9話 緑のサロンは誰のもの?
とにかく今は、アストロワ卿の思惑を先読みしなければ――。
「シローヌさん、会議室をお借りしても?」
“緑のサロン”関係の書類を両手いっぱいに抱えて、長官席に座る彼女に問いかけたところ。
「まぁ! 書類が声をかけてくるなんて、何事かしら」
彼女は冗談を言いつつも、会議室の鍵を渡してくれた。
今はのん気に笑っていられない。
会議室の机に書類を広げたところで、殿下とシュシュカも、追加の書類を持って追いかけて来てくれた。
「アリウム、運営権を死守する方法ですね?」
「殿下はアストロワ領周辺の土地の借用書を集めていただけますか?」
「はい、今すぐに」
確かすでに、アストロワ領へ“緑のサロン”を増設するための、“土地の借用書”の写しが届けられていたはずだ。
「それを見れば、相手がサロンの権利を誰に渡すつもりかはっきりします」
シュシュカにもお願いしようとしたところで。
「お二人がお帰りになる前に、アストロワ関連はここにまとめておきました」
「さすがね……!」
「でも、どうしてアストロワ卿はここまで……」
なぜ彼は、いち施設にここまで執着するのか。
シュシュカの問いかけに、唇を軽く噛んだ。
「これは商人が見たら、飛びつきたくなる“商売の種”なのよ」
国内では、野菜そのものが高級品だ。
それを安定して育てられる畑は、商人にとって宝の山になる。
ましてラグナム領の“緑のサロン”は、最初の成功例――ここを押さえた者は、「これが緑のサロンの正しい形だ」と、各地に広げる基準まで握ることができる。
だからアストロワ卿は、ラグナム領の“緑のサロン”を狙っているのだろう。
「そんな……私たちの暮らしに大切なものを、商売にするつもりなんて!」
「ありました」
声を荒げるシュシュカの横で、殿下は冷静に書類を掘り出していた。
金剛石の刻印がなされたそれは、まさにアストロワ領の土地の権利に関する書類だ。
「ですが、この借地条件は安すぎます。貴族たちが、これほど素直に土地を差し出すとは思えません」
「ええ。だから、ルナティですわ」
「妹さんが……?」
なぜ、と首を傾げるシュシュカに、殿下と視線を合わせた。
彼女の“特別な力”について、私たちはよく知っている。
「あの子は“豊穣の女神”として、貴族たちにとっては価値がある存在です。それに……あの子が涙を見せれば、周囲は勝手に物語を作るのよ」
姉を助けたい妹。
唯一無二の魔法を持つ女神が、姉の事業のために身を尽くしている。
そんな筋書きなら、貴族たちは喜んで乗るだろう。
「アストロワ卿は、あの子の魔法だけでなく、涙の使い道まで理解しているのです」
「なんてこと……」
そこでもう一度、アストロワ卿からの書簡を開いた。
彼がルナティを使って、土地を格安で手に入れた後、私たちに望むことは――。
「“国政事業省が、アストロワ商会へ運営権を移譲すること”……これだけじゃないわね」
彼の提案は、一見すると親切だった。
ラグナム領のサロン第一号の土地も建物も、正当な額で買い取る。
苗や道具も、働く農民たちも、きちんと報酬を出して迎える。
けれど、それは裏を返せば――“緑のサロン”の形を、丸ごと彼の手元へ移すということだった。
(さすがはアストロワ卿……抜け目ない)
「ですがそれには、ラグナム領領主と国政事業省、それに王様の承認が必要なはずです」
「ええ。だから彼は、最初に私を取り込もうとした……」
やはり、あの求婚はそういうことだったのだろう。
土地と建物を押さえれば、最初のサロンを手に入れられる。
名前と仕組みを押さえれば、「これが正しい緑のサロンです」と他領に広げられる。
苗と働き手を押さえれば、私がいなくても同じものを作れる。
つまり彼は――“緑のサロン”を丸ごと自分の商売に作り替えようとしているのだ。
「これでは“緑のサロン”が、国民の食卓ではなく、貴族たちの商品になってしまいます」
「そんな……!」
あの人は、畑の先にある食卓までは見ていない。
アストロワ領で彼と話した時に感じたことを、二人へ伝えると――シュシュカはペンを持つ手を震わせ、殿下はため息を吐き出した。
「おそらく国政事業省には、『全国展開が早まる』などと説明されているのではないでしょうか」
「さすが、アリウムさんのおっしゃる通りよ」
いつの間にか、会議室の扉前にシローヌが立っていた。
彼女の存在に気づかないほど、熱中していたらしい。
「でもね、彼のやり方はまったくの間違いではないと思うわ」
「シローヌ様、どうして……!」
「ごめんなさいねシュシュカ、でもよく聞いてちょうだい」
アストロワ商会の財力、そして土地を持つ貴族たちの力を借りれば、緑のサロン事業はあっという間に広がっていくことは確か――シローヌの主張に、言葉を失った。
アストロワ卿が口癖にしている「効率化」。
それが叶うのは本当だ。
「アストロワ卿も、ご自分のやり方で緑のサロンを広げようとなさっているの」
「ただ……アリウム様が危惧なさっている通り、農民主体のものではなくなってしまいます!」
シュシュカの言葉が、胸に重くのしかかった。
そうだ。
私が彼のやり方を認めてしまったら、農民たちの作った野菜が正しい形で行き渡らなくなる可能性がある。
でも、今日はもう終業時間――シローヌは窓の外を横目で見て、私たちに解散するよう言った。
「今の頭で走っても、相手の土俵に乗せられるだけだわ。今日は一度休みましょう? 明日から、正式に戦います」
「アリウム様……」
もちろん残業は覚悟していると、シュシュカは言ってくれたが――。
「……いえ、本日はもう休みましょう」
シローヌの言う通り。
アストロワ卿の手紙一枚に引っ掻き回されている時点で、思うツボだ。
今日のところはシュシュカを帰し、私たちも執務室を出ることにした。
「アリウム……一緒に夕飯の支度をしましょうか?」
同じ方向に歩く殿下が、どこか遠慮がちに言った。
きっと私を心配して、一緒に居ようとしてくれているのだろう。
でも、今は――。
「ごめんなさい……少し、一人で考えたいのです」
そう言うと、殿下は口を開きかけた。
けれど、すぐに飲み込んでくれた。
「分かりました……もし何かあった時は、すぐに参ります」
縛らないと約束してくれた人は、こういう時、本当に私を縛らない。
今は殿下の優しさに甘えて、ひとり納屋へ帰ることにした。
月明かりの注ぐ畑に、ジョウロで水を撒く間も――ため息は止まらなかった。
“緑のサロン”を商売にしかねない、アストロワ卿の案は受け入れがたい。
でも農民に高い給金が出るなら、それを一方的に「選ぶな」と言う権利は私にない。
「でも……」
私たちが作った野菜を、国外などに高く売られてしまったら。
結局、自国の農民たちに行き渡らなくなってしまったら――?
(そんなの、絶対に嫌だ……)
「水は意外とすぐ捌けるのだな」
「え……」
いつの間にか、白髪を下ろしたヒゲの老人が隣に並んでいた。
「ええと……?」
見覚えはある気がするけれど、どの省のお偉い様だっただろうか。
「ふむ、これは丸々とした良い野菜だ。明日の朝食にぜひ欲しい」
どこかで聞いた声。
それに目を細めた横顔が、どことなく殿下に重なる――。
「あ……ああ!」
彼の正体に思い当たった瞬間、指先まで痺れた。
膝をついて、最敬礼のお辞儀をしようとしたところ――“王様”は、「楽にしなさい」と朗らかに笑った。
「息子が本気で愛していると言う女性が、どのような人なのか知りたくて来ただけだ」
「え……?」
王様の柔らかい微笑みが、胸に刺さる。
妹の件――突然、ルナティがナナラピス殿下との婚約を破棄したことで、王家にはとんでもない迷惑をかけた。
それに、“緑のサロン”落成式の時だって――彼女は第一王子との婚約話まで反故にしたのだ。
「もうよい」
「え……」
「優しいだけでは駄目なのだと、ワシも気づけた」
ここでは、ひとりの親として話す。
そう言って、王様は私の手からジョウロを取った。
「あっ、そんな……王様!」
「はっはっは、やらせてくれ」
以前農民たちの話を聞いて、土に触れてみたいと思っていた。
王様は本当に楽しそうに、畑へ水を撒き始めた。
「第一王子は、平民出身の母から生まれた」
「え……?」
「ナナラピスの母は早くに亡くなってな。今の王妃が即位することになったのだが……その時呼び戻された彼の異母兄が、第一王子になったのだ」
その時、殿下は強い不安を感じている様子だった。特に魔法のことで――と、王様は静かに続けた。
「ただ、ワシの妃はできた人間で」
平民出身の母親――今の王妃様は、貴族たちから身分に対するそしりを受け続けたにもかかわらず、王子二人に平等な愛情を注いだという。
「そのおかげだろうか、息子は二人とも優しく育った」
「……そうだったのですね」
殿下も過去のことを話してくれたけれど、そこまでは知らなかった。
けれど、なぜ王様は、いま私にそんな話をするのだろうか――。
「君の話もよく聞かせて欲しいところだが……今は何か、悩んでいるのではないか?」
「……!」
王様は、“緑のサロン”とアストロワ卿のことについて、どこまで知っているのだろう。
ただ、この瞬間。
私の中に、「もし」という気持ちが湧いてきた。
王様なら、この話を聞いた時――効率化と平等な分配、どちらを選ぶのだろうと。
「王様……いち国民の“独り言”として、お耳に入れていただけますか?」
これは政治相談ではない。
あくまで雑談として聞いてほしい。
そうお願いすると、王様は目を丸くしたものの――「うむ」と小さく頷いた。
「では……少し前に落成した、“緑のサロン”のことですが」
私はあの場所を、貴族たちではなく、農民のものにしたい。
でも、私が止めて良いものか分からない。
アストロワ卿のことは、「ある巨大な商会の出資者」としてぼかしながら話したところ。
「……ふむ、それは悩むな」
王様は、ジョウロを傾ける手を止めた。
「実際、アストロワ商会の財力と行動力は支持されている。王宮としてもありがたい」
「あ……」
アストロワの名は出さなかったのに――国政事業省の報告書に、王様はきちんと目を通していたらしい。
「だが……たとえ美談だとしても、アリウム嬢の言うことは正しい」
「え……?」
意外だった。
王様は、貴族を中心に「国の和」を考えていると思っていたのに――。
「しかもルナティ嬢の時とは違う。君はちゃんと、実現可能な案を出している」
「王様……」
ただ、と王様は低い声で付け加えた。
「“正しさ”を貫こうとすれば、相応な時間がかかるものだ」
「……っ」
一国を治める彼の言葉に、全身が押し潰されそうになった。
自分を貫くとは、生半可なものではない。
そう言われた気がした。
「……雑談と申し上げましたのに、重いお話で恐縮ですわ」
なんとか言葉を絞り出すと。
「いや、構わない。ただ……緑のサロンが“国民の食卓”のためにあるというのならば、誰のものかは彼らも含めて決めなければな」
「え……?」
顔を上げた先で、王様は静かに笑っていた。
ただ、それ以上何も言うことなく――「おやすみ」と、私の手にジョウロをそっと残して行ってしまった。
夢のような邂逅を果たした、翌早朝。
「アリウム様起きて! 今すぐ玉座の間へ向かってください……!」
鳥のさえずりよりも早く納屋に響いたのは、シュシュカの高い声だった。
「……何を言っているの、シュシュカ」
長官でもない官僚が、玉座の間に呼ばれるはずがない。
それに、こう見えても私は朝に弱いのだ――そう言って、ベッドへ沈もうとすると。
「冗談ではありません、王様がお呼びです!」
「え……?」
有無を言わさず叩き起こされ、正装ドレスで向かった先には――昨晩とはまるで雰囲気の違う老人が、石の玉座に鎮座していた。
「国政事業省所属、アリウム・ラグナム……“緑のサロン”事業の責任者に間違いないか?」
「……はい、王様」
いったい、何が起こっているのか――。
指先の震えを隠しながら、王様のお言葉を待っていると。
「サロンが誰のものかは、国民に決めてもらいたい」
「……はい?」
貴族、商人、職人、農民――各身分階級からの“代表会投票”。
それをひと月後に行うと、王様は宣言した。
「王様! そのような思いつきで代表召集など……」
大臣の上ずった声に、王様は彼を鋭く睨みつけた。
「思いつきだと? かつて鉱山権の争いで使われた、代表会投票制度を持ち出しただけだ」
「そ、それは……」
「ラグナム領案とアストロワ商会案……当日の実演会を経て、投票を行うとする!」
実演会。投票。
“緑のサロン”が誰のものかを決めるのは、私でもアストロワ卿でもない。
「国民」だというダイアフェイン王の宣言に、胸が震えた。
ひと月は長いようで、あまりにも短い。
でも、決めるのが国民だというのなら――私が見せるべきものは、ひとつしかなかった。
貴族も平民も、誰もが暮らしの中でもっているもの。
食卓だ。




