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【 絶海の灯台守 】 第3話

リゼットが島に来て、二週間が過ぎた頃。


「エイダン、ねえ見て。この絵」


彼女が差し出したスケッチブックには、

灯台と、

その光を浴びる海が描かれていた。


荒々しいタッチの波の向こうに、

静かに佇む灯台の姿が、

まるで祈るように光を放っている。


「……俺の灯台か」


「そう。この光、どこか寂しくて、

それでいて誰よりも優しい。

あなたみたいだと思って」


「俺は光じゃない。ただの管理人だ」


「同じことよ。あなたが点さなければ、

この光は生まれない」


彼は言葉に詰まった。


八年間、誰にも

そんな風に言われたことはなかった。


「なあ、リゼット。

お前はいつまでこの島にいるつもりだ」


「船が直り次第、

出ていくつもりだったけど……」


「けど?」


「もう少し、ここにいたいと思ってる。

あなたの光を、もっと見ていたいから」


彼は動揺を隠すように、

レンズの点検を始めた。


手元の布が、

いつもより強く軋む音を立てた。


「……好きにしろ、と言っただろう」


「それ、さっきも聞いたわ」


「悪いか」


「ふふ、ちっとも」


その夜、二人は灯台のてっぺんで、

並んで海を眺めた。


冷たい潮風が吹き抜ける中、

遠くの水平線には、

うっすらと星々が瞬き始めていた。


「リゼット、聞きたいことがある」


「何?」


「お前、こんな何もない島の、

何もない男の、何がいいんだ」


「何もなくなんてないわ。

あなたは、誰も見ていない夜に、

誰かのために光を灯し続けている。

それって、この世で一番静かで、

一番強い愛の形だと思わない?」


彼は言葉を失った。


潮風が彼の頬を撫でていったが、

彼はそれにも気づかぬほど、

彼女の言葉に心を奪われていた。


「……俺は、愛なんて柄じゃない」


「知ってる。だから、いいの」


リゼットは彼の肩に、そっと頭を預けた。


彼女の髪から潮の匂いがした。


それは、彼がこの八年間、

毎日嗅いでいたはずの匂いなのに、

なぜかその夜だけは、

まったく違うものに感じられた。


「明日も、明後日も、あなたが

この光を点すところを見ていたい。

それが私の、

新しい絵になる気がするから」


「……勝手にしろ」


彼はぶっきらぼうに答えながら、

彼女の頭を払いのけることはしなかった。


むしろ、その重みを確かめるように、

わずかに肩を寄せた。


規則正しく明滅する灯台の光だけが、

二人の沈黙を優しく照らしていた。


「ねえ、エイダン」


「なんだ」


「あなたの光、何海里先まで届くの?」


「晴れた夜なら二十海里は届く。

この島の周りを通る船なら、

まず見逃すことはない」


「二十海里……。そんなに遠くまで、

あなたの光は誰かを守っているのね」


「大袈裟な話じゃない。ただの仕事だ」


「仕事にしては、随分と丁寧に

レンズを磨くじゃない。さっきも、

いつもより長く磨いていたでしょう」


彼は思わず彼女を見た。


図星を突かれ、

返す言葉が見つからなかった。


「……気のせいだろう」


「気のせいじゃないわ。

私、絵描きだもの。

人の手の動きは、よく見ているの」


彼は黙って視線を海へと戻した。


だが、

口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。


八年間、

誰にも見せたことのない表情だった。


「なあ、リゼット。お前の絵は、

いつも一瞬しか描かないんだろう。

なら、

俺の光みたいに毎晩変わるものを、

どうやって一枚の絵に収めるんだ」

「難しい質問ね。

……たぶん、一瞬の中に、

その日ぜんぶを詰め込むのよ。

風の強さも、波の音も、あなたの手つきも」


「俺の手つきまで描いているのか」


「ええ。今日描いた絵にも、

あなたの指先がレンズを拭う動きを、

ちゃんと入れたわ」


彼は驚いたように彼女を見た。


誰かに、

そこまで自分を見られていたことなど、

これまで一度もなかった。


「……見られていたとは、思わなかったな」


「気づかれないように見るのが、

絵描きの得意技だもの」


彼女はいたずらっぽく笑った。


その笑顔を見て、彼の胸の奥で、

何か固く凍りついていたものが、

また一つ緩んでいくのを感じた。


「エイダン、一つ約束してくれる?」


「約束?」


「もし私がいつか

この島を離れることになっても、

あなたはこの光を、

これまで通り点し続けてね。

私がどこにいても、

その光を思い出せるように」


「……当たり前だ。

それが俺の仕事だからな」


「仕事、じゃなくてもいいのに」


彼は答えなかったが、心の中では、

もはやそれが

単なる仕事ではなくなっていることを、

彼自身が一番よく分かっていた。


夜が更けるにつれ、

風は次第に穏やかになっていった。


二人は言葉少なに、

ただ並んで光の届く先を見つめ続けた。


灯台の回転する光が、

規則正しく

二人の影を海へと投げかけていた。

明朝 7:10 に投稿します。

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