第4話:血の空と、約束の星図
空が、
血の海のように赤く染まっていた。
太陽が沈んだわけではない。
白昼の真っ只中であるにもかかわらず、
天頂を覆う雲は
不気味な朱色に煮え立ち、
大気が鳴動していた。
「ひ、避難だ! 終末の流星雨が来るぞ!」
「神の怒りだ! 王都が焼き尽くされる!」
丘の下の街は、狂乱と悲鳴に包まれていた。
空から降り注ぐのは、
美しい流星などではない。
世界を滅ぼす災厄の巨石——
古代の文献にのみ記された
『神罰の流星群』であった。
王立アカデミーの誇る最高峰の
大魔導士たちが陣を組み、
天に向けて防御結界を
展開しようとしていたが、
その顔は絶望に歪んでいた。
巨大すぎる質量と魔力の奔流を前には、
人間の張る結界など
紙くず同然だったからだ。
しかし、丘の上の古びた天文台だけは、
異様なほどの静寂に包まれていた。
「……やかましい連中だ。
星の巡りすら理解していらん」
老学者エリオットは、
窓の外の狂乱を
冷ややかな目で見下ろしていた。
彼の肌は老い衰え、背は丸まっていたが、
その双眸だけは二十代のあの夜と同じ、
澄み切った蒼い光を宿していた。
エリオットは、
長年使い古された作業机に向かった。
机の上には、
五十年間肌身離さず持っていた
エレノアのスケッチブックが
開かれている。
五十年もの間、
彼はこのスケッチブックを
ただの思い出の品として
眺めていたわけではなかった。
天文学者としての知性と、
彼女への執念に近い愛。
そのすべてを賭けて、彼は
彼女が残した「星のスケッチ」と
「文字」を解析し続けていたのだ。
そして、ついに辿り着いていた。
彼女が描いていたのは、
単なる夜空の写生ではない。
神話の時代に失われたとされる、
星々の配置そのものを
魔力へ変換する秘術——
《星召喚》の
完璧な展開図だったのだ。
「君は、知っていたんだね。エレノア」
エリオットは、
スケッチブックの余白に描かれた、
歪な幾何学模様を指でなぞった。
彼女が声を失っていたのは、
その身体が神の言語
(星の言葉)を宿すための代償だった。
彼女は
自分が長く生きられないことを悟り、
そして未来に訪れる
この『世界の破滅』を予見していた。
だからこそ、
自分の命が尽きる最後の瞬間まで、
あの流星の夜に鉛筆を走らせ、
エリオットにこの「星図」を託したのだ。
『私の世界は、
あなたという星を中心に回っていました』
その言葉の本当の意味を、
老学者は今、完全に理解していた。
彼女の世界の中心はエリオットだった。
だからこそ、
彼が生きるこの世界を護るための力を、
彼だけに解読できる「恋文」として
残したのだ。
「五十年も待たせてしまったな。
解読に時間がかかりすぎた
……僕を嗤ってくれて構わないよ」
エリオットは自嘲気味に微笑むと、
ゆっくりと立ち上がった。
彼は
錆びついた観測用望遠鏡の前に立ち、
その照準を赤く染まる天頂へと合わせる。
そして、古びた杖など持たず、
ただ両手を天へと掲げた。
空から、
第一波となる巨大な赤熱の隕石が、
爆音を立てて落下の途に就いた。
王都の誰もが目を閉じ、
死を覚悟したその瞬間。
老学者の口から、澄んだ詠唱が紡がれた。
「——回れ、万華鏡。
彼女の瞳が記憶した、あの夜の美しき配置へ」
エリオットの体内から、
五十年かけて蓄積された膨大な魔力と、
老体には不釣り合いなほど苛烈な
「愛」が解き放たれた。
天文台のドームを中心に、
半径数キロに及ぶ
巨大な魔法陣が空に展開される。
それは、
幾何学的に配置された光の幾何学模様——
まさに、
万華鏡を覗き込んだときに広がる、
圧倒的で精密な「美」そのものだった。
落ちてくる巨大な隕石群が、
その光の幾何学陣に接触した瞬間。
破壊の衝撃音は響かなかった。
巨石は一瞬にして
青白い光の粒へと分解され、
まるで五十年前のあの夜のように、
無害で美しい流星の雨となって
夜空へ散っていったのだ。
「な……なんだ!? 隕石が……消えた!?」
「丘の上の
……あの老いぼれの天文台から光が!?」
街の人々が、
王立アカデミーの魔導士たちが、
開いた口が塞がらない様子で
丘の上を見上げる。
だが、エリオットには
そんな歓声など届いていなかった。
彼の視界の中で、赤い空が
青澄んだ星空へと塗り替えられていく。
幾重にも重なる光の反射の向こう側——
流星の雨が降り注ぐ世界の中心に、
彼は見た。
スケッチブックを抱き、
あの頃と変わらない
無垢な笑顔で自分を見つめる、
黒髪の少女の幻影を。
「さあ、エレノア。二回目の流星群だ。
……今度は、僕も一緒に見よう」
老学者は優しく微笑み、
二度目の奇跡を起こすべく、
再びその手を高く掲げた。
明朝 7:10 に投稿します。




