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8話『かわいそう物語』を塗り替えます。

「これは何事ですか……?」


 クレソン夫妻はじめ、数人の領民たちが叫び続けている。

 

 早足で正面玄関をすり抜けると、彼らは一斉に私のもとへ駆けてきた。


「男爵様方が捨てた新聞を拾ったんでさぁ、そしたら……」


 新聞に書いてあることは、でたらめだらけだった――そう言って、クレソン夫人は見たこともないほど眉を吊り上げていた。


「うちの堆肥を乾かしてくれたのはナナ様だ! 王子さまとか知らんよ」

「冬でも夏野菜を作れたのは、アリウム様のお力でしょ!」


 このままにしておけない、と――領民たちは鍬を振り上げている。


「みんな……」


 思いもしなかった。

 私たちの受けた仕打ちを、彼らが自分たちのことのように憤るなんて――。


 せっかく収まったというのに、また目の奥が熱くなってくる。


「ルナティ様が畑に来られることなんざなかった。この地を豊かにしてくださったのはアリウム様だ!」


 ようやく分かった。

 私はひとりではなかったのだ。


 どうしたら領民が食べていけるのか。

 ここが農民たちにとって暮らしやすい“ラグナム領”であり続けられるのか。


 そればかり考えていた私の背中を、彼らはずっと見ていてくれた――。


「おや、恋人がおいでなすったよ!」

「え……」


 振り返るより早く、肩にそっと何かが触れた。


 殿下の手が、ごく自然に、しかも人前で私に触れている。


「あ、あのっ!」

「……お嫌ですか? 恋人設定はまだ続いているのでしょう」

「それは……」


 当然嫌なはずがない。

 ただ。幼いころから顔見知りの領民たちに見られていると思うと、今すぐにでも逃げ出したくなる。


「アリウム様、ナナ様、オラたちにできること、あっかい?」

「あ……」


 そうだ。今は照れている場合ではない。


「もちろんあります。ぜひ、皆さんにお願いしたいこと」


 私をまっすぐに見つめてくれる領民たち。

 それに、私を信じる殿下の眼差しを感じると、「まだ抗ってみよう」という力が湧いてくる。


「人の噂は強いですからね……できるだけ純度の高い真実と演出で、偽物の噂を塗り替えてやりましょう」

「おうっ!」


 私はもう、妹の「かわいそう物語」の悪役ではない。


 彼女の物語を、私の物語で塗り替えるんだ――。


 覚悟が決まってすぐ、シローヌ経由で調査を依頼した。

 “ラグナム領”の献上金を“婚礼資金”に書き換えた貴族たちの、証拠を押さえるために。


「あとは……」


 事実を示す断片を集めなければ。


「誰が畑を作ったか」

「誰が堆肥を整えたか」

「誰が夏野菜を育てたか」

「誰が温室を管理したか」


 畑作業をする領民たちの休憩時間を狙って、証言と署名を回収した。


 真実を知るのは、実際にここに住むラグナム領民だけ。むしろ彼ら以外に真実を語れる人はいない。


「ご協力、ありがとうございました」

「まぁそう急がずに。アリウム様、お茶はいかが?」


 私が答えるより早く、お婆さんは花紅茶を淹れ始めていた。


「あの、私はまだ回るところが……」

「最近は、朝から晩まで畑を回っている姿ばかり見るわ」


 少し休んだほうがいい。


 昨晩、殿下から忠告されたことと、同じことを言われてしまった。


「でも、今は動かずにいられなくて……」

「そうだ、恋人の王子様も呼んでいらっしゃいな」

「それは……おばあちゃん、また今度!」

 

 そろそろ、殿下が屋敷を空ける時間になるのだが――事情を話すのもどうかと思い、その場から逃げるように離れた。


 やることが山ほどある、というのは嘘ではない。

 まだもう少し畑を回って、シローヌさんに送る証言書をまとめて、早馬で送らなければ。


「……早くしないと」


 妹の、婚礼式典の日取りが近づいてきてしまう。


 あの男爵たちは、私たちの“緑のサロン”を、婚礼の場で“第一王子と豊穣の女神”の功績として発表するつもりらしい。


「それまでに、なんとか……」


 ただ――ひとつ、どうしても気になることがある。


「……今夜もまた、遅いですね」


 もう深夜を回っているというのに、殿下が屋敷に帰ってこない。

 寝室の窓から玄関を眺める夜は、これで何日目だろうか。


「やることがある」と、殿下はあちこちの酒場に通うようになったのだ。

 どこの酒場に行くのか、行き先を律儀に伝えてくれるのは嬉しいけれど――詳しい目的は聞いていない。


「私といるの、退屈になったのでしょうか……」


 いつも夜は、二人で作戦会議をしていたのに——。


 とはいえ、親しくなった領民たちから、いくつかの酒場に顔を出すよう言われていたのは覚えている。

 今夜向かった店は、旅人や商人も集まる、少し大きな酒場らしい。


 殿下にも息抜きは必要だと思うけれど――。


「……いっそ、部屋の前にいてみましょうか」


 シーツをかぶり、殿下の部屋の前で本を広げた直後。

 もう頭がぼうっとしてきた。


「ナナ様……」


 帰ってきたら、「少しだけ寂しい」と、言ってやろうと思っていたのに――。


  * * *


 いくつかの酒場を回ってきたものの、この店の流儀はまだ分からない。


 アリウムの亡き父君の服を借りている手前、文句は言えないが――どうやらこの服は、酒場に馴染むには少し上品すぎたらしい。

 

 シャツとツナギに泥汚れを付けた男たちが、俺を不思議そうに見つめている。


「あれってもしかして……?」

「いや、そんなのホラ話だろ。あの兄ちゃんはアリウム様の……」


 彼らが酒の肴にしているのは、俺のことだろうか。

 畑で見知った領民たちが来ていれば良かったのだが――今は誰も見当たらない。


 それでも、行かなければ。


「……失礼、貴方がこの店のマスターですか?」


 カウンター越しに声をかけたところ、厳つい大柄の男がこちらを振り返った。


「ワシに用か……?」

「……っ」


 この男、こちらを探るような目をしている。

 口数が少ない代わりに、目が「怪しいやつだ」と語っていた。


「……大切なお話がありまして」


 覚悟を決めて店へ入ったのに、震えるとは情けない。


(話すより先に、物を見せるか……)


 早速、木箱にまとめていたピクルスと薬酒――アリウム嬢が「お夜食に」とくれたものを、カウンターに並べた。


「……物売りか?」

「いえ、違います。これを作ったのはルナティ嬢ではなく、ラグナム領の人々とアリウム嬢だということをお話ししたくて参りました」


 最近の噂は間違っている。

 噂が間違っていることを、ここを訪れる人たちに広めてほしい、と、告げたつもりが――。


 店主はグラスを拭く手を止め、こちらを訝しげに見つめている。


「……話が見えん」

「はい……?」


 ここはラグナム領の酒場だ。

 ならば当然、領主家のご令嬢姉妹はもちろんのこと、最近の“緑のサロン”を巡る噂についても知っているのではと踏んでいたのだが。


「アリウム嬢たちをご存知ない……?」


 ポツリとこぼすと。

 彼は少し苛立ったようにため息を吐き、「そうじゃない」とグラスをカウンターに置いた。


「その薬酒、アンタが飲んでみろ」

「え……私が、ですか?」


 酒は、飲み方を間違えば正気を失う。


 アリウムの屋敷で世話になっている間はもちろん、騎士団に所属していた時ですら、できるだけ避けていたのだが――この店主、圧が強い。


「……では、少しだけ」


 透明な液体の中に、薄紅色の花が浮かぶ瓶。

 その中身をグラスに注ぎ、口をつけると――。


 春風のような花の香が、鼻に抜けていった。


「うめぇだろ。アリウム様の造る薬酒、店で出すわけにゃいかねぇが……ワシが個人で楽しませてもらっている」

「すると、貴方は……」

「今さら何言いに来たか知らねぇけどよ。ここの連中は誰ひとり、アリウム様を疑っちゃいねぇよ」


 店主の言葉に、グラスを持つ手が揺れた。


 領民の、アリウムへの信頼がここまで厚いとは――俺がしようとしたことは余計だったのか。


「……お時間とらせてすみませんでした。私はこれで……」


 対応してくれた店主に、頭を下げた瞬間。

 背後から、グラスを打ち鳴らす音がした。


「ひゅう! やっぱりアンタ、アリウム様の恋人だったんだな。田舎は噂の足が速いんだぜ」

「は……」

「少しずつ、噛み砕いて話してみろよ。実際どうかとかいいから、アンタがどうしたいのかさ」


 先ほど、俺を見て、何やら話していた青年たちだった。


「俺が、どうしたいか……」

「ほら、グラス持ってこっち来いよ!」


 呼ばれるままに、青年たちのテーブルへ着いた。


「アリウム嬢の成したことが、他人に奪われようとしている……私はそれが許せない」


 事実だけではなく、自分がどう思っているのか。

 相手にとって、自分ごとに思える部分があるか。


 そんなことを考えながら話す間にも、口が勝手に喋り出すようになっていた。


「彼女に救われたから……今度は、私が彼女の助けになりたいのです」

「ああ、オレもだぜ王子様! オレらがここで暮らしてられんのは、ぜんぶアリウム様のおかげなんだ」

「オレらの女神に、悲しい思いはさせねーよ」


 こうしていると、実感する。

 最初に彼女から言われたこと――。


『殿下は、正しいことを“人に届かない形”で言ったから負けたのです』


 すべて失った直後の俺にとって、ナイフのような言葉だったが――実際その通りだった。


 今は正しいと思うことを、俺の言葉で話せている。

 そうすると、目の前の人がしっかり耳を傾けてくれているのを感じられる。


(やはり、彼女はすごい人だ……)


「マスター、もう一杯くれよ。こっちの王子様にもな」

「は……いえ、私はもう……!」

「飲みながら作戦会議だ。オレたちで、嘘の噂を塗り替えてやろうぜ!」


 他のテーブルの領民どころか、外をふらついていた連中まで合流し、ラグナムの酒場は混沌と化してしまった。


 ふだんならば、こんなに騒がしいところは願い下げだが――領民たちが心からアリウムを尊敬し、慕っているのだと伝わってくる。


「そこの旅人さんにも話広めてもらおうぜ!」

「旅人……」


 そうだ。

 ラグナム領民たちはもう、“緑のサロン”の真実を知っている。

 ならば、外でも噂を広められれば――。


「失礼します。よろしければ、こちらの野菜……召し上がりませんか?」


 慣れない酒に喉を焼きながらも、アリウムから少しだけ勇気をもらった気がして、テーブルを回っていると。


 気がつけば、全員店の外に追い出されていた。

 店主の剛腕によって。


「さすがに帰れ、夜が明ける」

「……ご迷惑おかけしました」


 本当に、空が白み始めている。


 居候の身分で朝帰りなど、軽蔑されるかもしれないが――帰って謝罪する他ない。


「……彼女、怒るのだろうか」


 ふだんは涼しい顔をしているが。

 なけなしの勇気を振り絞って押してみると、可愛い顔を見せてくれる。


 怒られるのも良いかもしれない――などと馬鹿なことを考えつつ、屋敷の寝室までたどり着くと。


「……え」


 ドアの前に、本が積み上げられている。

 それに、このシーツの塊は、まさか――。


 そっとシーツを剥がしてみると。

 現れた寝顔に、息が止まりそうになった。


「……アリウム?」


 日中、毅然と領民の前に立つ姿からは、想像できないほど無防備だ。


 それでも、目元にはうっすら疲れが残っている。

 おそらく今日も、彼女は彼女で走り回っていたのだろう。


「……本当に、強い人だ」


 だが、ここに居たということは――。


「待っていてくれたのか……」


 こんな場所で、こんなふうに眠らせてしまったこと、申し訳なく思う。

 それでも、俺を待っていたのかと思うと、頬が緩んでしまう。


 かすかに揺れる銀色のまつ毛を、いつまでも見ていたいが――風邪を引くかもしれない。


 小さな身体を抱え上げ、そのままドアをくぐろうとしたところで。


「いや、駄目だろ……」


 まだ、酒が残っているのだろうか。


 当たり前のようにベッドへ連れ帰ろうとした足を必死に止め、彼女の寝室まで向かうことにした。


  * * *


「……あら?」

 

 たしか、殿下の部屋の前で寝落ちた気がするのだけれど。

 いつの間にか、ちゃんと自分の部屋に戻っていたらしい。


 自分を褒めたいところだが――ここ最近は、朝が来るたび気が滅入っていた。


 ルナティの婚礼式典、もとい“緑のサロン落成式”の日が近づいている。


「ん……?」


 窓の外から、馬のいななきが聞こえた。

 あれは王宮からの遣いだ。


 階段を駆け下り、開いた書簡には――私が集めた証言と署名の成果ではなく、残酷な現実が記されていた。


 証拠はすべて、第一王子派の大臣に握り潰されたと。


「……嘘、でしょ……?」


 そんな横暴がまかり通るのか。


 かすむ目を擦り、続きに目を通すと――。


「……『“緑のサロン”事業の発案者および立ち上げ人として、ルナティ嬢の名が記された』……」


 手紙が、手から滑り落ちていった。


「また……」


 私と殿下の名前が、ルナティに塗り替えられた――もう、力が入らない。


「誰が作ったなんて……どうでもいいか」


 落成式は、もう5日後。

 当然テープを切るのは妹。

 それでも、“緑のサロン”は完成した。


 領民たちが、誰でも農業を学び食べられる、立派な農園がラグナム領にできたのだ。


「……贅沢言ってはいけませんね」


 寝室に戻り、遠くに見える緑の屋根を眺めた。


 一緒に畑を育て、あのサロンを作り上げた領民たちのように。真実を分かってくれている人が、ちゃんといる――だから私は大丈夫だ。


 でも。

 殿下の名誉を、回復することができなかった。


「悔しい……」


 潤む瞳を冷まそうと、朽ちかけた窓を開けた――その時。


「きゃっ……!」


 何かが投げ込まれた。


「これは……」

 

 藁のリボンで束ねられた、白い野の花。

 目を瞬かせる間にも、次々と飛んでくる。


「アリウム様、ばんざい!」

「いやぁ、めでてぇ!」


 いったい何事か――声に弾かれ、窓から顔を出すと。


「え……」

 

 クレソン夫妻や、いつも声をかけてくれる領民たちだけではない。

 庭を埋め尽くしてもまだ足りない、門からあふれるほどの人の群れが、屋敷へ集結していた。

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