いを何度もしていた。

 姉のお市は自分の不思議な力への疑念が無いからこそ、その危うさに気付いておらず、毎度毎度腐心するのは藤次郎なのだ。


「ほら、人様の命を救うためとかさ、何のかんのと理由つけるの、あんた得意でしょ。お願い。困った姉を助けるのも孝養の一つよ」


 藤次郎はやれやれといった風で首を振った。


「姉さん、旅人の命が懸かっていたって言ったら、どうなると思う?」


「そりゃあ、心配かけるし、約束を破ったって、怒られるだろうけど……おじいに教わった通り、困った人や獣がいたら、手を差し伸べるっていう、おつかわし屋の家風に沿って、よくやったって褒めて……くれないよね。やっぱり」


 お市はだんだんと俯いて、声も小さくなっている。


「姉さんが又、それだけ危ないことに首を突っ込んだって、おっ母さんに白状しているのと一緒だよ。今回の道中だって、出る前に色々心配して、何度も釘を刺されたじゃあないか。どちらにしても上手くない」


「ぶるる、ぶるるっ」


 アオはたてがみを揺らしながら小さく嘶き、ずんぐりむっくりとした体躯を揺すり、力強い前足で土を掻いた。

 気性は荒く、お市と辰吉以外の言う事は全く聞かないひねくれ者の馬だが、大変賢く勘に優れ、山犬くらい蹴散らす勇ましさを兼ね備えている。

 アオは、お市が赤子の頃からこの娘の面倒見るのは俺が役目だと言わんばかりに、つかず離れず周りにいる老馬である。

 アオはまたその前足をがりがりし乍ら、ぶるるっとまた小さく嘶いて、お市へ何やら訴えた。

 お市は、ほっぺをやや膨らませながら、言った。


「分かってるって。もう少しくらい、良いじゃない」


 何やら面白うそうな匂いがすると、藤次郎がお市に尋ねた。


「姉さん。アオは何て言ってるんだい」


「もたもたせずに早くしろって……言ってる」


 其れを聴いて辰吉は破顔した。


「こいつはいい。流石はおつかわし屋でも古なじみのアオだな。年寄の癖に伊達に馬の群頭を張ってねぇってこった。てえしたもんだ。なぁ」


 そう声を立てて笑っている。

 辰吉は、今は亡き初次郎の右腕であり弟分でもあった。

 初次郎の息子夫婦には勿論の事、この生意気盛りの姉弟にも、この上もない慈愛溢れる厳しさを持って、一人前に仕立てようと今日も共に居るのである。


「辰じい。そんなに笑わなくても」


 お市が更にほっぺを膨らませた。

 姉ながら、存外、むくれる顔にも愛嬌があり可愛らしく器量よしである。

 藤次郎はその様子を見ていないことにしてしまうと、


「姉さん、急ぐ旅では無いとは言え、此処から二日はかかる道中なんだから、とっとと戻るが得策だろ」


 そう至極冷静に、なるべくぶっきらぼうになるように言った。

 端正な顔の眉一つ動いていない。

 お市もふむ、と鼻を抑えて考えた。

 辰吉はお市の愛らしさと、藤次郎の美少年の雰囲気に、見ものだと笑っていた。

 弟の藤次郎は兎も角として、姉のお市は自分の器量にすら気付いていない節が多々見受けられるので、辰吉はそれはそれで罪作りだなと気を揉んでいる。


「あの田口屋さんを運ぶのに、少し手間取ったものね。眼を醒ましたら、簪、簪で、全部見つけ出すのに苦労したもの」


「姉さん。主に見つけたのは、辰吉さんとおいらだけど。姉さんは、簪を探しているのか、薬種を探しているのか途中から分からなくなっていたよね」


 口を尖らせる藤次郎を、辰吉が遮った。

 喧嘩になりそうなところを絶妙な間で捌く。


「あれで、日を喰っちまったが、こればっかりはしょうがない。人助けだからな。まあ、ちょいと急ぐとするかい」


「だってよ。姉さん。いや山神様」


「一々癇に障るわねっ」


 お市は藤次郎を睨みつけた。そうして足元の、真っ黒な毛並みの、犬の顔を両の手でワシワシと撫でまわし、


「あたしの味方はあんただけよ。黒丸」


 いい笑顔で話しかけた。

 撫でられて嬉しい黒丸は、腹も撫でて貰おうと、締まりのない嬉しそうな、あぱんとした表情を浮かべて寝そべると、わんっと鳴いた。

 老馬のアオは不機嫌そうに一つだけ嘶いた。


「それじゃあ、お嬢、藤坊。戻ろうかね」


 辰吉の優しい声に促され、皆がまとまる。


「楽しかったな。またみんなで来ようね」


 お市の大きな笑顔がきらきらと煌いて、藤次郎と辰吉を朗らかにし、お市の足元を嬉しそうに跳びはねている黒丸はさらに嬉し気にわんっと答え、馬のアオは割合に冷めた目線で、注意深く守るべき群れを後ろから見つめていた。




次回、旅における細やかな嫌なことが一行に降り注ぎます。


読んでいただき有難うございます。

少しでも、楽しんでもらえると嬉しいです。

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