第51話 古書売りの荷車
学院まで、残り十七日。
街道沿いの市場で、古びた荷車を引く行商人とすれ違った。荷台には本が積まれている。革の表紙はどれも色褪せ、紙の端が反り返っていた。
「古本、見ていくかい?」
行商人が声をかけてきたのは、ノエルが足を止めて荷車を見つめていたからだった。彼女の視線は、一冊の表紙――『王立魔術学院 沿革史 第三巻』という金箔の文字に釘付けになっていた。
「……これ、学院の本ですか」
「ああ。学院の図書館で廃棄処分になったやつをまとめ買いしてね。古い記録なんざ誰も読まないからな」
ノエルは恐る恐るその一冊を手に取った。私はその隣に立ち、彼女の肩越しに紙面を覗いた。
ぱらぱらとページをめくる音。古い紙の匂いが、午後の陽射しの中に薄く広がる。
「師匠、ここ……」
ノエルの指が止まったページには、こう記されていた。
『代償法:リトシステム――王国評議会により制定。詠唱における代償算定の基準を定める。算定は学院付属の評定官(通称:知恵の神担当部局)が行うものとする』
制定された年号は、今から三百年以上前のものだった。
私はそのページをもう一度なぞった。何度も。
レイが私の頭上にふわりと舞い降りてきて、本の表紙を見下ろした。
「ほう。三百年前、ねえ」
「……レイさん、これって」
「ただの古い記録だよ。王国にはこういう法律が山ほどある。珍しいもんじゃない」
レイの声は、いつもと変わらず軽い。だが、その目はじっと本の文字を見ていた。
ノエルは何かを言いたそうに口を開いたが、結局「……ふうん」と短く呟くだけだった。彼女自身、まだこの情報をどう扱えばいいのか分かっていないようだった。
「買うかい?」行商人が言った。「一冊、銅貨二枚でいいよ」
ノエルは少し考えて、その本を胸に抱いた。
「買います」
『記録というのは、案外、こうして道端で出会うものですね』
私はノートに書いた。ノエルは頷き、本を旅嚙のノートと一緒に鞄にしまった。
その日は依頼もなく、詠唱もなかった。リボ払いの残高は変わらず、約六十一年七ヶ月のまま。
夜、宿の灯りの下で、ノエルはもう一度その本を開いていた。古い活字を、指でなぞるように読んでいる。
「師匠。この本、持っていてもいいですか」
『もちろんです』
「……なんとなく、大事な気がするので」
その「なんとなく」が、何を指しているのか。彼女自身にも、まだ言葉になっていないのだろう。
アルドはただ、ペンを置いた。
窓の外、星が一つ、また一つと増えていく。
* * *
「古い紙の匂いの中に、誰かが三百年前に書いた一行があった。
それを、今ここで読んでいる」
――アルド(古書を手に入れた日)




