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8/11

7話 予算が消えた? あり得ません!

 殿下と名前で呼び合うようになってから――いや、“緑のサロン”創設の初期費用が決定してから、1週間が経った今日。


「ナナ様、本日は“雇用契約”に最適な日和ですね」

「ええ、久々の晴天です」


 たくさんの模造紙を抱え、私たちはいつもの畑へと向かっていた。

 先週は母妹の訪問(あんなこと)があったものの、今は足取りが軽い。


 殿下も心なしか、いつもより柔らかい表情で畑を眺めていた。


「希少種野菜が広く出荷されるようになってから、財源が潤いましたね」

「ええ。それもこれも、国政事業省の皆さまが手配してくださった支援金のおかげですわ」


 いよいよ始まったサロンの建設現場が、ここからでも見渡せる。

 シローヌがこっそり手配してくれた魔導式建設で、あっという間に骨組みが完成していた。


 建物のすぐ横で、誰かが酒盛りしているみたいだけれど――今は構っていられない。


「本日は領民の志願者をサロンへ登用して、今後少しずつ彼らに運営を任せる方向で……」


 紙の束を抱える手に、力を入れた――その時。


 王宮からの早馬が、畑の畦道を駆けてきた。

 紋章入りの首かけの代わりに、書簡入りの筒を提げている。


「極秘の用でしょうか?」


 疲れた様子の馬を撫で、書簡を受け取ると。


「これは……」


 あり得ないことが書かれていた。


 私たちが用意した“緑のサロン”のための財源が、王宮内の別名目に組み替えられたと。


「組み替えられた……とは?」


 こんなの、信じられない。

 でも――確かに書かれている。


「『第一王子とルナティ嬢の、婚礼式典費用に』……」

「……はい?」


 これだけでも、訳がわからないというのに。

 シローヌからの報告は、それだけではなかった。


「『世間では“緑のサロン”創設計画が、第一王子と“豊穣の女神”の婚姻に伴う慈善事業として噂されている』……」

「……っ!」


 いったい、どういうことなのか。


 視界が青く歪んでいく。


「……すみません、ちょっと」


 私の手から書簡を抜き取った殿下は、無言で紙面を見つめた後――震えるため息を吐いた。


「どうしてこんなことに……?」


 あまりに理不尽ではないか。

 殿下の声が、遠く聞こえる。


(やっとここまで来られたのに……!)


 気づけば、足が走り出していた。


「アリウム、どこへ……!?」


 確かめなければ。

 先ほど、建設現場で酒盛りをする貴族たちの姿が見えた。

 私たちが芽を育てた計画を、いったい誰が奪おうとしているのか――。


 木材の飛び交う建設現場へ、こっそり踏み込むと。


「あの方たちは……」


 領民が汗水垂らして働く横にガーデンテーブルを置き、ワインを飲んでいる貴族たち――そのほとんどが、見覚えのある顔だった。


「……アリウム、ご存知なのですか?」

「ナナ様……はい」


 背後から囁く殿下に、そっと話した。

 彼らは、妹を担ぎ上げている地元貴族――“計画を邪魔するかもしれない警戒リスト”に入れていた連中だと。


「……私、こっそり話を聞いてきます」

「は……危険です!」


 でも、確かめなければならない。

 彼らがどうやって“緑のサロン”の実権を奪ったのか。


 きっと妹の仕業でも、第一王子でもない。

 殿下を陥れた彼らが、また邪魔をしようとしているのだ。


「……許せない」


 引き止めようとする殿下を押し切り、知り合いの男爵家のハウスメイドにエプロンを借りた。


「アリウム様、いけません! あたしが主人に叱られますぅ!」

「ごめんなさい……ちょっとだけ」


 髪型を変え、化粧を泥で少し崩した。

 これで給仕に向かうフリをすれば――。


「ほほほ! いやぁ愉快」


 さっそく、隣領の男爵が尻尾を出した。


 私に聞かれているとも知らないで――ラグナム領の献上した資金は、婚礼式典費に回されたと。


「実姉が献上したのだからね、『妹のために姉が捻出してくれた』と、ルナティ様は思い込んでいらっしゃる」


 酔いの回った隣領子爵の言葉に、拳が震えた。


「あの子、また……」


 だめだ。

 今はまだ、耐えなければ――。


「ですが、勝手によろしかったのですか? 本当はサロンの建設費だったそうですが……」


 (アリウム)が黙っていないのでは、と、少しは勘の良い者もいる。


 でも――男爵はただ、肥えた身体を揺らしながら笑っていた。


「なに、大した魔法も使えない行き遅れ娘ですよ。第二王子と何やら企んでいるという噂ですが……負け犬同士で何ができるのです!」


 一斉に高笑いをはじめた連中に、拳を強く握った。


 今すぐに手元のワインをお見舞いしたいところだが――息を荒げれば、バレるかもしれない。


「……っ」


 宴会の中心になっている中年男性は、エプロンを貸してくれたメイドの仕える、地元の男爵家当主だった。


 かつては我が家を担ぎ上げていたのに。

 父が亡くなり、領地の経営が傾いた時、彼は何もしてくれなかった。

 そして、妹の魔法が特別だと判明したら――妹を王家に嫁がせるための話を持ってきた男だ。


(でも、どうして知っているの……?)


 第二王子と私が組んでいることを知っているのは――。


 晩餐会に呼んだ、国政事業省の上層部5名。

 それから、先週訪ねてきた母とルナティ。


「……あ」


 ふと、気になった言葉が浮かんできた。


『あの方に知らせないと……』


 母が屋敷を去る前の、あのセリフ。


(まさか……母がこの男に?)


 考えたくはないが、あり得なくもない。


 ワイン瓶を持つ手の震えを、必死に抑えていると。

 傾きかけた日の向こうから、鳥――ではなく、浮遊魔法のかかった夕刊が宴会場に飛んできた。


「『“緑のサロン”は、第一王子とルナティ嬢が国民を想う事業』……ほほほっ! すぐに発表されましたな」

「……っ!?」


 まさか。

 噂に留まっていた話が、正式発表されたというのか――。


「そんなの嘘だ!」と、叫びたくて仕方ない。

 でも――まだ、必要なことをすべて聞けてないかもしれない。


 荒くなる息を必死に抑え、連中の背後に足を留めていると。


「なに、こちらは……『ルナティ嬢の姉アリウム嬢、妹の元婚約者・第二王子を略奪か』……社交界の阿呆ども、こちらの噂も信じたようですな!」


 男爵の読み上げに、ついに――足が動き出していた。


 もうだめだ。

 ここにいたら、抑えられない。


「これで殿下が婚約破棄を言い渡した理由が、ルナティ嬢のせいではなくなりましたなぁ」


 姉との痴情のもつれとして処理された。


 嬉々として乾杯する男爵たちの声が、まだ後ろから聞こえてくる。


「……」


 早くここを去らなければ。


 もはや怒りを通り越して、身体の芯が冷えていった。


「……まただ」


 また、私は悪者にされる。

 妹の物語の“悪役”として、報われない思いを繰り返すだけ。


 しかも今回は最悪だ。


 私だけでなく、殿下まで――。


「あっ、アリウム様やっと――」

「……ありがとう」


 エプロンをメイドに返し、早足で建設現場を抜け出した。

 後を追ってくる殿下にも構わず。


 いま彼の顔を見たら、きっと私は――泣いてしまう。

 情けない顔を見せないように、畦道を走り出した。


「……っ、はぁ、はぁ……」


 巨大な太陽が、地平線の向こうへ沈んでいく横で。

 “どこかここではない場所”を目指して、ひたすら足を駆る。


 思えばすべて、私のやったことは妹のところへ向かっていくのだ。

 そして私に残るのは――冷たい視線か、無関心。


「痛っ……」


 転んでも、泥に塗れたドレスの裾を持ち上げ、再び走り出そうとしていると。


「アリウム!」


 ひとりでどこかへ行きたかったのに――。

 殿下の呼び声に、目の奥が熱くなった。


 それでも、こんな顔は見せられない。


「くそっ、思ったより速いな……待って!」


 地の利がある私がどこまで逃げても、殿下は諦めずに追いかけてくる。


 そのうち、完全に辺りが暗くなった頃。


「……っ!」


 片足が突然、針に刺されたように冷たくなった。


 身体が、冷たい水の中に沈んでいく。


「危ない……!」


 いったい何が起こったのか――理解するより早く、身体が宙に浮いていた。


「あ……」


 星明かりを映した瞳が、視界いっぱいに広がった直後。

 ようやく気づいた。


 殿下が私を抱えてくれているのだと。


「私……」


 周りを見ずに走って、湖に落ちそうになったのか――殿下は真冬の水に浸かったまま、動かない。


 唇を結んだまま、ただ私を見つめていた。


「……っ、殿下、私……」


 暗い水底のような瞳が、静かで、優しくて。


 気づけば、視界が歪んでいた。


「……」


 無言の殿下を見つめたまま、私は――いつぶりか分からない涙を、彼の頬に落としていた。


 自分のものとは思えない声が、凪いだ湖面に響いている。


 いつの間にか、陸へ引き上げられたことも気づかないまま、しばらく彼の腕に縋っていた。


「すみませんでした。色々と、見苦しいものをお見せして……」


 みっともない鼻声で、「家に戻りましょう」と言っても。

 殿下は瞬きもせずに私を見つめたまま、腕を緩めようとしなかった。


「殿下……」


 やがて、私の吃逆(ひゃっくり)が落ち着いた頃。

 彼は泥だらけのドレスに手をかざし、心地良い熱で服を乾かしてくれた。


 まだ、帰るつもりはないのだろうか。

 岸辺の砂利を踏みしめたまま、彼は一歩も動かない。


 身体をしっかりと包んでくれている腕のおかげで、暖かいけれど――。


「ここは星明かりが美しいですね」

「え……?」


 どうして今、そんなことを言うのか。


 ふと顔を上げると。

 燃えるような星々を仰ぎ、殿下は白い息を吐き出した。


「貴女はきっと、何度もこうして空を見上げてきたのでしょう。泣く代わりに、ひとりで耐えるために」


 でも、もういい――。


 そう言って、殿下は腕の力を強めた。


「その……アリウムさんが安心して泣ける場所のひとつに、俺がなれたらいいなと」

「……泣ける場所?」

「あの日、誰も私の話を聞かなかった……けれど貴女だけは、私が悪なのか確かめようとしてくれた」


 それだけで救われていた――。


 殿下の言葉が、すっと胸の奥に入り込んでくる。


「……ですから、実のところ貴女が傘を差し伸べてくれたあの瞬間から、私は……」


 口ごもる殿下に、思わず笑いが込み上げてきた。


(この人、慰め慣れてないんだな……)


 時々、不意打ちで甘い言動を仕掛けてくるけれど。

 やはり根っこは不器用なのだろう。


「もうなっています」

「……はい?」

「ナナ様が私の居場所に」


 そう言って、後ろから身体を包んでくれる腕を、ぎゅっと抱きしめると。


「……っ」


 背中越しに、彼の鼓動が跳ねあがった。


 顔に出ないけれど――殿下も私に触れるたび、緊張しているのだろうか。

 でも、それはお互い様だ。


「帰りましょう……私たちのボロ屋敷へ」


 離れないように、彼の手を掴んだまま立ち上がると。


「……はい」


 殿下は少し目を潤ませながら、ゆっくり私に続いた。


 熱い指を絡めたまま――星明かりの畦道を帰っていく間。

 私の鼓動まで、繋いだ手から伝わらないかと心配していると。


「……ところで」

「はい?」

「貴女を泣かせたのは……どの領のどの爵位のどの領主ですか?」


 いつも薄い影を帯びている殿下が、さらに黒いオーラを纏っていた。


「……えっ、ええと、秘密です」


 この様子では、領地没収どころか国外追放しかねない。

 さすがにそこまでされては困る――と、口をつぐんでいたところ。


「せめて何が分かったのかだけでも教えていただけませんか?」


 ついに来てしまった質問に、心臓が嫌な音を立てた。


 殿下の気分を害するどころか、傷つけてしまうかもしれないような、酷い話ばかりが飛び交っていた――あの噂のことを、話すべきだろうか。


 地面に視線を落とし、言葉を探していると。


「その……共犯者でしょう?」

「……!」


 見上げた先の瞳には、覚悟が灯っていた。


 そうか。

 私が思っていたよりもずっと、この人は――。


「聞くに堪えない話ばかりです。それでもよろしいのですね?」

「当然。共に背負います」


 握った手の力が、少し強くなった。


 その手を精一杯の力で握り返し――深く息を吸った。


「実は……」




 翌朝。

 朝食を庭に用意して、寝室へ向かうと――殿下の姿がなかった。


「……あら?」


 たしか、彼がこの屋敷へ来たばかりの頃にもこんなことがあった。

 あの時は、屋根の修理をしてくれていたのだけれど。


「まさか……」

 

 嫌な予感が胸によぎる。


 “緑のサロン”創設計画が、ルナティたちの功績にすり替わっていること。

 そして、口にもしたくなかった、もう一方の噂――私と王子の略奪愛について。


 正直に、すべてを話したのがいけなかったのだろうか。


「でも、どうしてっ……」


 泣きそうな時、居場所になってくれると言ったではないか。

 “共犯者”と呼んでくれたではないか。


 きれいに畳まれているシーツに、思わず手が伸びた。

 胸に抱くと、彼に包まれていた昨夜のことを思い出す。


 結局、あの後きっちり部屋に送られてしまったが――。


「ナナラピスっ……」

「呼びました?」

 

 声のない悲鳴を上げ、振り返ると――。

 入り口には、珍しく微笑んだ殿下が立っていた。


「少し早く起きて、納屋へ暖房をかけに行ったのですが……温室を維持しなければいけないでしょう?」

「あ……」


 お礼を告げたくても、声が出ない。


 とりあえず、証拠隠滅だ――何事もなかったかのように、シーツから手を離した。


「いつからそこに……?」

「……『まさか』、と、おっしゃった頃から?」


 稀に見える笑顔で返してきた殿下に、さっと背を向けた。


(それ、ほぼ最初からでは……!?)


 顔が発火しそうなほど熱い。


 頬を手で覆ったまま、いつまでも後ろを振り向けないでいると。


「その……アリウムは私のこと、思ったより……」

「わぁっ! そうだ! 火に鍋をかけっぱなしでしたわ!」


 もう我慢できない。


 ドアの前の殿下を押しのける勢いで、部屋を飛び出した。


「まずい……まずい……絶対バレた……」


 何を、とは、自分でも口にしたくないけれど――。


 厨房で火をかけているなんて、嘘だ。

 ただ、今はじっとしていられない。


「はぁぁぁ……」


 何度も家の階段を昇ったり下りたりしていると。


「アリウムさまぁ~! どういうことですだか~?」

「……っ!」


 あの声は――クレソン夫人だ。


 他にも、領民たちの叫ぶ声が聞こえてくる。


「もしかして……」


 あの夕刊のせいで、ウチにいるのが第二王子だと、領民たちにバレたのだろうか。

 私が妹から略奪したと、領民たちの間でも噂になっているのでは――。


 ドクン、ドクンと、心臓の音が頭の中まで響くようになった――その時。


「緑のサロンを作ってくれたのは、アリウム様とナナ様だろ!」

「……え?」


 ちゃんと耳を澄ましてみると。

 外から聞こえてくる声の数々は、私への糾弾ではない。


 事実とは違う噂を非難する、領民たちの怒りの声だった。

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