5話 ボロ屋敷の晩餐会
数日かけて、ナナラピス殿下と領民たちの力を借りた結果――長年放置されていたボロ屋敷が、“年季の入った古屋敷”に変わった。
「いよいよ今夜ですわね」
「はい、間違いなく本日の予定です」
殿下とふたり、門前に並んで、もうどのくらい経っただろうか。
まだ、お客様の馬車は到着しない。
「……料理、大丈夫でしょうか?」
「ええ。いつも通りと言いますか、王宮の料理長にも勝ると劣らない腕前で――」
「それはさすがに冗談だって分かります」
こうして軽口を叩いていなければ、落ち着かない。
満月を見上げながら、動悸が止まらない中――やがて、見慣れない馬車が二台到着した。
「おお、ナナラピス様……!」
降りてきた5人の紳士、淑女は殿下と握手を交わしている。中には涙を流す人もいた。
これが第二王子を支持していた、国政事業省の上層部の面々――。
いずれも、王宮で飾りとして笑う者たちとは違う。目の奥に、書類と責任を抱えた人間特有の疲れがあるように見える。
「皆様……積もる話は、どうか中で」
殿下には、さっそくお客様方を食堂までお連れしてもらった。
その間に、私は準備していた前菜の仕上げをしなければ。
「ルナティ嬢とのご婚約を破棄なさったこと、我々も疑問に思っていましたが……まさか、あのような事情がおありだったとは」
料理を運ぶ間にも、絶えず殿下をねぎらう言葉が聞こえてくる。
私に話したことと同じことを、本当に信頼できる職場の仲間にだけ、先に手紙で伝えてはどうか――。
殿下にそう提案した時、彼は少しためらっていたけれど。
それが功を奏したらしい。
「すぐにでも、お助けできれば良いのですが……」
「分かっています。父に支援を禁じられているのでしょう。私はご覧の通り、ご心配なく」
そろそろ、頃合いだろうか。
こちらをチラッと見た殿下に目で合図し、料理を並べることにした。
昨晩必死に磨いた、銀のトレーで。
「失礼。先ほど聞きそびれてしまったのですが、こちらの女性はまさか……」
「……っ」
ついに来た。
ご提案をする以上、私のことを正直に話さなければと思っていたが――殿下を失脚させたルナティの姉だと知れば、彼らはどう思うだろう。
「殿下が騙されているに違いない」と思われてしまったら、それこそ終わりなのだが――。
「まぁ! 本当にあのアリウム嬢なのですか?」
「え……?」
「平服で分からなかった」と、白髪の女性が深く頭を下げた。
「三大名家のご令嬢が、我々に給仕などとんでもない!」
まだ若そうな官僚のひとりは、「私の席へどうぞ」と立ち上がっている。
「これは、いったい……」
「貴女のことも、事前に話させていただきました」
私の持つトレーをひょいと取り上げながら、殿下が言った。
まだ若い身でありながら、当主代理として、私がラグナム領を守ってきたのだと。
「そんな、私は別に……」
火の車だった家と領を、なんとか潰れないよう保ってきただけだ。
そう口にする前に、殿下が配膳をはじめていた。
「皆さま、本日は我々がホストでございます。身分や立場はお気になさらず、アリウム嬢自慢の野菜料理をお楽しみください」
「殿下……」
そうして胸を張る姿は、馬車寄せで傘を差し出した時とはまるで違う――別人のようだった。
私を信じて疑わないというような瞳の輝きに、目を奪われる。
「……アリウム嬢、次の特別なあれのご準備、お願いしても?」
「あ……はい!」
厨房に入っても、青々とした葉野菜のサラダに驚く声がこちらまで聞こえている。
それだけでも顔がニヤついてしまうが、本番はこれからだ――。
「お待たせいたしました、『丸ごとトマトのスープ』でございます」
澄んだスープの中に、皮をむいたトマトを丸ごと入れた料理。
黄金と真紅の輝きを前に、お客様方は言葉を失っている。
「これは、まさか本当に……いや、そんな高級食材が冬に手に入るなど、あり得ない!」
「まるで柘榴石のような輝きだ」
冬場の温室で芽吹いた、奇跡の果実。
私たちの魔法の結晶を早く堪能してもらいたくて、「冷める前にどうぞ」と促すと。
彼らは触れることを惜しむように、スープへ口をつけた。
「……」
長い沈黙は、味わっているからなのか。
それとも――。
不安の嵐が胸に吹き荒れる中。
小指に、小さな熱が灯った。
「……っ」
偶然かと思ったけれど、たぶん違う。
殿下の小指が、私の指にそっと触れている。
「大丈夫」と言うかのように。
「今です。そろそろ、あのことをお話ししましょう」
「……はい」
お客様方が、無言でトマトのスープと向き合っているところで。
「実は、本日お越しいただいた皆様にご相談したいことが……」
“緑のサロン”創設計画。
その概要をまとめた羊皮紙を、5人すべての方へ配り終えると。
「……なんと! このような野菜を、国民が等しく食べられるようになるサロンをお作りになると?」
さすがは殿下の仕事仲間。理解が早い。
「予算をすぐに回してほしいとまでは申しません。ですが、たとえ自領に創設する施設であろうと、国の認可が必要になります」
没落寸前の名家令嬢、失脚した第二王子。
この二人だけの主張ですべてが上手くいくなんて、そんな甘いことは考えていない。
でも――。
「この新鮮で鮮やかな野菜を、すべての国民が当たり前に食せる国にしたい……」
私たちの領は、決して裕福とは言えない。
みんな泥だらけで働いている。
それでも、毎日の新鮮な野菜と笑顔だけは絶えない――。
「豊かな食と笑顔を、この石の国の“当たり前”にしたいのです!」
「アリウムさん……」
まず先に声をこぼしたのは、殿下だ。
お客様方も、こちらに耳を傾けてくれていた。
それでも。
「アリウム嬢のお言葉、胸に沁みました。ですが……」
殿下のことはもちろん大切。
ただ、第一王子とその妃候補の妹に逆らえば、自分たちの立場がかなり危うくなる。
年配の官僚がこぼす言葉に、何人かは頷いていた。
「私たちにも家族がおります。ですから……」
怖いと正直に言う彼らに、思わず微笑んだ。
さすが、この第二王子を支持するだけあって、正直な人たちらしい。
ただ――それで良いのだろうか。
「……皆様が大切にしたいのは、ご自分の立場だけでしょうか?」
この場にいる、ひとりひとり。
静かに私を見つめる殿下にまで、視線を向けたところで――深く、息を吐いた。
「栄華は儚いもの……ダイアフェインの古い三代名家といえど、この有様ですわ」
そう言って、朽ちかけた食堂の内装を見回すと。
彼らは黙って目を伏せた。
「娘さんやお孫さん、あなた方の家族が笑って暮らせる国にすること……それが第一なのでは?」
ついに、銀食器の音ひとつすら無くなった、その時。
「忘れておりました。こんなに瑞々しくって、美味しい食べ物があるってこと」
そう呟いたのは、銀縁眼鏡の女性だった。
顔にかかる白髪をよけながら、空になった皿に視線を落としている。
「貴女は……」
「シローヌと申します、アリウム様」
うちの孫は、まだ本物のトマトを食べたことがない。
そう言って、シローヌは寂しげに微笑んだ。
もしかすると、この人なら――。
「……輸入野菜に頼りきりの食卓を、少しずつ国内で支えたいのです。まずはラグナム領の温室と薬草畑から」
ゆくゆくは各地に小さな菜園を広げ、余剰分を国民サロンへ回すつもりだ。
そこまで話し終えたところで、シローヌは小さく何度か頷いた。
ただ――その夜、良い返事はひとつもなかった。
翌朝も、昼も、“国政事業省”からの知らせは何もない。
すぐに何か動くはずはないと分かっていても、頭の中が曇ってしまう――。
「アリウムさん……」
「……こういう時こそ手を動かしましょう、殿下」
“緑のサロン”計画を領民に話して、少しでも畑作りを進めよう。
「財源を確保するために、まずは希少種野菜を育ててブランド化しなければ」
「……はい」
私は、いつものように成長魔法を。
殿下は、温室の整備を。
ラグナム領の頼もしい農業リーダー、クレソン夫妻を中心に、“緑のサロン”の核になる畑作りを進めていった。
「やっぱアリウム様は違うなぁ。マジもんの豊穣の女神だぜ」
日も暮れる頃になると、若者たちの、いつもの雑談がはじまった。
「ナナ様の魔法もねぇ、アタシらふつーの人間とは別格だよ」
なんだか、いつもより露骨に褒められている気がする。
私の様子を察して、慰めてくれているのだろうか――。
でも。
領民たちを家に帰した後も、王宮からの知らせはなかった。
「やはり、無理だったのでしょうか」
地平線の向こうに落ちる夕日を見つめながら、畦道に座り込んだ。
「私にもし、妹のような力があれば……皆さま納得してくださったのでしょうか」
2年前。都の花祭りで、都中の花を蕾から花にした妹――あれのおかげで、一気にその力が知れ渡ったのだ。
あれほどのことができたのは、たった一度きりだったけれど。
この石の国で、“豊穣の女神”と呼ばれる証明には十分だった。
「本物の女神は、私じゃなくて……」
らしくない弱音を、つい吐き出したところで。
急に辺りが暗くなった。
「……殿下?」
背後に立っていた殿下が、隣に膝をついたかと思えば――私に向けて、無言で手を差し伸べた。
「あの、この手は……?」
何をしたいのかよく分からないが、今はその手を取ってあげられない。
土をいじって汚れた手を、引っ込めようとすると。
「あっ……」
泥だらけの手を、大きな手がしっかりと包み込んだ。
「知らないだけなのです」
「……え?」
「貴女がこの国の誰よりも美しく、素晴らしい力を持っていることを……ただ、知らないだけだ」
少し怒ったような、辛そうな横顔の殿下に、喉が締め付けられた。
「だから……私がそう信じる貴女を、貴女自身が否定しないで」
「……殿下」
震える声に誘われ、目の奥が熱くなってきた。
とっさに目を擦ろうとしたら、その手も彼の手に包まれてしまった。
「泣いてもいいです。貴女は強すぎるから」
「……っ、いじわる……」
この人の前でだけは、泣きたくなかった。
利用するために拾い上げて、ここまで付き合わせてきた、彼の前では。
私が泣く資格なんて、ないと思っていたのに――。
優しい手の熱を振り払えないまま、必死に息を整えていると。
「あれは……」
少しずつ近づいてくる、規則的な足音。
それが馬だと気づいた瞬間――どちらからともなく立ち上がった。
「アリウム嬢、あれは……王宮からの早馬です」
「はい……!」
つい舞い上がりそうになったが、まだ内容は分からない。
受け取った書簡を、いつもの作戦会議部屋――殿下のベッドで、おそるおそる開いてみると。
「『ラグナム領の支援先リスト』……殿下、これは!」
「はい……皆が動いてくれたようですね」
口調はいつもの通りだが、殿下はほっと息を吐き出していた。
どうやら、王宮に近づけない殿下の代わりに、帳簿を整え、財源を計算し、ラグナム領の支援先を精査してくれたのだ――それも、たった半日のうちに。
「もしや彼女……シローヌさんのおかげでしょうか?」
「……そうかもしれませんね」
「ほら」と殿下が差し出したのは、封筒に入っていた小さな手紙だった。
「『ナナラピス王子のことは、僭越ながら息子のように見守って参りました』……」
そんな殿下が信頼する貴女だからということ以上に、トマトスープの味に感動した――そして。
「『自分のためだと隠さず、それでも妹君を貶めるのではなく、国のためになる形で勝とうとなさるアリウム嬢に惚れました』……って」
読み上げていて、頬が熱くなってきた。
まさか、妹の「かわいそう物語」塗り替え計画を、そんな風に受け取ってくれたなんて。
「『正直とても厳しいですが、やりましょう。“緑のサロン”の創設を』……」
顔を上げると、すぐ隣で微笑む殿下と視線がぶつかった。
言いたいことが山ほどあるけれど。
胸がいっぱいで、言葉が出てこない。
しかも、こんな時だというのに――瞼が勝手に降りてくる。
「……そろそろ休んだ方が良いのでは?」
「いえ、まだ平気です」
まだ、気を抜くわけにはいかない。
動きを悟った邪魔者が出てくる可能性を考えて、手を打たなければ――。
「“緑のサロン”計画の企画書づくりに加えて、遅くまで料理の研究をなさっていたでしょう?」
「働きすぎだ」などと私に言うが――殿下だけには言われたくない。
「殿下だって、掃除や力仕事をしてくださっているではないですか。お出来になるのは意外でしたが」
殿下が最初、「ご令嬢は家事料理ができるはずがない」と思い込んでいたように。
私も「王子は家仕事ができない」と思い込んでいた――そう、正直に告白すると。
「王家の男児は、成人まで騎士団に所属しますから。何でもやらされますし……いえ、今はそれどころではありませんでしたね」
殿下が話してくれている間にも、いつのまにか船を漕いでいた。
それでも意地を張って、自分で頬を叩いていると――殿下から、クスッと笑いがこぼれた。
「失礼」
何かが肩に触れた気がする。
「……ん……?」
ただ、それが殿下の手だと分かった瞬間――パッと目が覚めた。
が、抵抗する間もなくひょいと抱えられ、自分の寝室へと連れていかれてしまった。
「えっ……夢……?」
あの殿下が。
濡れた頭を拭こうとしただけで、耳を赤くしていた彼が――私を抱えている。
「それでは、おやすみなさい」
「あっ、あの、これは……」
私をベッドへ下ろした殿下は、扉の前で足を止めた。
振り返らずに、ため息を吐いている。
「……ああ言えば、うかつに男の部屋へ入り浸らないだろうと思ったのですが」
「ああ言えば……?」
何のことかと思ったが。
『俺を試してます?』――いつかの夜に聞いたセリフが頭をよぎり、全身の肌が粟立った。
「ええと……他の部屋は狭いですし、主寝室での作戦会議は身体を休めることもできて、一挙両得で」
「分かっています。あなたは真剣にやっていると。ですが……」
自分ばかりが意識していて、恥ずかしい――。
なんとか聞き取れるほどの小声に、呼吸が止まった。
「……おやすみなさい、アリウム」
一度も振り返らずに、そのまま出ていった殿下を見送った直後。
「……っ、はぁ!」
忘れていた呼吸が戻ってきた。
やはり、彼の耳は赤く染まっていた気がする。
それに。
「あれ……?」
アリウム嬢ではなく、「アリウム」と――初めて呼ばれた。
「はぁ……“自分ばかり”、じゃないですよ」
27にもなって、呼び捨てにされただけで眠れなくなるなんて。
「しっかりしなさい……アリウム・ラグナム」
明日からは、もっと忙しくなる。
ラグナム領の大規模な農地改革と、“緑のサロン”創設計画が、一気に動き出すはずだ。
だから――この熱を、ちゃんと鎮めないと。




