第壱話 お市と藤次郎
「これより江戸方から上方へとお進みになられるお歴々は、ようく御覧じろ。今からついぞ四日前に起こった事だぁっ。木曾の本道筋を少しばかり外れた脇道筋の山の中、小間物屋を営む田口屋茂平、京下がりの簪を買い付け、ほくほくで近道しようとした処、運悪く山犬の群れに出くわした。ああこれでついにお陀仏、この世とおさらばと山犬の餌になりかけた丁度その時、颯爽と現れ田口屋茂平を助けたのは何と山神様だぁ。しかもこの山神様、これまでも木曽路で彼方此方と、霊験を顕して下さっていたが、今回その御姿が初御披露目。何とっ、うら若き乙女姿で絶世の美女ときたもんだ。詳しいことはこの中にしっかりと書いてある。ささ御覧じろ、御覧じろ。買った、買ったぁ」
~本文より
「さあさあさあ、出たよ。出た出た。まあた出た」
若い読売屋の大きくて滑稽味を帯びた、のびのびとした声が宿場に響く。
場所は武蔵国豊島郡下板橋村の板橋宿である。江戸の街まで目鼻先の土地柄で、賑わっている大きな宿場町だ。
茶店出店に宿屋は勿論、商売人や武士に農民、大道芸に春をひさぐ女たち等、様々な人が通り過ぎ、ひしめき合っている。
読売屋は箱馬に乗って周りの人々へ調子よく呼びかけた。
「これより江戸方から上方へとお進みになられるお歴々は、ようく御覧じろ。今からついぞ四日前に起こった事だぁっ。木曾の本道筋を少しばかり外れた脇道筋の山の中、小間物屋を営む田口屋茂平、京下がりの簪を買い付け、ほくほくで近道しようとした処、運悪く山犬の群れに出くわした。ああこれでついにお陀仏、この世とおさらばと山犬の餌になりかけた丁度その時、颯爽と現れ田口屋茂平を助けたのは何と山神様だぁ。しかもこの山神様、これまでも木曽路で彼方此方と、霊験を顕して下さっていたが、今回その御姿が初御披露目。何とっ、うら若き乙女姿で絶世の美女ときたもんだ。詳しいことはこの中にしっかりと書いてある。ささ御覧じろ、御覧じろ。買った、買ったぁ」
威勢のいい売り文句が響き、皆が我も我もと買い求める。
読売屋も心得たもので、近くの団子屋の小娘にまで、絵草紙と銭を入れるざる籠を持たせて立たせている。後で小遣い銭でも渡すのだろう。
「一枚下さい」
目鼻立ちもぱっちりした健康的に日焼けした美少年が、白い歯を見せながらにっこりと笑いかけると小娘に手を伸ばす。
小娘はその顔にぼうっとして、買い求める他の者の手を払いつつ、絵草紙を握らせた。美少年が懐から御代を出そうとしたところ、
「いいから、持って行って」
小娘は顔を赤らめながら呟いた。
この美少年、名を藤次郎という。藤次郎は自分の見目良い事を弁えた上で小狡く立ち回り、利用している節がある。
今も小娘の眼をジッと見つめながら、
「有難う。でもそれで貴方が折檻を受けるようなことが在れば、私が悲しくなります。お代は是非受け取って下さい」
とそっと手を取り、目元涼やかな笑顔で優しくお代を握らせた。
小娘は顔を赤らめたままぼうっとしている。次に会った時には、親ですら売り飛ばすくらい入れ揚げてしまうだろう。
藤次郎は喜色満面の笑顔を浮かべたかと思うと、背を向けて振り返った際には、さも当然という顔で、ついでに小娘の心まで買い付けた絵草紙を暫く読みふけっていたが、端正な顔をしかめて、
「辰吉さん。辰吉さん」
そう、初老の長身の旅人姿の男に声をかけた。
真っ黒に日焼けした色艶のいい肌に、全くと言っていいほど似合わない白髪頭を小ざっぱりと結い上げた、精悍な顔つきの旅姿の男が振り返り、にっこりと笑顔を向けた。
「ほいよ。藤坊。どうしたい」
「辰吉さん。これを見て下さい」
と先ほど貰ってきた絵草紙を渡した。
それを読んで、辰吉はこれまた良い笑顔を浮かべ、声を立てて笑った。
「こいつはいい。良く書けてんなぁ。こりゃあ、傑作だ。絶世の美女当たりの件なんざあ、お嬢、見たら喜ぶだろう」
「いや、そうではなくて、これをまた、おっ母さんが見たらと思うと……」
藤次郎は、思い出し悪寒で背筋をぶるっと震わせた。
「下手に隠し事するから良くないだけで、正直に見せて笑いとばせりゃあそれで終い。怒られるのは一瞬、一時で済む。隠そうとするから後ろめたくなる。隠さずに誠を貫き通しゃあいいんだ。何せ悪いことしているわけじゃあ無い」
と、これまたいい笑顔を浮かべながら、辰吉は答えた。
藤次郎が何やら云おうとした時、馬の嘶きと共に、女の子の澄んだ声がした。
「辰じい、藤次郎。遅くなって堪忍。いわしやさん、評判のことだけはあって混んでいたの。でも、いい薬種を教えて貰ったから、帰ったら早速調合してみるね」
声の主は藤次郎の姉のお市である。
「これが有れば、玄さんところの牛坊も元気になるはず。あの腹下しは、気を長くもって、体力を戻してあげた方が早いんだって」
今年十四になるお市は、色白とは程遠い日焼けして真っ黒ではあるが、大きな瞳にツンとした唇が可愛らしい元気溢れる少女である。
傍らにはお市の相棒である木曽馬のアオと、足元には真っ黒な毛に金毛が混ざった甲斐犬の黒丸がいた。
お市は、牛や馬で荷駄を運ぶ馬借家業『おつかわし屋』にあって、病気や怪我をした牛馬の手当や躾などを請け負っている。
実際は、牛馬に限らず、困った人には勿論の事、野山の鳥獣にすら、細やかな愛情をもって分け隔てなく接し、薬を調合し面倒を看る、色々な意味合いで評判は近在では中々大したものなのだ。
お市の人柄に惚れ込んで、その可愛らしい容姿を見初める者も少なからずなのだが、当の本人はそのような色恋沙汰に余りにも縁遠い心持で、男勝りとはよく言ったものであった。
そんな、お市の格好と云えば、茜色の珠簪が唯一女の子らしいもので、後は紺の絣の着物と帯に股引きという男と見紛う様であるが、其の姿ですら、どことなく愛嬌があり可愛らしい。
現に天秤棒を担いだ野菜売りが微笑みながら、「せっかくの器量が勿体無ぇ」と通りすがりに声をかけるくらいである。
次回は、戻りの最中、全ての始まりのお話です。
読んでいただき有難うございます。
江戸もの ちょい不思議のはなしです。
楽しんで読んでもらえたら、本当に嬉しいです。




