表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
85/92

第84話 揺れる大地

 夜、アルドが研究室に一人でいると、突然地面が揺れた。


 最初はごく微かで、書架の上の書物が小さく音を立てた程度だった。

 だが、それはすぐに大きな波動となり、机の上の茶器が震え、インク瓶が転がりかける。アルドは咄嗟に机を押さえ、立ち上がった。

 足元から伝わる振動が、単なる地面の揺れというより、何か巨大なものがゆっくりと動いているような、奇妙な重みを持っていた。


 体の奥で魔術の流れがふっと沈み、その一瞬だけ、世界の底がわずかに揺らいだような違和感を覚えた。

 それは、リトのシステムが反応したのではなく、遠い場所で生まれた波が大地を伝い、その余波だけがアルドの内側に触れたような感覚だった。


 揺れは三十秒ほど続いて、静かになった。

 廊下の向こうで、学生たちの慌てた声の騒めきが聞こえてくる。


 アルドは窓の外を見た。夜空には変わりなく星が瞬いているが、どこか遠くで、土地そのものが息をひそめているような静けさが漂っていた。


 ふと、ノエルの部屋に確認しに行こうかとも思ったが、廊下を足早に歩く人の気配からして、怪我人は出ていないようだった。アルドはしばらくの間、窓の外を見つめ続けていた。


     * * *


 翌朝、早々に副学院長室にアルドとノエルの二人が呼び出された。


 ヴィナスは書類を机に広げ、いつも通りの平坦な声で告げた。


「東部の町から、緊急の要請が来ています」


 彼女はそのまま、地図の一点を指した。


「この町は、以前訪れた北の村と、比較的近い場所にあります」


 二人が漏らさず話を聞いていることを確認して、続ける。


「同じ地脈に位置していると、学院の調査結果は示しています」


 ノエルは、その言葉を静かに受け止めていた。


 以前、北の村の土が怯えていたこと、「地の底から何かが押し寄せてくる」という感覚を受け取ったこと——その延長線上に、今回の事象が起きている。


 「行けますか」と問われる前に、ノエルはもう行くことを、依頼を受けることを決めていたようだった。


     * * *


 東部の町に着いてみると、辺りはうっすらと霧に包まれていた。


 季節外れの霧が、晴れた日にもかかわらず低くたれこめ、町全体を白く覆っている。屋根の輪郭が霞み、通りに出ている人影も、どこか現実感を欠いて見えた。


 発生している疫病の症状は、発熱と四肢の痺れ。

 先週から三十人以上が床に伏し、今も増え続けているとのことだった。


 依頼主の区長が、青い顔で二人を出迎えた。

 昨夜の地震の影響か、石畳の一部に細かなひび割れが走っていた。


「北の村と同じ地脈だと聞きました。やはり、関係しているんでしょうか?」


「おそらく、そう思います」


 ノエルは短く答えて、町の中央広場へと向かった。


 広場の中心に立つと、地面の土の感覚が、足の裏から静かに伝わってくる。

 普段の地面とは違う。

 それは固く、冷たく、どこか疲れ果てたような感触だった。

 ノエルはその場でしゃがみ込み、両手を地面に触れた。


「土霊さん、聞こえますか。私の声が聞こえますか?」


 土地の精霊に声をかけるノエル。でも、まったく答えがなかった。

 その様子に、しばし考えながら、周囲を見回していた。


「土霊さん、お願いです。応えてください!」


 その様子を近くでレイが見つめていた。

 霧の向こうをじっと見つめていた。

 その目は、何かを“思い出している”ようにも見えた。


「……返事がないですね。なら、真名で呼んだら応えてくれるかな――レイさん、この辺りの土霊の真名まな、わかりますか? 教えてください!」


「ノア・エクト・イース、昔の言葉で、『東の大地を支える者』だ」


「ありがとう!レイさん」


 ノエルは、頭の中でレイから聞いたばかりのこの土地に住まう、土精霊の真名を繰り返し、呼びかけに備えていた。


「土霊『ノア・エクト・イース』、私の声が、聞こえていますか」


 詠唱の型を取らない、呼びかけだった。だが期待した返事はなかった。

 霧だけが、静かに揺れ周りを濃く包んでいた。


「ノア・エクト・イース、どうか応えてくださいませんか」


 再び、真名で呼びかけた時、今度は明確に、でも弱いが暗いイメージの感覚が伝わって来た。それを感じ取り、ノエルは呼びかけを続けた。


「分かります。今、すごく、苦しいんですね……」


 声は穏やかで、急かさない。


「無理しなくていいですよ。でも少し、聞かせてくださいませんか。何が、一番、苦しいですか?」


 しばらくの沈黙があった。


 それから、少しずつ、ほんの少しずつ。

 声が届き始めた。


 苦痛、圧迫、途切れ、沈む……暗い波が押し寄せる……

 地の底で何かが押し寄せ、光が遠のく……


 アルドもその静かな揺らぎに似た、弱い、しかし確かな反応が聞こえてきた。


 筆談ノートを開き、ペンを走らせる。


『地の底から、何かが押し寄せてくる感覚です。光が薄れていく、という感覚も』


 ノエルがそれを読みながら、頷き思案していた。

 

 区長がそっと後ろから覗き込んで、息を呑んだ。


「……苦しい、って、聞こえたんですか?」


 アルドは頷いた。


『苦しい、という感情が届きました』


 さらに一行。


『長い間、こうなっていたようです。ここ数日で、急に深刻になった様子があります』


 ノエルは地面に手を触れたまま、目を閉じた。

 しばらく、そのまま動かなかった。霧が、さらに厚みを増したような気がした。


 やがて、ノエルはゆっくりと口を開いた。


「ノア・エクト・イース、教えてくれてありがとう。もう少しだけ、耐えてもらえますか」


 声は、震えていなかった。

 土に手を触れながら、その土の奥に向かって語りかけているような、真剣な声だった。


「近いうちに、大きな儀式があるって、セレス様から聞きました。その時には、ちゃんと、力になります」


 そして、続けて願う。


「大精霊テラよ。もし聞きどけてくれるなら、彼らを支えてくださいませ」


 土地が、わずかに揺れた。微かな揺れだったが、地震のそれとは違う。何かが、応えているような揺れだった。

 

 霧が、ほんのわずかに薄れた気がする。テノアは加算されなかった——詠唱でない呼びかけだったからだ。

 

 だが、この土地の土霊には言の葉が確かに届いた。


 区長が、隣で静かに息を吐くのが聞こえた。

 彼には土霊の反応は見えていないかもしれない。

 けれど、霧が薄れていくその状況は、見て分かっただろう。


     * * *


 帰路、街道を二人と一羽で歩いていた。

 霧は晴れ始め、午後の光がまばらに差してきている。

 秋らしく乾いた風が、草を揺らしていた。


 ノエルが、これまでより少し低い声で言った。


「グランド・アリアって、いつ、行われるんでしょうか」


 アルドは筆談ノートを開きかけたが、ノエルは続けた。


「早くその機会が来てほしいような、でも来てほしくないような、変な気持ちです」


 しばらく間があって、彼女はもう一言だけ言った。


「うまくできるか、不安です」


 これまでのノエルからは、聞いたことのない言葉だった。


 規定ルールの枠に抗いながら、審査委員会をくぐり抜け、聖女と呼ばれても揺れなかった彼女が、初めて、正直な不安を口にした。


 声には弱さではなく、なにかに備えている人間だけが持てる真剣さがあった。


 アルドはペンを取り、ひと言書いた。


『あなたなら、大丈夫です』


 ノエルがその文字を読む。アルドは続けて書いた。


『明確な根拠はありません。ただ、そう思います』


 ノエルはその言葉を、しばらく見つめていた。

 それから、小さく笑った。


「……根拠なくても、なんか、大丈夫な気がしてきました」


 秋の光の中、二人の足音が、変わりない速さで続いていった。

 レイはそれを、そばを飛びながら見守っていた。


     * * *


「世界が揺れるとき、人もまた、揺れる。

 彼女の不安は、世界の不安と、

 同じ深さから来ているのかもしれない」

―― アルド、帰路の街道にて

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ