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POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

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第88話 王宮への召集

 使者が来たのは、翌朝のことだった。


 学院の正門に、王家の紋章を刻んだ馬車が静かに停まっている。

 学院に来客はあっても、王家の紋章入りの馬車などというものは、アルドの記憶にはなかった。


 廊下の窓から外を見ていた学生が「あれ、王家の人ですよ」と声を上げ、瞬く間に人だかりができていた。廊下の空気が、一瞬にして変わった。押し殺した囁き声と、足音と、どこかから聞こえる「本当に来た」という誰かの驚きが混じり合っている。


 アルドとノエルは、フォルクに連れられて正面応接室へ向かった。

 廊下の石畳が、いつもより長く感じられた。


 応接室の扉を開けると、二人の人物が立っていた。一人は、王家の紋章を入れた正式な礼服を纏った壮年の文官。もう一人は、その後ろに控える若い武官。部屋の隅には王家の家紋が刺繍された旗が立てられ、外の廊下で学生たちの足音が緊張したように遠ざかっていくのが聞こえた。文官は丁寧に一礼してから、声を低めて告げた。


「ノエル・ブライトガーデン殿、アルド教授。王家の名のもと、グランド・アリアへの正式な参列を要請いたします」


 その場の空気が、変わった。これまでの学院の招集とは、まるで質が違う。王家から直接、名前を指定された要請だった。フォルクが脇に控えているが、今この瞬間、この部屋の中心は学院ではなく王家だった。


「日程は、八日後。場所は、王都中央広場。前日に王都へ入られ、翌朝の儀式に備えてください」


 文官は書状を取り出し、両手で差し出した。フォルクが受け取り、アルドとノエルに示す。厚手の紙に、王家の封蝋がされている。紙の質も、重みも、これまで手にしてきたどの書類とも違った。


 ノエルが、それを見つめていた。

 表情の変化は一瞬だったが、アルドの目には確かに映った——ほんの少しの、緊張の色が。


     * * *


 応接を終えて廊下に出ると、ノエルが小さく息を吐いた。


「緊張しました」


 これまでの口調と、少し違う声だった。普段の彼女なら、もう少し明るく言っていたかもしれない。フォルクが前を歩きながら、振り返らずに言った。


「それで構わない。緊張しない人間の方が、信用できない」


 その言葉に、ノエルが思わず笑った。緊張してもいい、と言われたのが、かえって力を抜いてくれたのかもしれない。アルドは、そのやり取りを聞きながら、フォルクという人物のこういう言い方が好きだと思った。


 アルドは書状を手に持ったまま、廊下を歩きながら、胸の中で静かに考えていた。王家の名。名前の指定。ヴィナスが名簿の上部に記載した、という事実が、ここに繋がっている。「期待されるとは限らない」とフォルクは言った。だが、王家が名を指定したという事実は、その言葉とは少し違う何かを示していた。名前が先を歩いている、とレイが言ったことがある。今日、その名前が、また一歩、先へ進んだ。


「アルド教授」


 フォルクが、足を止めずに言った。


「儀式の場での詠唱士の配置は、王家と学院の合議で決まる。今日の召集は、名前を記録した、というだけだ。配置がどこになるかは、まだわからない」


 正確な説明だった。期待を煽らず、しかし事実を隠さない。フォルクらしかった。ノエルはその言葉を聞きながら、ただ静かに歩いていた。


     * * *


 その夜、アルドが研究室で書状を広げて読み返していると、傍らにレイの気配が立った。


「王家の紋章か。ずいぶん、正式なものが来たね」


 レイの声は、いつも通り軽やかだった。だが、その軽やかさの奥に、今日だけは何か別のものが混じっているような気がした。


「王家というのは、面白いものでね」


 レイは部屋の中を漂いながら言った。いつもより少し、言葉を選んでいるような口ぶりだった。


「神霊、精霊の存在を、一番長く信じてきた側でもある。制度の外で、一番古い記憶を持っている連中でもある」


 アルドは書状から顔を上げた。三百年前の「大地の慟哭」。リトシステムの制定。その時代を生き抜いてきた王家が、今、また動いている。


「王家が動いたのは、状況が切迫しているからだけじゃない。彼らも、神や精霊が何かを言いたがっているのを、どこかで感じているはずだよ」


 その言葉を、アルドは静かに聞いていた。学院という制度の中でしか世界を見ていなかった自分が、今、王家という別の層から見た光景の端を、初めて垣間見た気がした。


「ノエルは、大丈夫かな」


 ふと、ノエルのことが頭をよぎった。

 今夜、彼女は自分の部屋で何を考えているだろうか。

 王家の紋章入りの書状を手に取ったときの、あの一瞬の表情が、まだ目に残っていた。緊張した、と正直に言えるようになった彼女が、今夜はどんな顔で天井を見つめているのか。不安か、静けさか、それとも——考えても分からないことだった。


「ノエルは、大丈夫かな」


 ふと声に出しそうになって、アルドはペンを手に取った。声は出ないので、ノートに書いた。誰に見せるわけでもない、ただ自分の中の問いを形にしたかっただけだった。


「大丈夫だよ」


 レイが、珍しく即答した。


「あの子は、相手が王家でも精霊でも、同じように接するから。それが、一番強い」


 アルドは、その言葉をしばらく噛みしめた。それから、書状を丁寧に畳んで、机の引き出しの中に仕舞った。


 八日後。


 その日が、ゆっくりと近づいてくるのを、アルドは確かに感じていた。


 リトシステム。

 テノア。

 リトのチョーカー


 声を失って三年以上。

 ノエルと歩いてきた旅の日々。

 フォルクの三十年。

 ヴィナスの十五年。


 セレスの呼びかけ。テラの怯え——それらすべてが、八日後の王都中央広場という一点に向かって、静かに流れ込んでいく。


 窓の外の夜空に、秋の星がいくつも瞬いていた。


     * * *


「王家の名のもと、と言われた時、ノエルの顔に一瞬だけ、緊張が走った。

 でも、それだけだった。

 次の瞬間にはもう、いつものノエルの顔に戻っていた」

―― アルド、その夜の研究室にて

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