【 絶海の灯台守 】 第1話
筒をくるりと回せば、
深い群青のガラス片が一つ、
他のどの色よりも静かに光を放つ。
……お聞きいただきましょう。
我が内に眠る二番目の男、
絶海の孤島に立つ灯台守が語る、
光と闇のあわいに咲いた恋の記憶を。
彼の名はエイダン。
北の海の果て、
地図にも小さくしか記されない
「白鴉島」に、
たった一人で暮らす灯台守だった。
仕事は単純だ。
日が沈めば灯りを点し、
夜が明ければ消す。
それだけの毎日を、
彼はもう八年も繰り返していた。
「別に、
寂しいなんて思ったことはない」
彼はいつも、
灯台の螺旋階段を上りながら
独り言のように呟いた。
誰もいない部屋で、
誰にともなく
返事をするのが癖になっていた。
「灯台守に必要なのは、
規則正しさだけだ。
感情なんて、
霧笛の邪魔にしかならない」
そう嘯きながらも、
彼は毎晩、
日誌にその日の波の高さと、
空の色を、
まるで詩のように書き綴っていた。
誰にも読まれるはずのない記録に、
彼は自分でも
気づかぬ孤独を注ぎ込んでいたのだ。
補給船が二ヶ月に一度届くだけの島で、
彼が言葉を交わす相手といえば、
船長のしわがれた声と、
海鳥の鳴き声くらいのものだった。
「エイダンさんよ、
あんたもたまには本土に降りて、
人と話でもしたらどうだ」
「必要ない。この光を守る者が
島を離れるわけにはいかない」
「頑固なもんだな。
……まあ、それがあんたらしいがな」
そんなやり取りを交わしながらも、
彼は毎回、
船が水平線の彼方に消えるまで
見送るのが常だった。
その年の秋、季節外れの嵐が島を襲った。
「……こんな夜に、船が出ているのか」
彼は灯台の窓から、
荒れ狂う海を睨みつけた。
轟く雷鳴の合間に、
遠くで何かが軋むような音がした。
次の瞬間、白い閃光とともに、
小さな漁船が
岩礁に叩きつけられるのが見えた。
「馬鹿な……!
こんな海況で、いったい誰が!」
彼は迷わず階段を駆け下り、
嵐の浜辺へと飛び出した。
冷たい波が全身を叩く中、
彼は瓦礫の間に人影を見つけた。
「しっかりしろ! おい、聞こえるか!」
彼が抱き起こしたのは、
ずぶ濡れの若い女だった。
長い黒髪が顔に張り付き、
唇は紫色に染まっていた。
かすかに、けれど確かに息をしている。
「……くそ、
今は感情なんて言ってる場合じゃない。
生きろ、頼むから」
彼は自分に言い聞かせるように呟くと、
彼女を抱え上げ、
灯台の中へと運び込んだ。
重い体を階段の上まで運ぶ間、
彼の腕は何度も震えたが、
彼はそれを
寒さのせいだと思い込もうとした。
暖炉の火のそばに横たえると、
彼は濡れた毛布を剥ぎ取り、
乾いた毛布を何枚も重ねて
彼女の体を包んだ。
手のひらで彼女の頬に触れると、
氷のように冷たかった。
「……頼む、目を開けてくれ」
しばらくして、
彼女はうっすらと目を開けた。
「……ここは」
「白鴉島の灯台だ。
船が座礁したのを見た。
動くな、今温かいものを持ってくる」
「……ありがとう」
かすれた声でそう言うと、
彼女はまた気を失うように眠りに落ちた。
彼はその横顔をしばらく見つめていた。
八年間、
誰にも見せることのなかった灯台の中に、
見知らぬ女が眠っている。
その事実が、なぜか彼の胸に、
規則正しい鼓動とは違う、
乱れたリズムを刻ませていた。
「……名前くらいは、
聞いておくべきだったな」
彼は小さく呟き、窓の外の、
まだ荒れ続ける海を見つめた。
灯台の光だけが、
闇の中で規則正しく明滅を続けていた。
その光の届く先で、
いったい何隻の船が今夜、
無事に岸へ帰り着けるのだろうかと、
彼は柄にもなくそんなことを考えていた。
朝方になって嵐がようやく収まると、
彼は一睡もせぬまま浜へ下り、
座礁した漁船の残骸を確かめに行った。
舵は折れ、
船体には大きな亀裂が走っている。
とても
自力で修理できる状態ではなかった。
「……次の補給船が来るまで、
この女はここに留まるしかないな」
彼は独り言のように呟きながら、
灯台へと戻った。
暖炉の前では、
彼女がまだ深い眠りの中にいた。
規則正しい呼吸の音を確かめると、
彼は少しだけ肩の力を抜いた。
「一体、何を考えていたんだ、
こんな
女ひとりで嵐の海に船を出すなんて」
彼は
そう吐き捨てるように言いながらも、
なぜかその無謀さに、
どこか惹かれるものを感じている
自分に気づいていた。
八年間、誰の顔も見ず、
誰の声も聞かず、
ただ光を点し続けてきた彼にとって、
この見知らぬ女の存在は、
規則正しい日常に投げ込まれた
たった一つの異物だった。
「……とにかく、目を覚ますまでは、
俺がこの光を守るしかない」
彼はそう自分に言い聞かせると、
いつものように点検作業へと向かった。
レンズを磨きながらも、
彼の視線は何度も、
階下で眠る
彼女の方へと吸い寄せられていった。
明朝 7:10 に投稿します。




