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POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

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第93話 ノエルの詠唱、始まる

 石畳に膝をついたまま、ノエルはしばらく動かなかった。


 足の裏から伝わってくる大地の感覚を、全身で聞いて感じていた。

 閉じ込められている。息ができない。長い間、そこにいる。声にならない声で訴え続けている——そんな感覚が、かすかに、しかし確かに伝わってくる。


 アルドはその隣に立ち、静かに待っていた。

 魔力感知を大地の方向へ指し向け、ノエルが聞いているものと同じものを、自分なりに感じ取ろうとしていた。

 

 広場の中央では、規定の詠唱がまだ続いている。あれほどの声が、あれほどの数で重なっても届かなかった場所へ、この少女は今、別の手を伸ばそうとしている。


 ノエルがゆっくりと目を開いた。


 石畳の上に両手を置いたまま、グランド・アリアの第一層第Ⅰ節、その詠唱の言の葉を紡ぎ始めた。


     * * *


「この地に宿りし、土の精霊よ

 大地の底に息づき、根を抱き、命の礎を支えし御方よ

 太初より変わらず、ここに在りし者よ


 今この時、我が声を、あなたに届けん

 地脈に走る乱れを、あなたは感じているだろう

 押し込められた痛みを、あなたは独りで抱えているだろう

 その苦しみに、今、我は向き合う」


 最初の節が、静かに石畳の下へと沈んでいった。

 暇もなく、次の詠唱へと移る。


「この地を流れし、水の精霊よ

 泉を守り、川を導き、命の潤いを循環させし御方よ

 今この時、あなたもまた、苦しんでいる


 水の色が変わった。水の味が変わった。

 あなたの流れる道に、病の根が紛れ込んでいる

 その重さを、あなたは一人で受け止めている

 我は知っている——あなたが、それでも流れ続けていることを」


 第Ⅱ節の詠唱が終わる。

 広場の中央では規定の詠唱が続いている。

 東端の予備配置の詠唱士たちが、ノエルの様子をちらちらと気にして見始める。


 ノエルの詠唱は、規定ルールどおりの、現代詠唱ではなかった。

 それが分かる者には、確かにそれが分かる。

 それは古い過去に忘れ去られた、長い言の葉の連なりからなる、古代詠唱の詠唱手順だった。


「この地を渡りし、風の精霊よ

 空を満たし、種を運び、大気の流れを司りし御方よ

 今この時、あなたの吹く風が、病んでいる


 瘴気が混じった。空気の道が乱れたのだ。

 あなたが運ぶはずだったものが、今は汚れたものを運ばされている

 それでも吹き続けているあなたに、我は問いかける

 その疲れを、今、誰かが知っているか、と」


 第Ⅲ節が終わった瞬間、ノエルの声の調子が変わった。


 詩の型が、ゆっくりと崩れていく。


「……聞こえますか。土の下で、水の中で、風の流れの中で」


 口語に切り替わった。

 広場の近くにいた詠唱士の一人が、はっとした顔でノエルを見た。


「怖いですよね。全部が一度に乱れて変わり果て、どこを抑えて、支えればいいのか、分からないんですよね……」


 アルドの魔力感知に、何かが届いた。

 精霊の感情の断片——恐れ、疲弊、そして、長い孤独。

 誰にも届かないまま、ずっとそこで抱えていた重さ。

 土霊から、水霊から、風霊から、それぞれ違う色の感情が、かすかに流れ込んでくる。水の精霊はどこか重たく淀んだような感触で、風の精霊は薄く拡散したような感触だった。土の精霊は一番深い場所で、一番声が聞こえにくい状態にあった。


「一人じゃないですよ……」


 ノエルが静かに言った。


「あなたたちが苦しんでいることを、私は今、知りました。土の痛みも、水の汚れも、風の乱れも、全部、繋がっていることも……」


 大地が、微かに揺れた。

 地震のそれとは違う、何かが応えようとしている揺れだった。


 アルドの魔力感知が、その変化をはっきりと捉えた。

 ノエルの言葉が、届いている。

 三つの精霊が、それぞれの場所で、かすかに応えようとしている。


「分かりました。では——」


 詩の調べが、もう一度、古の言葉に帰ってくる。


「傷ついた土よ、聞きたまえ

 穢れた水よ、聞きたまえ

 乱れた風よ、聞きたまえ


 あなたたちの声を、我は受け取った

 あなたたちの苦しみを、我は知った

 もう少し、ここにいてください


 我は今より、上位の御方を呼びに参る

 大精霊の力を借り、あなたたちを支える

 独りにはしない——必ず、戻ってくる」


 そして最後の第Ⅴ節——第一層から第二層の詠唱への橋渡し。


「テラよ、ルナよ、シルよ

 大地を司る者、水を司る者、風を司る者よ

 あなたたちの御子が、今、傷ついている


 我が声を、届けたまえ

 我が呼びかけを、聞きたまえ

 今より、あなたたちの名を、呼ぶ」


 そう結んで、第Ⅴ節が終わった。


 ノエルは一度だけ、深く息を吸った。

 石畳に触れた両手のひらが、かすかに温かくなっているような気がした。

 テノアはまだ動いていない。発動は、まだずっと先だ。

 だが、第一層の精霊たちとの接続は確かに生まれていた。


 アルドの魔力感知に届く精霊の気配が、先ほどよりも少しだけ濃くなっている。土から、水から、風から——三つの流れが、ノエルの周りに薄くたゆたっていた。


 広場の向こうで、マルクが東端の方向を見ていた。中央の詠唱が止まらない中で、何かが変わり始めているのを、彼の感覚も捉えていた。


 ノエルは次の声を整えながら、静かに、大きく息を吸い込んだ。


 続けて第二層の詠唱へ、ノエルは入っていった。


     * * *


「五節で、三つの精霊の扉が開いた。

 土の声、水の声、風の声——それぞれが別々に傷ついていながら、

 同じ一つの痛みに繋がっていた」

―― アルド、東端の配置にて

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