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POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

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第89話 儀式詠唱の配置

 王都へ入ったのは、グランド・アリアの儀式詠唱が行われる前日だった。


 中央広場に近い区画に、詠唱士たちの仮設宿舎が設けられていた。

 各地から集まった詠唱士や魔術師たちが、廊下や中庭に溢れている。


 学院の外でこれほどの詠唱士を見ることは、アルドの記憶にもなかった。

 全員が、緊張と使命感と、それぞれの思惑を背負ってここにいる。

 廊下のあちこちで、初対面の詠唱士たちが互いの所属と実績を確認し合っている声が聞こえた。その会話の中に、ノエルの名が混じることは、今のところなかった。


 到着の夕方、配置の説明会があった。


 仮設された施設の大部屋に、招集された魔術師や詠唱士が集められた。


 正面の壇上には、王家の文官と、学院から来たフォルク、そして見知らぬ高位の魔術師が並んでいる。

 

 中央広場の地図が広げられ、詠唱士の名前と配置が一人ずつ読み上げられていった。名前が呼ばれるたびに、部屋のざわめきが少しずつ変わっていく。誰が中央に近い場所を与えられ、誰が端に置かれるか——その順番が、今日の部屋の中に、静かな序列を作り出していた。


 マルクの名が呼ばれたのは、早いうちだった。


「マルク・レインズ。中央配置、第一陣」


 部屋に、わずかなざわめきが走った。学院最高位に匹敵する詠唱士が、最も重要な場所に配される——当然の配置だった。マルクは無表情のまま、静かに頷いた。


 だがアルドは、その横顔に、緊張と覚悟が同居しているのを見て取った。

 任意節を試してきた数か月。

 毎朝風に語りかけてきた時間。

 それらを積み重ねた上での、今日のこの配置だった。


 名前の読み上げは続いた。


 ノエル・ブライトガーデンの名が呼ばれたのは、ずいぶん後の方だった。


「ノエル・ブライトガーデン。予備配置。中央広場、東端にて待機」


 淡々とした声だった。「予備配置」「東端」——広場の隅、儀式の中心から最も遠い場所だった。ノエルは一瞬だけ、視線をアルドに向けた。

 アルドも、その視線に答えた。


「アルド教授。予備待機枠付き添い、同じく東端」


 ノエルが、小さく息を吐いた。

 期待されないのは今に始まったことではないし、それはそれで気が楽でいい。

 安堵のため息だった。


     * * *


 配置説明が終わり、廊下に出ると、ノエルが静かに言った。


「やっぱり、隅っこでしたね」


 えへへと、照れたように笑う。

 怒りでも落胆でもない、ただ確認するような口調だった。


「フォルク先生が、期待されるとは限らないって、言ってくれてましたから」


 それから、少し考えて付け加えた。

 あたかも自分の中で確認し直しているような、ゆっくりとした間があった。


「でも、別に、いいです。精霊に声が届けば、場所は関係ないので」


 そう言い切る声に、強がりの色はなかった。

 ノエルは本当にそう思っているのだということが、その声の静かさから伝わってきた。大部屋で並んでいた他の詠唱士たちは、中央に近い配置を告げられたとき、誰もが表情を変えていた。

 東端の予備配置を告げられた数人は、露骨に落胆の顔を見せていた。

 ノエルだけが、ほとんど変わらない顔のままでいた。


 アルドは筆談ノートを開いた。


『セレス様が言った通りです』


 ノエルがその文字を見る。アルドはもう一行、続けた。


『「あなただけの言葉で」——そう、頼まれました。場所は、関係ありません。いつもの貴方の言の葉を届けるだけですよ』


 ノエルは頷いた。それから、ふと思い出したように顔を上げた。


「隅っこから声を出しても、精霊たちに声が届くかなぁ。さらに神様にも」


 アルドは一瞬考えた。

 北の村の土の怯え、東部の霧の町での呼びかけ、街道の古い祠でセレスの声が届いてきたあの瞬間——場所の問題ではなく、声そのものの問題だということを、これまでのすべての経験が示していた。そして書いた。


『精霊や神霊、神々は、声が届く場所を選ばないと思います』


「そうですよね。テラやルナ、それにシルたちなら、ちゃんと聞いてくれますよね」


 その声は、ほとんど独り言に近かった。だが、確信がそこにあった。


     * * *


 その夜、廊下でアルドはマルクに会った。


「配置、確認しましたか」


 マルクがアルドに向かって、丁寧な口調で言った。


「あなた方は、東端でしたね」


 アルドは頷いた。


「……俺は、中央です」


 マルクはそれをなんの嫌味も、謙遜もなく告げた。

 期待されている、という誇りでも、重圧でもない。

 ただ、事実として告げている。

 それから、少し間を置いてから、続けた。


「正直に言うと、俺の詠唱で、どこまで届くか、まだ分からないんです」


 これほど正直な言葉を、マルクが口にするとは思っていなかった。

 アルドは筆談ノートを開いた。


『あなたの詠唱は、以前とは変わっています。それは確かです』


 マルクが読む。


「……そうですか」


 短い言葉だったが、その奥に、何かを受け取ったような響きがあった。


「あなた方が、東端にいることは——俺には、むしろ、良かったと思っています」


 それだけ言って、マルクは先に行こうとした。

 アルドは、その背中に向けてペンを走らせた。


『どういう意味ですか』


 マルクが振り返り、その文字を読んだ。しばらく考えてから、答えた。


「広場の端にも、精霊の声が届く。俺は、それを、あなたたちが証明してくれると思っています」


 それは、彼なりの期待を込めた言葉だった。


 それだけ言って、マルクは廊下の奥へ去っていった。

 その足取りは、普段より少し遅かった。

 明日の重さを、すでに背中に感じているのだろう。


 アルドはその背中を見送りながら、胸の中に静かな熱さを感じていた。


 儀式の配置のど真ん中と東の端。

 配置の差は、確かにある。

 だが、マルクはその差を、上下ではなく、役割の違いとして捉えていた。

  

 いつか中庭で「精霊の声が聞こえたことが一度もない」と言っていたあの男が、今日、こういう言葉を口にした。任意節を試し始め、「何か、聞こえた気がする」と言った日から、どれだけの時間が経っただろうか。


 窓の外の王都の夜が、静かに更けていった。

 明日、この夜が終われば、儀式が始まる。


     * * *


「隅から声を出しても、届くかどうか——そんなことは、精霊に聞けばいい。

 答えは、もう分かっている」

―― アルド、王都の夜にて

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