第5話:千の夜を越えた旋律
頭上を覆う絶望の赤が、
次々と澄み切った紺碧へと
塗り替えられていく。
「バカな……!
単身で
神罰の流星群を消滅させているだと!?」
「あのアカデミーを追放された異端者が
……いや、あれは異端などではない、
神の領域の魔導術だ!」
丘の下では、王立魔導士たちが膝をつき、
呆然と天空を仰いでいた。
世界を破滅に導くはずだった
大隕石の群れは、
エリオットが展開した
光の幾何学陣(万華鏡)に触れた瞬間、
すべて可憐な星屑へと砕かれ、
夜空を彩る光の雨へと姿を変えていく。
だが、その奇跡の代償は残酷だった。
《星召喚》——
それは星々の運行を
人の身で書き換える大術法。
技を発動するたび、
エリオットの生命力は削り取られ、
彼の髪はさらに白さを増し、
皮膚は透き通るように薄くなっていった。
視界の端から少しずつ、
世界が白くかすんでいく。
(ああ……なるほど。
そういうことだったのか)
老学者は、
迫りくる死の足音を感じながら、
どこか穏やかに悟っていた。
なぜ、エレノアは
この術法を文字ではなく
「星図と絵」で残したのか。
なぜ、彼女は最後に
『ありがとう』という言葉を残したのか。
彼女は知っていたのだ。
この術法を使えば、
施術者の命が潰えることを。
だからこそ、エリオットが
自分を追ってすぐ死を選ばぬよう、
解読に五十年という長い歳月がかかる
精巧な「愛の謎解き」として遺した。
エリオットに
「学術の探求」という生きる意味を与え、
彼が寿限を全うする
ギリギリのタイミングで
この世界を救わせるために。
(本当に……君には敵わないな。
僕の寿命まで、計算通りというわけか)
エリオットは枯れ木のような唇を緩め、
最後の魔力を絞り出した。
「回れ……最終展開。
我が命を触媒とし、空を満たせ!」
万華鏡の陣が極限まで拡大し、
天を覆っていた最後の、
そして最大の巨石を包み込む。
轟音とともに膨大な光が弾けた。
世界を焼き尽くすはずだった死の火は、
地上を照らす幾億の流星となって、
世界中の空へと降り注いだ。
破滅の危機は去った。
世界は救われたのだ。
人々が歓声を上げ、
地鳴りのような拍手が丘を包み込む中、
老学者の足から力が抜けた。
(カシャン……)
使い古された
望遠鏡に倒れ込むようにして、
エリオットはゆっくりと床に崩れ落ちた。
彼の視界はもう、
ほとんど何も映し出していなかった。
ただ、胸に抱きしめた
古びたスケッチブックの感触だけが、
彼を現実に繋ぎ止めていた。
静寂が戻った天文台に、風が吹き抜ける。
その時だった。
「……おつかれさま、エリオット」
耳元で、
鈴の転がるような可憐な声が響いた。
五十年もの間、
一度も聞くことの出来なかった、
けれど
夢の中で何度も聞き続けた「彼女の声」。
エリオットが
重い瞼をゆっくりと持ち上げると、
そこには
青ざめた老人の姿となった自分を見下ろす、
十七歳のままのエレノアが立っていた。
彼女はもう、車椅子にも乗っていない。
スケッチブックも持っていない。
ただ透き通るような笑顔を浮かべ、
小さな手をエリオットへと差し出していた。
その瞳の中には、
五十年前に見たあの夜と同じ——いや、
それ以上に美しく乱反射する、
無限の星々の光が宿っていた。
「……遅くなって、ごめんよ。エレノア」
老学者は、弱々しく手を伸ばした。
彼の腕は
すでに若き日の青年の姿へと戻り、
衰え果てた身体から解き放たれていく。
指先が触れ合った瞬間、
二人の周りに広がっていた
古い天文台の壁は溶けて消え、
そこは永遠に流星が降り注ぐ、
静寂で美しい星空の真ん中となった。
「さあ、行きましょう。
私たちの、新しい星へ」
声なき少女と、孤独だった天文学者。
ふたつの星は寄り添い合い、
眩い光の尾を引いて、
永遠の夜空へと昇っていった。
後に行方不明となった
「伝説の星詠み」の机の上には、
一冊の
スケッチブックが残されていたという。
その最後のページには、
五十年前に書かれた拙い文字の隣に、
力強い老人の筆跡で
こう書き加えられていた。
『僕の世界もまた、
君という星を中心に回っていた。
待たせてごめん、エレノア』
本日 19:10 に投稿します。




