第9話「向き合う」
夜。
昼に約束したまま、時間だけが過ぎた。
場所は、会社から少し離れた店。
落ち着いた空気で、自然と声が静かになる。
「……どうぞ」
先に来ていた悠太が軽く手を上げる。
「ありがと」
向かいに座る。
少しだけ間が空く。
「飲みます?」
「……軽くなら」
グラスが置かれる。
一口だけ飲む。
(別に、飲みたいわけじゃない)
ただ、何もないよりはいい。
「で」
環が先に口を開く。
「外、行くんでしょ」
悠太は一瞬だけ視線を落として、頷く。
「はい」
それだけ。
「……どこ」
「地方です」
曖昧なまま。
(やっぱり)
「いつから?」
「来月の頭です」
そこで、会話が止まる。
(近いな)
思っていたより、ずっと。
「……なんで言わなかったの」
気づけば、口に出ていた。
悠太は少しだけ困ったように笑う。
「言おうとは思ってました」
「思ってただけでしょ」
少しだけ強くなる。
「……タイミングが」
「タイミングって何」
言いながら、自分でもわかっている。
(責める立場じゃない)
でも、止まらない。
「別に、関係ないならいいけど」
言ってから、少しだけ後悔する。
(違う)
言いたいのは、そこじゃない。
悠太は少しだけ黙る。
「……関係ないとは思ってないです」
静かな声。
「だから、ちゃんと話そうと思ってました」
まっすぐな言い方。
でも。
「じゃあ、なんで今じゃないの」
重ねてしまう。
少しだけ空気が張る。
悠太はゆっくり息を吐く。
「……吉岡さんが、あんまり聞かないからです」
「え」
「聞かれたら、ちゃんと答えます」
「でも、聞かれないことまで勝手に言うのは」
少しだけ言葉を選ぶ。
「……違う気がして」
環は言葉を失う。
(それは)
間違っていない。
むしろ、自分のやり方に近い。
でも。
「……じゃあ、何も言わないの?」
少しだけ弱くなる。
悠太は首を振る。
「言いますよ」
「ちゃんとしたタイミングで」
その言葉が引っかかる。
(ちゃんとしたって、何)
「それ、いつ?」
踏み込む。
悠太は少しだけ迷ってから答える。
「……ちゃんと、関係が決まったら」
一瞬、思考が止まる。
(関係)
「それって」
言いかけて、止まる。
(逃げる?)
いつもの癖が出る。
でも。
(このままは、違う)
小さく息を吐く。
「……前、言ってたよね」
「好きって」
悠太は迷わず頷く。
「はい」
「それ、まだ?」
少しの沈黙。
悠太はまっすぐ見る。
「変わってないです」
空気が揺れる。
(ちゃんと来るな)
逃げない。
環は少しだけ視線を逸らす。
(どうする)
答えは出ていない。
でも。
「……じゃあ」
言葉が重くなる。
「いなくなるの?」
核心に触れる。
悠太は、一瞬だけ黙る。
「……いなくなる、っていうか」
少しだけ言葉を探す。
「ちょっと、今と変わります」
曖昧な答え。
でも、否定はしない。
(やっぱり)
そう受け取るしかない。
「……そっか」
それ以上、続けられない。
沈黙。
グラスの氷が、静かに鳴る。
(終わるのかな)
そんな考えが浮かぶ。
でも。
(それ、嫌だな)
初めて、はっきり思う。
「……吉岡さん」
悠太が静かに呼ぶ。
「ちゃんと、考えてほしいです」
「俺のことも」
その言葉に顔を上げる。
まっすぐな目。
逃げ場はない。
(ほんと、ずるいな)
そう思いながら。
環は、小さく頷いた。
「……考える」
それが、今出せる精一杯だった。




