第四十六話 2人の帰り道
そして翌朝。
アルフォンスたちは、ギルドに集まっていた。
アルフォンスのパーティーだけではない。
サンドラのパーティーも揃っている。
マーガレットは、集まった全員を前にして、深く頭を下げた。
「皆様。本日は私たち親子のために、お時間をくださってありがとうございます」
顔を上げ、柔らかく微笑む。
「これからしばらく、私どもの故郷までお付き合いください」
「護衛料につきましても、皆様それぞれに十分お支払いさせていただきますので、ご安心ください」
「はい!」
アルフォンスが元気よく返事をする。
こうして、マーガレットとデイジーの故郷――ノルドグラムへ向けて、護衛の旅が始まった。
今回は大人数ということもあり、移動には馬車を使うことになった。
二頭立ての馬車。
前に座るのはアルフォンスとゲイル。
「俺たちが先行して、道と周囲を確認する」
「はい。お願いします」
斥候とマッパー。
二人が前を行くことで、道中の安全を確認していく。
そして馬車の中には、ヘカテーとリリエル。
二人がマーガレットとデイジーに付き添うことで、馬車の中にも安心できる空気が流れている。
左右には、それぞれ馬に乗ったサンドラとシャロ。
そして最後尾には、ガルドがついている。
まるで、小さな護送隊だった。
「……あの」
マーガレットが、少し申し訳なさそうに周囲を見渡す。
「私たちを送るのに、ここまでしていただかなくても大丈夫ではありませんか?」
するとリリエルが、ほわほわとした笑顔を浮かべた。
「大丈夫ですよ」
「お友達のために、みんなで力を貸してるだけですから」
「どうせみんな協力してくれるんですから。ここまでやったって、馬車には当たりませんよ」
「……ふふっ」
マーガレットは思わず笑ってしまった。
「ありがとうございます」
その隣では、デイジーが嬉しそうに窓の外を眺めている。
「みんな一緒だね!」
「ええ」
マーガレットも微笑む。
「みんな一緒ですよ」
馬車がゆっくりと動き始める。
目指すは、北。
マーガレットとデイジーの故郷。
そして――
アルフォンスたちにとっても、新しい出会いの待つ場所へ。
それからの旅は、驚くほど穏やかなものだった。
突然、魔物に襲われることもない。
強盗が現れることもない。
危険な出来事など一度も起こらず、安全な旅路が続いていた。
もちろん、だからといってずっと馬車を走らせているわけではない。
疲れれば休み、昼になれば食事を取り、途中で町に立ち寄れば、みんなで休憩する。
そして――
「今日は僕が作りますね」
アルフォンスが料理を始めれば、
「アルフォンスお兄ちゃん、何作るの?」
デイジーが嬉しそうに覗き込む。
「秘密だよ」
「えー!」
そんなやり取りをしながら、みんなで食卓を囲む。
アルフォンスの料理に舌鼓を打ちながら話をしたり、途中で寄った町をみんなで見て回ったり。
今までしたことのない、大勢での旅だった。
そして、その旅を一番楽しんでいたのは――
「ねえねえ! 次はどこに行くの?」
デイジーだった。
朝から晩まで、ずっと楽しそうにしている。
誰かと手を繋いで歩き。
誰かと笑い。
誰かと食事をして。
疲れれば馬車の中で眠る。
目を覚ませば、また嬉しそうに笑う。
そんなデイジーの姿を、マーガレットは何度も眺めていた。
そして、ある日の休憩中。
「皆様……」
マーガレットが、みんなに向かって頭を下げる。
「本当にありがとうございます」
「どうしたんですか?」
アルフォンスが首を傾げる。
マーガレットは、少し遠くでみんなと楽しそうに話しているデイジーを見つめた。
「あの子が、こんなに笑顔になるなんて」
「それも……」
マーガレットは、嬉しそうに微笑む。
「誰かを気遣っての笑顔じゃないんです」
「心からの笑顔なんです」
「それが見られて……私は、とても嬉しいです」
アルフォンスは、少しだけ目を細めた。
そして、いつものように穏やかに笑う。
「気にしないでください」
「僕たちは、やりたくてやってるだけですから」
「だって――」
アルフォンスは、みんなの方を見る。
楽しそうに笑うデイジー。
それを見守るマーガレット。
そして、一緒に旅をしている仲間たち。
「友達と一緒に、ワイワイしながら歩いた方が楽しいじゃないですか」
「……」
マーガレットは、しばらく何も言えなかった。
やがて――
「……そうですね」
小さく笑う。
「本当に……そうですね」
その言葉を聞いたデイジーが、こちらを振り向いた。
「お母さん!」
「なあに?」
「早く行こうよ!」
「はいはい」
マーガレットは立ち上がる。
その顔には、穏やかな笑顔が浮かんでいた。
そして一行は、また歩き始める。
北へ。
みんなで笑いながら。
ゆっくりと、故郷へ向かって。
その夜。
一行は森の近くで野営をしていた。
みんなが眠りについたあとも、アルフォンスは一人、焚き火の番をしていた。
ぱちぱちと薪が爆ぜる音。
夜の森を吹き抜ける、静かな風。
アルフォンスは火を眺めながら、うとうとと舟を漕いでいた。
「……ん?」
その時だった。
森の奥で、何かが光った。
「……なんだろう?」
小さな光。
それが、少しずつこちらへ近づいてくる。
キラキラと輝きながら、夜の森を飛んでいる。
まるで青い光の軌跡を残しているようだった。
「……蝶?」
目の前まで近づいてきて、ようやくその姿が見えた。
小さな青い蝶。
「蝶かぁ……」
アルフォンスは、ぼんやりとそれを眺める。
「確か、マーガレットさんの話じゃ、この辺りでは蝶なんてほとんど見ないんだよな」
珍しいな。
そう思った、その瞬間。
蝶はアルフォンスの目の前を横切り――
そのまま、夜空へ舞い上がった。
そして、月へ向かうように飛んでいく。
「……綺麗だなあ」
アルフォンスは、しばらくその姿を見送った。
「珍しいこともあるもんだなあ」
そして、それ以上気にすることもなく、再び焚き火へ視線を戻した。
その夜の出来事は、それだけだった。
――翌朝。
「……え?」
マーガレットは、目を丸くしていた。
「アルフォンスさん……今、なんと?」
「え?」
「導きの蝶に……出会ったんですか?」
「導きの蝶?」
アルフォンスは首を傾げる。
「それが、あの蝶なんですか?」
「はい」
「マーガレットさんがおっしゃっていたように、この辺りじゃ青い蝶は珍しいんですよね」
アルフォンスは昨夜のことを思い出しながら話す。
「だから、珍しい蝶を見たなあ……くらいに思っていたんですけど」
「……」
マーガレットは、しばらく言葉を失っていた。
そして――
「珍しいなんてものじゃないですよ」
その声には、明らかな興奮が混じっていた。
「私、生まれてこのかた、故郷の近くで青い蝶を見たことなんて、ほとんどありません」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ」
マーガレットは頷く。
「まして……導きの青い蝶なんて」
少しだけ目を輝かせる。
「伝説だと思っていましたよ」
「伝説……」
アルフォンスは、ぽかんとした顔をする。
「そんなに珍しい蝶だったんですね」
「……はい」
マーガレットは、アルフォンスを見つめる。
そして――
「ああ……やっぱり、アルフォンスさんは……」
そこまで言って、口を閉ざした。
「……?」
アルフォンスは、不思議そうにマーガレットを見る。
「どうかしましたか?」
「……いえ」
マーガレットは、柔らかく微笑んだ。
「なんでもありません」
けれど、その胸の奥では――
昨夜、青い光を纏って月へと飛んでいった蝶の姿が、何度も蘇っていた。
道を行き、丘を越え――
ついに一行は、眼前いっぱいに広がる大きな森を目にした。
そして、その森を背にするように広がる町。
マーガレットたちの故郷、ノルドグラムだった。
「うわぁ……自然豊かなところなんですね」
思わず感心したような声を漏らすリリエル。
マーガレットは、そんな故郷の景色を眺めながら、穏やかに微笑んだ。
「ええ。この町で行われている絹織物の産業は、その多くを町の後ろにある恵みの大森林に支えてもらっています」
「この森から採れるものだけではありません」
「森に暮らす虫たちからも、たくさんの恩恵を預かって、私たちは生きているんです」
マーガレットは森へ目を向ける。
「世の中には、木を切ってしまえばいい、虫なんていなくてもいい――そう考える人もいるかもしれません」
「でも、私たちノルドグラムの人間からすれば……」
少しだけ笑って、
「ここに住む虫たちや、森の生き物たちも、私たちと一緒に生きる仲間なんです」
「だからこそ、一緒に生きていける」
「私は、そう思っています」
「……いい考えじゃない」
シャロが満足げに頷いた。
「そうね」
サンドラも、森を眺めながら頷く。
「そういう土地柄なのかしらね」
そして、マーガレットへ視線を向ける。
「だからマーガレットさんも、そんなに穏やかな人なのかもしれないわね」
「……ふふっ」
マーガレットは少し照れたように笑った。
「そうだとしたら……嬉しいですね」
「私たちが取り扱っている絹は、この森からもたらされる天然のものなんです」
マーガレットは、誇らしげに森を見上げた。
「一般的には、絹の素材になる蚕を人の手で育て、養殖していくのが普通でしょう?」
「でも、私たちは違います」
「この森に生きる虫たちから、自然のままに恵みを分けてもらっているんです」
マーガレットは、少しだけ胸を張る。
「だからこそ、他のどんな土地にも負けない、胸を張って誇れるシルクを作ることができるんですよ」
その表情には、商人としての自信だけではない。
生まれ育った故郷への、深い誇りが滲んでいた。
アルフォンスは、ふと疑問に思った。
「でも……」
森を見ながら、マーガレットに尋ねる。
「そんなにいいものが取れるなら、この森って狙われてもおかしくないんじゃないですか?」
「……危なくないんですか?」
するとマーガレットは、優しく微笑んだ。
「確かに、この森から採れるものは貴重です」
「だからこそ、そう考える方もいるでしょうね」
そう言ってから、マーガレットは森の奥へ視線を向ける。
「でも、この森に危険なんてありませんよ」
「……え?」
アルフォンスが目を丸くする。
「この森には、守護してくださる主がいますから」
「主?」
「ええ」
マーガレットは、まるで昔から知っている大切な存在を語るように、穏やかに答えた。
「グランベリルモス様」
「私たちが取り扱っている蚕たちの長……
私たちはあの方をーーー
翠蚕の女王様とお呼びしています」
「……翠蚕の女王様?」
アルフォンスは森を見上げた。
深い森の向こう。
そのさらに奥に、一体どんな存在がいるのだろう。
そんなことを考えながら、アルフォンスは首を傾げた。
「私たちのご先祖様は、ずっとこの森と共に生きてきたんです」
マーガレットは、森を見つめながら穏やかに語った。
「私たちは、今もその恩恵に生かされています」
「だからこそ、ほんの少しだけですけれど……恩返しをしているんですよ」
「蚕たちに必要なものを与えたり、外敵が森へ入り込まないようにしたり」
「私たちが森からいただいているものに比べれば、本当に小さなことですけれどね」
マーガレットは、優しく微笑む。
「そうやって森と共に生きてきたからこそ、私たちはこの土地の絹を大切にしているんです」
「蚕たちは種類によって、生み出す糸の色も違います」
「それぞれの蚕が生み出す、自然のままの色を持ったシルクです」
「他の町でも、それを真似しようとして、蚕の餌を変えて糸に色をつける工夫をしているそうですけれど……」
そこでマーガレットは、少しだけ胸を張った。
「私たちノルドグラムのシルクは――絶対に負けません」
その言葉には、商人としてではなく。
この森と共に生きてきた、ノルドグラムの人間としての誇りが込められていた。
「それでは、もう少しで到着しますね」
マーガレットは、嬉しそうに町の方を見つめた。
「今日は我が家で、お祝いさせてください」
そう語るマーガレットの後ろで――
デイジーは、そっと母親の影に隠れるように歩いていた。
楽しかった旅も、もうすぐ終わる。
みんなと一緒に過ごした時間も、もうすぐ終わってしまう。
そう思うと、デイジーは少しだけ寂しそうな顔をしていた。
ここまで読んでいただきありがとございます。
今回は、マーガレットとデイジーの故郷、ノルドグラムへ向かう旅のお話でした。
大きな事件は起こりませんでしたが、みんなで一緒に旅をして、食事をして、笑って過ごす。
そんな時間そのものが、今回の旅の一番大切な出来事だったのかなと思います。
そして、旅の途中でアルフォンスが出会った青い蝶。
ノルドグラムでは「導きの蝶」と呼ばれている、特別な蝶です。
アルフォンス本人は「珍しい蝶を見たなぁ」くらいにしか思っていませんが……マーガレットは、どうやら少し違う意味を感じているようですね。
そして、ついに到着したノルドグラム。
森と共に生き、虫たちから恵みを受けながら暮らしてきた、この町ならではの文化も少しずつ描いていきたいと思います。
そして、その森を守る存在――
「翠蚕の女王」と呼ばれるグランベリルモス。
彼女がどんな存在なのかも、これからのお楽しみです。
楽しかった旅が終わることを、少し寂しく感じているデイジー。
果たしてノルドグラムで、どんな時間が待っているのでしょうか。
旅人の皆様、次の物語でお会いしましょう。




