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POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

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第95話 中級神への祈り

 グランド・アリア第二層までの詠唱を終えたノエルの声は、わずかに掠れ始めていた。

 通常、詠唱士の階級クラスであれば、上級でもここまでが詠唱スキルの限界である。 それを、ノエルは現代詠唱の効率的な簡易な詠唱文ではなく、対話相手を気遣いつつ、最大限の敬意を払い唱える失われし古代詠唱の詩を紡いでいたのだ。受ける疲労の大きさは、周囲の詠唱士の比ではない。


 本来であれば、もっと上級の魔術師が担うべきもの。

 でも、今日この場に居ます、上級、特級魔術師であったとしても、ノエルの代わりを務められる者は、世界広しといえど、残念ながら居なかったのである。


 ノエルはただ知識があって、唱えるスキルがあったのではない。

 精霊や神々、神獣やら神霊界の住人を、常に気遣い、大切に想い、慕うこと。

 その紡ぐ言の葉が彼らに届き、そして愛され続けた。


 ひとつひとつの積み重なった、かけがえのないおおきな想い。

 永遠につづく世界の向こうに響き渡る想い。

 時にせつなく、時に悲しく、時に嬉しく、時に愛おしく。

 様々な想いの果て、その永遠の旅路の行く末を、優しく包み込むように。


 ただ単純に、詩を唱えるにあらず。

 神霊と想いを交わす、真の魔術。魔法の具現化。


 いまノエルはその偉業の片隅に、そっと踏み込んだのだった。


 大精霊たちの限界を知った今、彼女の前にあるのは、経験のない領域。

 これまでとは異なる種類の壁が、大きく立ちはだかっていた。


 地域精霊や大精霊は、この国の大地そのものに根ざす存在だ。

 けれども、その上に立つ中級神たちは、もっと抽象的な、人間の営みそのものに近い領域を司る神々だった。

 

 知恵、風の流れ、雷の裁き、調べの慰め——それぞれが、人と神々の世界を繋ぐ役割を担っている。


 アルドは魔力感知の中で、これまでとは違う質の気配が、はるか高みから降りてくるのを感じ始めていた。これまでの大地に根ざした重さとは違う、もっと澄んだ、もっと精緻な質感の気配だった。


     * * *


 ノエルは気持ちを落ち着けるよう、深く呼吸をした。

 そして意を決し、グランド・アリア第三層第Ⅺ節の詠唱に入っていく。


「知恵を司る御方、ソフィアよ

 言葉の構造を見通し、祈りの形を整えし御方よ

 我が声は、ここまで遠く届いた


 だが、まだ足りない

 この声を、もっと正確に、もっと深く

 あなたの知恵で、研ぎ澄ましてくださいませ」


 Ⅺ節目が終わると、ノエルの周りの空気が、わずかに澄んだように感じられた。

 言葉の輪郭が、これまでより鮮明になる。

 アルドの魔力感知に届く気配も、より精緻な質感を帯び始めていた。


「知恵を司る御方、ソフィアよ

 今より紡ぐ言葉の、一つ一つの意味を

 あなたの眼差しで、見届けてください

 この祈りが、正しくこの世界の隅々に届くように」


 二節続けてⅪ節Ⅻ節とソフィアに捧げられた言の葉は、これからの祈りの精度を高めるための、特別な準備だった。

 ノエルの声に、確かな張りが戻った。

 一柱の神に二節を費やすという構成自体が、ノエル自身がこの先の壁の高さを直感的に理解している証のようだった。


「風を遠くまで運ぶ御方、セフィロスよ

 我が声を、この国の隅々まで届けてください

 声の届かぬ場所など、ないように


 北の村にも、東の霧の町にも

 この声を聞いている、すべての地に

 あなたの風で、この祈りを運んでください」


 その瞬間、東端に吹いていた風が、不意に強さを増した。広場全体を巻き込むように、一陣の風が走った。規定の詠唱士たちの何人かが、思わず目を細めた。


「雷を宿す御方、トールよ

 病の根源に、あなたの裁きを

 地の底に巣食う穢れに、清浄なる雷を


 焼き払ってください。

 優しさだけでは届かない場所に、強さを」


 遠く、雲の向こうで、微かな光が一瞬だけ走った。雷鳴は聞こえない。だが、確かに何かが応えた気配があった。アルドは、その気配の鋭さに、思わず息を呑んだ。これまでの精霊たちとは違う、切れ味のある力だった。柔らかさよりも、断ち切る強さを持った気配——それは、病の根を直接焼き払うための力だと、アルドは直感的に理解した。


「調べを紡ぐ御方、ミューズよ

 この国の人々の心に、安らぎを

 恐れと不安に押しつぶされそうな人々に


 あなたの調べを、届けてください

 苦しみの中にも、希望の音が鳴るように」


 その節を唱えた瞬間、広場の民衆エリアから、ざわめきが波のように広がった。何人かが、空を見上げ、何かに耳を澄ませるような仕草を見せた。聞こえるはずのない音楽が、心のどこかに触れたのかもしれない。


 ノエルは、声の型を一度緩めた。


「……ありがとうございます」


 短い口語の言葉。だが、その声には、これまでとは違う種類の感謝が滲んでいた。


「皆さんの力で、私の声が、ちゃんと届くようになりました」


 アルドの魔力感知に、四柱の中級神それぞれの個性ある気配が、はっきりと触れていた。ソフィアの静謐さ、セフィロスの軽やかさ、トールの鋭さ、ミューズの温かさ——それぞれが違う形で、ノエルの祈りを支えていた。これまでの大地に根ざした重い気配とは違い、四柱の力はノエルの声そのものを研ぎ澄まし、運び、清め、温める、というふうに、彼女の祈りの「届け方」そのものに作用しているようだった。


 ノエルは再び、詩の調べへと戻った。


「知恵の御方よ、風の御方よ

 雷の御方よ、調べの御方よ

 あなたたちの力を、今、確かに受け取りました


 この声を、さらに高みへ

 五柱の至高神の御許へ、届けるために

 もう少しだけ、力を貸してください」


 そして、橋渡しの一節。


「ルミナスよ、ノクスよ、イグニスよ

 セレスよ、ガイアスよ

 世界の根源に座す五柱の御方よ


 我が声が、あなたたちに届くように

 今より、その御名を呼びに参る」


 第三層の締め、第ⅩⅤ節目が終わった。


 ノエルの息が、わずかに荒くなっていた。だが、その目には、まだ確かな光が宿っていた。第三層は、人間の祈りを神々の力へと変換する、橋渡しの層だった。その役目を、彼女は今、確かに果たしていた。


 広場の中央で、マルクの詠唱の声に、はっきりとした変化が見えた。彼の規定の節の合間に、これまでよりも頻繁に、任意の言葉が挟まれるようになっている。風が、彼の声にも応え始めていた。彼自身、自分の中の何かが少しずつ開かれていくのを、感じ取っているようだった。


 グランド・アリア第三層5節、完了。


 ノエルは深く息を吸い、次の段階へと進む準備を整えた。

 五柱の至高神——これまでで最も大きな壁が、その先に待っていた。額の汗を拭うこともなく、彼女はただ前を見据えていた。


       * * *


「知恵が声を研ぎ、風がそれを運び、雷が道を清め、調べが人の心に届く。

 一つの声が、四つの力を借りて、ようやく遠くへ届いた」

―― アルド、広場の東端の配置にて

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