第8話「崩れる」
その違和感は、消えなかった。
「吉岡さん、これ確認いいですか?」
「いいよ」
いつも通りのやり取り。
でも、どこか噛み合っていない。
「ここ、もう少し詰めた方がいいですかね」
「うん、その方がいいと思う」
「わかりました」
それだけで終わる。
(こんなに、あっさりしてたっけ)
前は、もう少し続いていたはずなのに。
昼休み。
何気ない会話が、耳に入る。
「朝比奈くん、異動なんだって?」
「え、マジで?どこ行くの?」
「さあ、外って聞いたけど」
手が止まる。
「結構急だよね」
「まあ、あの人仕事できるしなあ」
笑いながらの会話。
(異動……?)
視線を上げる。
少し離れた場所で、悠太が誰かと話している。
いつも通りの顔。
(……聞いてない)
別に、聞く必要はない。
関係もない。
でも。
(なんで言わないんだろ)
その考えが、頭から離れない。
午後。
「吉岡さん、これどう思います?」
「……あ、ごめん。もう一回いい?」
「あ、はい」
少しだけ、反応が遅れる。
「ここ、こうした方がいいと思う」
「了解です」
会話は成立している。
でも、うまく集中できない。
(異動って、何)
昨日の言葉が浮かぶ。
“環境変わるかもしれなくて”
(あれのこと?)
聞こうと思えば聞ける。
でも。
「……」
結局、何も言わなかった。
帰り際。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
それだけで終わる。
前なら、何かあったはずなのに。
(……ほんとに、これで終わり?)
その言葉が、ふと浮かぶ。
帰り道。
気づけば、スマホを開いていた。
メッセージ画面。
名前を見て、少しだけ止まる。
(……何送るの)
理由がない。
用事もない。
でも。
(このまま、何も言わないの?)
指が動きかけて、止まる。
結局、何も送らずに閉じる。
次の日。
デスクに座ると、視界に入る。
段ボールが、また増えていた。
昨日より、明らかに。
(やっぱり、そうなんだ)
視線を逸らす。
「吉岡さん、おはようございます」
「……おはよう」
いつもと同じ声。
でも。
(もうすぐ、いなくなるんだ)
その前提で見てしまう。
午前中。
何度も視線がそちらに向く。
でも、目が合うことはない。
(前は、もっと来てたのに)
そう思って、少しだけ息を吐く。
昼休み。
席を立つ。
理由はない。
ただ。
(このまま、終わるのは違う)
その感覚だけが残る。
「……朝比奈」
気づけば、呼んでいた。
「はい?」
振り返る顔。
少しだけ、言葉に詰まる。
(何言うの)
わからない。
でも。
「……今日、時間ある?」
口に出していた。
一瞬、静かになる。
悠太は少しだけ驚いて、それから頷く。
「あります」
「じゃあ、少し」
それだけ言って、視線を逸らす。
(なんで誘ってるんだろ)
わからない。
でも。
(このまま、いなくなるのは)
嫌だと思った。




