4話 石の国に、緑のサロンを。
「これは……」
昨夜、殿下の熱魔法で温めた倉庫の中。
真っ赤に実ったトマトを前に、殿下は目を見開いていた。
でも、固まってしまう気持ちは分かる。
夏にしかお目にかかれない野菜が、冬でもみずみずしく成っているのだから。
「やりましたね、殿下! お昼は夏野菜のパスタにいたします」
「……非常に楽しみです。もちろん手伝いますよ」
植物の成長を速める私の魔法と、熱を生み出す殿下の魔法が、ささやかながらも身を結んだ。
飛び跳ねたい気分になって、殿下の胸の前に両手を差し出したが――。
『……俺のこと、試してます?』
昨晩の囁きがよみがえり、つい手を引っ込めてしまった。
「あっ……」
手を出しかけていた殿下も、何やら察したのだろう。すかさず手を引っ込めた。
「……」
重苦しい沈黙が、輝く赤に染まった温室に漂う中。
殿下は果実をひとつ手に取った。
「それでもやはり、私たち二人だけでどうにかなるのでしょうか?」
たとえ、家庭菜園規模で成功したとしても。
この方法で、“緑のサロン”を創設できるほどの予算が確保できるのか――。
難しい顔の王子に、そっと微笑んだ。
「ここで考えていても仕方ありません。昼食の後、強力な味方をご紹介いたしますわ」
「味方……?」
建物の少ない地平線に、ただ畑が広がる田舎領。
ラグナム家が代々興した農地へ、散歩がてら、殿下をご案内することにした。
「これがラグナム領……話には聞いていましたが」
畑に実るものは、ほとんどない。
冬場は育てる種類が少ないとしても、私の庭を見たあとだと、余計にそう思うだろう。
「父が亡くなった後、母が領地を放置し……自領の民は、貧困に陥るものも多かったのです」
「……そうでしたか」
「貴族のご令嬢は、夫が亡くなると何もできなくなるなんて……よくある話でしょう?」
父の死を、何年も嘆き続けた母。
挙句、私をボロ屋敷に残したまま、出て行った彼女の背中を思い浮かべていると――殿下の足が止まった。
一部の畑に育っている、ニンジンの葉を眺めているみたいだ。
それから、畑で草むしりをする領民たちの手元も。
「冬に草むしりを?」
「え……? ああ、それは……」
私が魔法で手を加えると、周囲にあった雑草の種まで育ってしまう。
そう話すと、殿下は「なるほど」と、再び畑に目を向けた。
「一応こうして、食料だけは確保できる状態を維持できているのですが……」
それでも、やはりこの国の土壌は豊かとはいえない。
国内に出回る新鮮な野菜が、もはや肉よりも稀少なのはそのせいだろう。
(なんて……殿下に愚痴を言ったところで、どうしようもないか)
アゴに手を当てたまま、すっかり黙ってしまった殿下を観察していると。
「あらぁ、アリウム様~」
「“豊穣の女神”がおいでなすったぞ!」
土だらけの顔を輝かせた老夫婦が、こちらに手を振ってくれた。
「あちらの方々は?」
「この辺り一帯の畑を仕切っているご夫婦です」
エプロンから土をはたきながら、彼らはこちらに近寄ってきた。
深々と頭を下げて、「ありがたや」と私に向かって祈るところは、私が幼いころから変わらない。
「クレソンさん……これはいつもの、ですね」
「申し訳ねぇです」
そう言って、旦那さんは間引いたニンジンの山を横目に見た。
あの小さなニンジンですら、ラグナム領民にとってはご馳走だ。
「アリウム嬢、いったい何を……」
「殿下はそちらでお待ちください」
外歩き用のドレスの袖をまくり上げ、ニンジンの山に手をかざした。
「いきます……『咲き誇る花を見せて』」
「おおっ……!」
これだけの量の根菜を太らせるのは、正直とんでもない魔力を持っていかれる。
ただ、毎回のように歓声を上げてくれる老夫婦の笑顔を見るだけで、身体の底から力が湧いてくる。
それに――。
「すごい……」
もはや言葉もなく見惚れてくれている殿下の姿に、口元が緩んだ。
「今です、水と土魔法を……!」
合図を出すと。
すかさず、シャワーのような水魔法と土魔法が、あちこちから放たれた。
クレソン夫婦だけではない。
遠くで土いじりをしていた領民たちが、大人も子どもも集まっている。
「これは……」
私にとっては、いつもの光景。
それでも、殿下にとっては珍しいものなのだろう。
普段は沈んで見える瞳が、跳ねる水を映しきらめいていた。
「痩せた土地がほとんどで、採掘ばかり盛んな祖国ですが……」
これほど活気のある農地を、見たことがない。
そう言って、殿下は数歩こちらに近づいてきた。
「アリウムさまぁ。そのキレイなおにいさん、にばんめの王子さまにそっくりだけど」
「えっ……!」
無垢な瞳のおさげ少女が、殿下の顔をじっと見上げている。
まさかこんなところに第二王子が居るはずないと、ほとんどの領民は無意識に思ってくれたはずだ。
でも――この子、鋭すぎる。
「えっとね、こちらのお兄さんは……」
どう紹介するべきか。
額に冷や汗を浮かべている殿下と、視線を交わしていると。
「アリウムさまの恋人?」
邪気のない問いかけに、肩が揺れた。
まだ何も言っていないというのに、クレソンさん夫婦はじめ、他の領民たちも「恋人なんて初めて見たわ」と囁き合っている。
「あっ、あの、誤解で――」
反射で否定しかけて、とっさに口を閉じた。
うちの領に、本物の第二王子がいるとバレたら、何かと厄介なことになるのではないか。
ならば――。
「殿下、ちょっと」
カシの木のように、どっしりと立ったまま動かない殿下の腕を引き、みんなに背を向けたところで。
これから何を訊かれても、第二王子とは別人ということで口裏を合わせよう――と、提案すると。
「……ああ、そっちですか」
「はい?」
恋人設定は否定しないのかと、殿下は畑に視線を落としたまま言った。
「その方が、都合がよろしいのでは?」
ボロ屋敷に出入りする謎の男性よりも、いっそ“私の恋人”ということにしてしまえば、領民たちには怪しまれないだろう。
特に問題があるわけでもないと、断言すると。
「その、貴女が構わないのであれば……」
殿下は何かを諦めたように、小さくため息を吐いた。
まただ。
昨晩、意味ありげなセリフを囁いた時と同じ。
でも、今は領民たちの前に戻らなければ。
「いつまでも作戦会議していたら、怪しまれますわ」
「……そうですね」
満面の笑みで待つ領民たちに、いっそこちらから「恋人のナナさんです」と、紹介すると。
魔法を使った時以上の歓声が返ってきた。
「……っ」
なぜか、胸が締めつけられる。
領民たちに嘘をついてしまったせいか、それとも――。
「ナナ様、今度街の酒場にも顔出してね!」
「アリウム様の良い人ってんなら、サービスしちゃうよ!」
「はぁ……」
盛り上がる青年たちに対し、殿下は一歩、足を下げていた。
普段、こういった距離感の人たちとはあまり接しないのだろう。
それでも、彼の横顔は照れているように見えた。
「あのぅ、アリウムさまぁ」
「……はい?」
隣領から嫁いできた、歳の近い女性が声をかけてきた。
彼女の腕には、堆肥の入った桶が抱えられている。
「ここのところ湿気が多くて、アタシの魔法じゃあうまく乾燥しないんですぅ」
「うーん……確かに、ベタベタすぎますわね」
手袋を外し、直の手で堆肥を握ったところ。
隣から、「えっ」と短い声が上がった。
「なにか?」
「いえ、馬ふ……自然のものに直接触れるご令嬢を見るのは、初めてだったので」
殿下のそれは、皮肉や罵りではなく、単純に驚いているみたいだった。
「気に障ったらすみません」と、慌てて付け加える彼に、思わず笑みがこぼれる。
「あなたにも、こちらの堆肥に触れていただきます。準備はよろしいですか?」
女性の抱える、堆肥の桶を指すと。
「私が……ああ、そういうこと」
「さすが、頭の回転が早くていらっしゃるわ」
説明する前に、殿下はためらいなく土に触れた。
すると。
水気が多すぎる土の色が、少しずつ乾き、黒ずんでいく。
(やっぱり、思った通り……)
服を燃やさずに乾かしたり、配管を傷つけずに氷だけを溶かしたり――この人の魔法の精度は、とても繊細だ。
「す……すごいですぅ! ナナ様の魔法の腕前、お見事でしたぁ」
堆肥作りの相談をしてくれた彼女はもちろんのこと、クレソンさん家のご夫人まで喜んでいる。
「乾燥しすぎちゃいけないのに、ちょうど良い感じに出来上がってるよ! お兄さん、分かってるね」
「それは……お役に立てて幸いです」
領民たちの笑顔に、殿下は面食らったようだった。
それでも、やはり表情が柔らかく見える。
「そういえば殿下、分かっていらしたのですね」
堆肥を“ちょうど良い状態”まで乾かしてほしいとは思ったものの、その基準は何も教えていなかったのに。
「……あらゆる専門書を読んで生きてきたので。実践したのは初めてですが」
「今日の殿下は初めてだらけですね」
泥に塗れた互いの手を見て、ぎこちなく笑い合った。
こんなに笑ったのは、いつぶりだろう――。
領民たちに翻弄される殿下を見ていると、少し目の奥が熱くなった。
「アリウム様が太らせてくれたニンジンで、今からスープ祭りだよ!」
「もちろんきますよね?」と、おさげ少女に手を引かれる間に。
「殿……ナナ様も」
普段ならば決して許されないであろう呼び名とともに、殿下へ手を差し伸べると。
「あ……は、はい」
少し遠慮がちな指先が、私の手に触れた。
「やってみたいことがある」――まさかの殿下から提案を受けたのは、その日の夜。
作戦会議の場として、すっかり定着したベッドの上だった。
「ラグナム領の畑と領民を見て、確信しました」
たとえすぐに大量生産とまでは言わなくとも、ここでしか採れない新鮮な野菜でできることがある。
殿下は肩が触れるのも構わず、こちらに顔を寄せてきた。
畑から帰ってきて以来、少し距離が近い気がするが――今はそれどころではない。
「ええと……つまり?」
「ラグナム領で地産地消されている野菜は、この石の国において非常に希少です。もしかすると……」
力ある立場の者の心を、動かせるかもしれない。
殿下の呟きに、鼓動が跳ねた。
「そんなこと、可能なのでしょうか……?」
「はい。こんな私にも、信用できる官僚は存在します」
今は自分の失脚とともに、裏側へ潜むことを余儀なくされているだろう――殿下はそう言って、膝上の拳を震わせた。
「ともかく。私が貴女の料理に感動したように、乾いた食卓に慣れた彼らも、きっと……」
私の料理、もといラグナム領で採れた新鮮な野菜が、“緑のサロン”を現実的にする手段になるかもしれない。
想像しただけで、指先が震えた。
でも――やってみる価値はありそうだ。
「……分かりました。“ボロ屋敷おもてなし作戦”、やってみましょう」
「はい。私が秘密裏に接触を図ります」
来週、国政事業省の方々をお招きする。
さっそく翌朝、殿下は屋敷を出て行った。
「これで完全に共犯ですね」と、言い残して。
「共犯……」
殿下の言葉が、頭の中で何度も反響した。
なんだか――これまでにないくらいに、全身が疼いている。
「よし、やりましょう……!」
食事の席で“緑のサロン”創設計画のご提案をするとはいえ、中身の具体化は必須だ。
初期費用がどのくらい必要になるのか。
領から雇用を捻出できないか。
自室のベッドに紙を広げ、ペンを走らせた。
窓の外が薄暗くなってきても構わず、ただひたすらに。
「……できた」
あくまで予測と見積り。
それでも「可能性がある」と思わせる、“緑のサロン”創設計画。
10年間、ひとりでラグナム領を見守ってきた、私にしか書けないものだ。
完成した計画書を見つめる間、頭によぎったのは――。
『こんなに新鮮で美味しい野菜料理、生まれて初めてです』
初めて見た、殿下の笑顔だった。
「……料理、もっと練習しないと」
私と殿下の魔法。
ラグナム領の新鮮な野菜。
これできっと、妹が口にしただけの美談を、私たちの手で実現してみせる。




