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第十九話 私の気持ち、繋ぐ想い

とある日のグラディウス家のキッチンにて


「リリエルちゃん、そっちのお鍋、火を少し弱くしてもらえる?」


「はい。これくらい?」


「そうそう。ありがとう」


グラディウス家の広いキッチン。


二人並んで料理をしている。


「それにしても……」


エレナが、ふとリリエルの横顔を見る。


「リリエルちゃん」


「はい?」


「昔から綺麗だったけど、ここ最近は本当に綺麗になったわね」


「……エレナさん」


リリエルが少し困ったように笑う。


「私はずっと大人の女性です」


「あら、ごめんなさい」


エレナは楽しそうに笑う。


「そういう意味じゃないのよ」


「リリエルちゃんが子供だって言ってるんじゃなくてね」


包丁を置き、少し懐かしそうにリリエルを見る。


「初めてあなたに会った頃と比べると……ずいぶん表情が柔らかくなったと思うの」


「……そうでしょうか」


「ええ」


「昔はもっと、どこか張り詰めていたでしょう?」


リリエルは少し考える。


「……そうだったかもしれません」


「でも今は、アルフォンスやヘカテーちゃんといる時、とても楽しそう」


「……」


「それがね」


エレナが微笑む。


「うちの子の影響だったら、母親として嬉しいわ」


リリエルが少しだけ頬を赤くする。


「アルちゃんが……私を?」


「ええ」


「それだけじゃなくて、あなたもあの子を変えたと思うわ」


「……私も?」


「もちろん」


エレナは鍋を覗き込みながら続ける。


「アルフォンスは昔から優しい子だったけど……」


「最近は、人の気持ちを考えて行動することがますます増えたもの」


「それにね」


「最近では、私の知らない料理まで作るようになったでしょう?」


リリエルが笑う。


「そうなんです」


「私の知っている料理は大体教えたんですけど、最近は逆に私が教えてもらっているんですよ」


「あらまあ」


エレナが嬉しそうに笑う。


「本のレシピを読んだり、家族の故郷の料理を調べたりしているみたいで」


「ふふ……」


「料理まで覚えて」


「本当に立派な男の子になったわね」


リリエルも頷く。


「ええ……」


二人の間に、穏やかな沈黙が流れる。


そしてエレナが、ぽつりと言う。


「……あの子がどれだけ大きくなったって」


「私は、あの子の母親なんだから」


リリエルはその言葉を聞いて、静かに微笑んだ。


その時、エレナは少しふらつき、台に手をついた。


「エレナさん!大丈夫?

顔色が良くないわ。休まないと。」


「大丈夫よ。

最近疲れてくるとこうなるの。

華燐ちゃんからもらった東方のお薬も飲んでるし、

すぐに良くなるわ。」



「ねぇ、リリエルちゃん、

私に何かあったら、あの子をお願いできる?」


「縁起でもないこと言わないで」


「ふふ、ごめんなさい」


エレナは穏やかに笑う。


「でもね、リリエルちゃん」


「母親っていうのは、いつまでも子供の将来を心配するものなのよ」


「あの子が十歳でも、二十歳でも……きっと同じ」


「転んだら大丈夫かしらって思うし、悩んでいたら力になってあげたいと思う」


「それに、私がいなくなった後のことだって……少し考えてしまうのよ」


「でも、まだまだ私も生きるつもりよ?」


そう言って、エレナは笑う。


「だからこれは、別れの準備じゃないわ」

母親っていうのは、いつまでも子供の将来を心配するものなのよ」


「あの子がどれだけ大きくなったって、

きっと私は、あの子がちゃんとご飯を食べているかとか、無理をしていないかとか……そんなことばかり心配するんでしょうね」


「ふふ……母親の愛は無限なのよ」




「……エレナさん」


「なあに?」


「私……最近、少し怖いんです」


エレナの手が止まる。


「アルちゃんとヘカテーちゃんが並んでいるところを見ると……」


「二人とも、本当に幸せそうで」


リリエルは小さく笑う。


「それを見るのは、嬉しいんです」


「ヘカテーちゃんが笑えるようになったことも」


「アルちゃんがあんなに大きくなったことも」


「全部、嬉しい」


それでも――


「……私、もう必要ないんじゃないかって」


声が震える。


「昔は、二人とも私の後ろについてきてくれました」


「何かあれば私を頼ってくれた」


「でも今は……」


「アルちゃんは自分で何でもできるようになって」


「ヘカテーちゃんにも、大切な人ができた」


「だから……」


「私がいなくても、二人はちゃんと歩いていけるんじゃないかって」


エレナは何も言わず、リリエルの手を握る。


「……馬鹿ね」


「……はい」


「そんなことで悩んでいたの?」


リリエルは少しだけ俯く。


「……はい」


「私、二人のことが大好きだから」


「ずっと一緒にいたいんです」


「でも、大きくなった二人の邪魔をすることはしたくなくて……」


エレナは優しく笑う。


「リリエルちゃん」


「あなたは、あの子たちの手を引いて歩く人じゃなくてもいいのよ」


「……え?」


「隣を歩けばいいの」


「転びそうになったら、見守ってあげればいい」


「助けを求められた時だけ、手を差し伸べればいい」


「それでもあなたは、あの子たちのお姉ちゃんでしょう?」


リリエルの瞳が潤む。


「……はい」


「それにね」


エレナは少しだけいたずらっぽく笑う。


「うちの息子は、昔からあなたたちにべったりじゃない」


「……ふふ」


「だから、勝手に卒業しようとしないでちょうだい」


「……はい」




「ねぇ、リリエルちゃん」


「はい?」


エレナは少しだけ間を置いてから、優しく尋ねた。


「……リリエルちゃんは、あの子のことが好き?」


「――」


リリエルの手が止まる。


「アルちゃんは……」


少しだけ顔を赤らめながら、視線を落とす。


「大好きです」


その答えには、迷いがなかった。


「昔からずっと。弟のように思っていた時期もありましたし……今でも、あの子を大切にしたいという気持ちは変わりません」


「でも……」


リリエルは胸元に手を添える。


「それが母性からくるものなのか……」


「それとも、恋心なのか……」


「私には、まだわからないんです」


エレナは黙ってリリエルを見つめる。


頬をほんのり赤くしながら話すリリエルの姿は、

いつもの落ち着いた彼女とは少し違っていた。


「……ただ」


「アルちゃんが笑っていると嬉しいんです」


「あの子が幸せなら、それだけで嬉しい」


「でも……」


少しだけ言葉に詰まる。


「誰か別の女の子と一緒にいるところを想像すると……少し、胸が苦しくなります」


エレナは優しく微笑む。


「……そう」


それ以上、すぐには何も言わなかった。


ただ、リリエルの頬を見て――


「ふふ」


と、小さく笑った。


「エレナさん……?」


「ううん」


「なんだか安心しただけよ」


「……?」


「あなたがずっと、あの子を大切に思ってくれていたことが嬉しいの」


「そ・れ・と、リリエルちゃん」


「あの子が、なんて言ったか覚えてる?」


「……?」


「この前のお出かけの帰り」


「アルちゃんが言ったでしょう?」


「『何回だって、どこだって行くよ』って」


リリエルが顔を上げる。


「それから……」


エレナは優しく微笑む。


「『ずっと一緒だよ』って」


「……」


「あの子は、もう小さな子供じゃないわ」


「自分で考えて、自分で選んで、自分の足で歩ける男の子になった」


「だからこそ、その言葉も自分の意思で言ったのよ」


リリエルは黙って聞いている。


「……言葉通りに受け止めたって、いいんじゃないかしら」


「言葉通り……」


「ええ」


エレナはリリエルの目を見つめる。


「あなたは、本当に二人から離れたかったの?」


「……」


リリエルの唇が、わずかに震える。


「……いいえ」


小さな声だった。


「本当は……ずっと一緒にいたいです」


「でしょう?」


「二人が大きくなったからって、私がいなくなる必要なんてないのよ」


「手を引いてあげる必要がなくなったなら――」


エレナは穏やかに笑う。


「今度は、隣を歩けばいいの」


「……隣」


「そう」


「三人で歩くんでしょう?」


リリエルは目元を拭って、少しだけ笑う。


「……はい」


「ずっと一緒です」


「それでいいのよ」



「私は、あの子よりもだいぶん年上で

この年であんなに素敵な男の子です。


もう少ししたら私なんかよりもっと若くて

ヘカテーちゃんみたいに魅力的な女の子が

たくさん現れると思うんです。


そんな時、私はあの子の重荷にならないでしょうか?」



「……歳の差が何よ」


リリエルが顔を上げる。


「え?」


エレナは、ふっと笑った。


「私とウォード様だって十歳差よ?」


「……そう、でしたね」


「私なんて、五歳の頃からあの人のことが好きだったんだから」


「五歳……」


リリエルが思わず目を丸くする。


「そうよ」


「そこから二十五年かけて、ようやく捕まえたの」


「…………」


「だからね、リリエルちゃん」


エレナは少し得意げに笑う。


「ちょっとくらいの歳の差なんて、人生の前では大したことないわよ」


「……エレナさん、それは参考にしていい話なんでしょうか」


「もちろん」


「ただし――」


エレナは少しだけ悪戯っぽく笑う。


「私みたいに二十五年かかるとは限らないけどね?」


「……もう」


リリエルは顔を赤くしながら笑った。


「あなたがそんな顔をするなんて珍しいわね」


「誰のせいですか……」



「……とはいうものの」


エレナは少し遠くを見るように笑った。


「私も、何度も諦めようと思ったのよ」


「……」


「ウォード様には、素敵な姉様がいたでしょう?」


「ええ」


「私なんかが相手にされるわけがないって、家族にも止められたわ」


「それでも……諦められなかった」


リリエルが静かに尋ねる。


「どうして、そこまで……?」


エレナは少しだけ照れたように笑った。


「だって――」


「あの人のことが、本当に好きだったから」


「……」


「この気持ちは、もう止められなかったの」


少し恥ずかしそうにしながらも、エレナは笑う。


「若かったこともあるわ」


「でも、それ以上に……」


リリエルを見る。


「恋する乙女は、諦めが悪いのよ」


「……ふふ」


リリエルの口元にも、思わず笑みが浮かぶ。


「エレナさんらしいですね」


「でしょう?」


「だから――」


エレナの声が、少しだけ優しくなる。


「歳の差なんて、今のあなたが自分の気持ちを否定する理由にはならないわ」


「母性なのか、恋なのか。今すぐ答えを出す必要もない」


「ただ、アルフォンスを大切に思っている」


「その気持ちまで、無かったことにしなくていいのよ」


「私の息子の幸せを願うことと、

あなたの幸せを願うことは反目しないのよ」


と言って手を取ってウインクする


「私の…幸せ…、私の……気持ち……」


リリエルは、ぽつりと呟いた。


そして、両手を胸に当てる。


「……」


胸の奥にあるものを確かめるように。


「私……アルちゃんのことを……」


そこまで言って、言葉が止まる。


エレナは何も言わない。


急かすこともない。


ただ、優しく見守っている。


「……まだ、分かりません」


リリエルは小さく首を振った。


「お姉ちゃんとして大切なのか……」


「それとも……」


頬が少し赤くなる。


「一人の男の子として、好きなのか……」


エレナは微笑む。


「それでいいのよ」


「……え?」


「今は、分からなくても」


「その気持ちを大切にしていれば、いつか自分で分かる日が来るわ」


リリエルはもう一度、胸に手を当てる。


「……私の気持ち……」


今まで二人を守ることばかり考えていた乙女が。


初めて、自分自身の心に目を向けていた。


その言葉を、エレナはただ優しく見守っていた。


その日、二人が交わした言葉は、

誰にも知られることはなかった。


アルフォンスにも。

ヘカテーにも。

そして、他の家族にも。


それは――


二人だけで交わされた、最後の約束だった。


今回のお話は、リリエルが初めて自分自身の気持ちと向き合うお話でした。


アルフォンスやヘカテーの成長を喜びながらも、「もう自分は必要ないのではないか」と不安になるリリエル。


そんな彼女の背中を押してくれたのが、エレナでした。


「手を引く必要がなくなったなら、今度は隣を歩けばいい」


二人の関係が、少しずつ変わっていく中でも、繋がっている想いは変わりません。


そして、エレナ自身の恋の話も少しだけ。


母親として息子の幸せを願いながら、同時にリリエル自身の幸せも願う。


そんなエレナの優しさが、今回のお話の大切なところです。


リリエルが自分の胸に手を当てて呟いた「私の気持ち」。


その答えが出るのは、もう少し先のお話になります。


旅人の皆様、

次回も、三人と家族の物語をよろしくお願いします。

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