第四十九話 母との別れ、新たな旅立ち
馬を走らせ、息を切らせて帰ってきたアルフォンス。
途中で追いついたヘカテーとリリエルと共にローゼベルへと帰還した。
アルフォンスは一目散に家へと駆け出し、リリエルは遅れてついてきた。
ヘカテーは流石に着いていくのを躊躇して一度家に戻るという
「お帰りなさい、アルちゃん」
ベッドから体を起こそうとしているエレナを寝かせて
アルフォンスは椅子に座る
「母さん、父さんからの手紙を見て心配して戻ってきたんだよ」
力無い笑みを浮かべて
「そうねぇ、あの人には感謝だわ、最後にアルちゃんの顔を見てお喋りできたんだもの」
「最後だなんて、そんなこと言わないでよ……」
アルフォンスは、エレナの手を両手で握りしめる。
「まだまだ生きてよ」
「僕、もっと母さんと一緒にいたい」
涙が頬を伝う。
エレナはそんな息子を、優しく見つめる。
「アルフォンス」
「……なに?」
「よく聞きなさい」
「あなたは、こんなところでつまずいている人じゃありません」
「僕は……母さんがいないと……」
「大丈夫」
エレナは弱々しく、それでも確かな声で言う。
「私は、あなたを信じているわ」
「あなたの優しさは、この大陸の人たちにとって、きっと大切なものになる」
「あなたにしかできないことがあるの」
アルフォンスは首を横に振る。
「そんなの……分からないよ」
「ええ」
エレナは微笑む。
「今は分からなくてもいいの」
「だから、探しに行きなさい」
「あなたも旅に出て――」
「楽しかったこと、あったでしょう?」
アルフォンスの脳裏に、冒険者として出会った人たちの笑顔が浮かぶ。
一緒に食べた飯。
一緒に歩んだ旅路。
そして、まだ見ぬみらいの冒険の話。
「……うん」
「やりたいことも、見つかったでしょう?」
「……うん」
「なら、それを大切にしなさい」
エレナは息子の手を、弱い力で握り返す。
「あなたの人生は、私のためにあるんじゃないわ」
「あなた自身のためにあるの」
「だから――」
「いつか、胸を張って帰ってきなさい」
「その時まで、私はあなたを信じているから」
ここでアルフォンスが泣きながら、
「……嫌だよ。母さんにも、その旅を見ていてほしい」
と言ったら、さらに刺さる。
そしてエレナが、
「ええ。見ているわ。どこにいても、あなたの母親だもの」
エレナは、アルフォンスの手を握ったまま、ふと扉の方へ目を向けた。
「……リリエルちゃん」
「そばにいるんでしょう?」
扉の向こうから、静かな声が返る。
「はい」
ゆっくりと、リリエルが部屋へ入ってくる。
アルフォンスは涙を拭いながら振り返った。
「リリエル姉さん……」
エレナは、そんな二人を見て微笑む。
「リリエルちゃんには、昔から私は無茶ばっかりさせたわね」
「そんな……」
「でもね」
エレナは少しだけ息を整える。
「それでも、あなたはこの子のことを大好きになってくれた」
リリエルは何も言わない。
ただ、アルフォンスを見る。
「私にも、そう見えるの」
「だから……きっと、あなた自身も分かっているんでしょう?」
リリエルの目に、涙が浮かぶ。
「……はい」
エレナは安心したように笑う。
「なら――」
「この子をお願いね」
「……」
リリエルはアルフォンスの隣まで歩いてくる。
そして、そっとその手を握った。
「はい」
「お任せください」
「私が……ずっと、この子のそばにいます」
アルフォンスが泣きながらリリエルを見る。
「リリエルさん……」
「大丈夫ですよ、アルちゃん」
リリエルは微笑む。
「私は、ずっとあなたのそばにいましたから」
エレナは二人を見つめながら、静かに目を細める。
「……そうね」
「あなたなら、大丈夫」
そして――
母親として最後に託す。
「この子をお願い」
「……エレナさん」
リリエルが、静かに口を開く。
「もしも……」
少しだけ言葉に迷う。
「もしも、エレナさんがまだ生きたいと願うのなら」
「私は、手助けすることができます」
アルフォンスが顔を上げる。
「リリエル姉さん……?」
エレナはしばらくリリエルを見つめていた。
そして――
「ごめんね、リリエルちゃん」
優しく笑った。
「前にも言ったかもしれないけれど……」
「私は、人として最後まで生きるって決めているの」
リリエルの目が揺れる。
「……でも」
「だからこそ、ありがとう」
エレナは、リリエルの手をそっと握る。
「私のために、そう言ってくれたこと」
「私を助けたいと思ってくれたこと」
「全部、嬉しいわ」
「……エレナさん」
「だから謝らないで」
エレナは穏やかに微笑む。
「私は、自分の人生をちゃんと生きてきたもの」
「アルちゃんにも出会えた」
「あなたとも出会えた」
「たくさん笑ったし、たくさん幸せだった」
「だから――」
「最後まで、私らしく生きさせてちょうだい」
リリエルは俯き、涙をこらえる。
やがて小さく頷いた。
「……はい」
「分かりました」
エレナは微笑む。
「ありがとう、リリエルちゃん」
そしてアルフォンスの手を握る。
「この子のこと……お願いね」
リリエルは今度こそ、迷わず答えた。
「はい」
「必ず」
エレナは、アルフォンスとリリエルを見つめながら、ふっと笑った。
「私、果報者だわ」
「こんなに優しい子……」
アルフォンスの髪を、そっと撫でる。
「誰にでも手を差し伸べられる子に育ってくれて」
「そして、そんなあなたを支えてくれる素敵なお友達がいる」
エレナはリリエルを見る。
「それも……2人も」
「……母さん」
アルフォンスが少し照れたように呟く。
エレナは首を横に振る。
「いいの」
「私はね」
少しだけ嬉しそうに目を細める。
「あなたたち三人が、いつも並んでいるのが好きだったわ」
アルフォンス。
リリエル。
そして、ヘカテー。
三人で笑っている姿。
時々喧嘩をしたり。
出かけたり。
何気ない時間を過ごしたり。
そんな光景を、エレナは何度も見てきた。
「きっと、これからも……」
「三人でいれば、大丈夫ね」
アルフォンスは涙を拭う。
「……うん」
リリエルも、静かに頷いた。
「はい」
エレナは二人の手を、それぞれそっと握る。
「だから……」
「これからも仲良くするのよ?」
その言葉に、アルフォンスは涙を浮かべながら笑った。
「もちろんだよ、母さん」
そしてリリエルも微笑む。
「ええ」
「ずっと――三人で」
病室に、静かな笑顔が広がった。
エレナは、涙を浮かべるアルフォンスの頬にそっと手を添えた。
「アルちゃん」
「あなたは、一人じゃないわ」
アルフォンスは、黙って母を見る。
「きっとこれからも、あなたのそばには誰かがいてくれる」
「あなたを支えてくれる人がいる」
「だからね――」
エレナは優しく微笑んだ。
「そんなあなただからこそ」
「寂しい誰かのそばに、立ってあげられる人になってね」
「……うん」
アルフォンスの声が震える。
エレナは、その頭をそっと抱き寄せる。
「アルフォンス」
「私の息子」
「……愛しているわ」
「母さん……」
アルフォンスは堪えきれず、母の胸に顔を埋めた。
エレナは何も言わず、ただ優しく抱きしめる。
その姿を、リリエルは静かに見守っていた。
そして――
この日、アルフォンスの心に刻まれた母の言葉は、いつか彼自身が誰かに手を差し伸べるとき、その背中を押す言葉になる。
「あなたは、一人じゃない」
その言葉とともに。
それから数日後、エレナは家族に見守られながら息を引き取った。
領民を愛し、家族を愛し愛された、
陽だまりのような女性だった
その死に、多くの人が悲しみ涙した。
そして最後のお見送りをする静かな葬送の場。
エレナを囲むように、家族や親しい者たちが集まっていた。
リリエルが一歩前へ出る。
いつもの穏やかな笑顔を浮かべながら、
それでも目には涙を滲ませていた。
「エレナさんは――」
「優しさとともに、いつも私たちを明るくしてくださる、素敵な女性でした」
リリエルは静かに目を閉じる。
「私は、何度も彼女に救われました」
「エレナさんの人生は、たくさんの人を明るく照らし……」
「その笑顔は、私たちの心に灯りを残してくださいました」
そして、アルフォンスを見る。
「だから――」
「次の生でも、どうか明るく、健やかに生きられますように」
リリエルは火を見つめる。
「これより、お体に火を灯します」
「お体は灰となり、大地へ還ります」
「そして大地へ還ったものは、新しい命を育む糧となる」
「命は巡り、想いもまた巡っていく」
「それを、私たちは――」
一度、言葉を区切る。
「輪廻と呼びます」
静かに火が灯される。
炎が、ゆっくりとエレナを包んでいく。
リリエルは涙を拭うことなく、最後まで見届ける。
「エレナさん」
「どうか、次の生でも幸せに」
そして――
「また、お会いしましょう」
アルフォンスは、ただ黙って母を見つめていた。
立ち上る青い炎の柱と立ち昇る煙の中で
その瞳から、静かに涙が零れていた。
そして数日後も
アルフォンスは悲しみから抜け出せないでいた
リリエルはヘカテーを連れてアルフォンスの元を訪れた。
ヘカテーはただ、アルフォンスの手を握り、離さないでいた。
何も言わずにそばにいてくれる2人に
アルフォンスは弱音をこぼした。
アルフォンスは、俯いたまま涙を流していた。
「……寂しい」
その言葉が、ようやく口からこぼれた。
「母さんがいないのが……寂しいよ」
リリエルは何も言わず、隣に座る。
アルフォンスの頭を、そっと抱き寄せる。
「泣いていいんですよ、アルちゃん」
「……でも」
「今だけは、我慢しなくていいんです」
アルフォンスは、リリエルの胸元で泣いた。
しばらくして、リリエルが静かに口を開く。
「私ね」
「エレナさんにお願いされたから、あなたのそばにいるんじゃありません」
アルフォンスが顔を上げる。
「……え?」
リリエルは微笑む。
「私は、私があなたのそばにいたいからいるんです」
「エレナさんに頼まれたからでも」
「義務だからでもありません」
「私自身が――」
アルフォンスの手を握る。
「アルちゃんのそばにいたいんです」
「だから、これからも一緒にいます」
アルフォンスの目から、また涙がこぼれた。
でも今度は――
ほんの少しだけ、笑っていた。
ヘカテーも
「私も…ずっと一緒…だよ」
「こうしてアルちゃんが1人で行ってしまわないように手を掴んでるから」
リリエルは、涙を拭ってあげながら、少しだけ笑った。
「ずっと一緒って言ったでしょう?」
「……うん」
「だから、私はここにいます」
アルフォンスは、まだ涙の跡を残したままリリエルを見る。
リリエルは少し照れたように目を逸らす。
「それに……」
「私、今までこんなに親しくなった男性って、いなかったんですよ?」
「……そうなの?」
「ええ」
「だから――」
リリエルはアルフォンスの手を握る。
「私をここまでにした責任、取ってくださいね?」
「……責任?」
アルフォンスがきょとんとする。
リリエルは、くすっと笑う。
「ええ」
「これからも、私をあなたの隣に置いてください」
「一緒に笑って、一緒に泣いて」
「時には喧嘩して……」
そして、優しく微笑む。
「ずっと、私にあなたのそばにいる理由をください」
アルフォンスはしばらく黙っていた。
やがて――
「……うん」
小さく頷く。
「僕も、リリエル姉さんにもヘカテーちゃんにもずっとそばにいてほしい」
「ふふ」
リリエルは嬉しそうに笑った。
「それなら、責任を取ってもらえそうですね」
アルフォンスも、泣きながら笑う。
母を失った寂しさは消えない。
けれど――
自分の隣には、まだ誰かがいる。
エレナが最後に教えてくれたことを、アルフォンスは少しずつ理解し始めていた。
「改めてよろしくね、アルちゃん」
「これからもよろしく」
「うん」
そして、新たな旅立ちの日
アルフォンスは、母の眠る場所を静かに見つめた。
「母さん」
しばらく黙ったあと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「僕はこれから――」
「手の届く距離で、自分のできることをやっていくよ」
「無理はしない」
自分に言い聞かせるように、もう一度。
「ちゃんと、自分のことも大事にする」
そして、少しだけ後ろを振り返る。
そこには、リリエルとヘカテーがいる。
二人とも、何も言わずにアルフォンスを見守っていた。
「僕のそばにいてくれる人もいるから」
アルフォンスは涙を拭う。
「だから――」
「頑張るよ、母さん」
小さく笑う。
「見ていてね」
そして最後に、静かに呟く。
「……またね」
アルフォンスは立ち上がった。
振り返る。
そこには、いつもの二人がいる。
「行こう」
三人が歩き出す。
教会を出ると――
門の向こうに、腕を組んで待っている男がいた。
「……おう」
ガルドだった。
「ガルドの兄貴?」
「待ってたぜ」
ガルドはニヤリと笑う。
「そろそろだと思ってな」
「まあ、リリエルの嬢ちゃんから連絡をもらってたんだがよ」
「……そうだったんですね」
「お前が落ち着くまで待ってた」
アルフォンスは少し驚いたあと、笑う。
「ありがとうございます」
ガルドはアルフォンスの肩を叩く。
「礼なんざいらねえ」
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「お前は――」
「前を見れる男だ」
アルフォンスは、母のいた場所を一度だけ振り返る。
そして前を向く。
「……はい」
「行きましょう、兄貴」
ガルドが笑う。
「おう!」
その隣にはリリエル。
反対側にはヘカテー。
そして前には、これから始まる旅がある。
母からもらった「またね」を胸に――
アルフォンスは歩き出した。
ここまで読んでいただきありがとございます。
第四十九話、アルフォンスにとって大切な人との別れのお話でした。
優しい母親だったエレナ。
アルフォンスにたくさんの愛情を与え、最後には「あなたは一人じゃない」と伝えてくれました。
その言葉の通り、アルフォンスの隣にはリリエルやヘカテーをはじめ、これまで出会ってきたたくさんの仲間たちがいます。
悲しい別れではありますが、エレナから受け取った想いを胸に、アルフォンスはこれからも自分のできることを一歩ずつ探していきます。
そして、ここから物語は少し時間が進みます。
少年だったアルフォンスも、やがて大人へ。
これまで出会った人たちとの繋がりを胸に、新たな旅が始まります。
旅の先で、どんな人と出会い、どんな「おかえり」を迎えることになるのか。
アルフォンスのこれからを、どうか見守っていただければ嬉しいです。
旅人の皆様、次の物語でお会いしましょう。




