第35話 溶岩精霊の問い
北の山は、遠くから見ると黒かった。
他の山と違って、木が少なかった。岩肌が露出していて、山頂から細い煙が上がっていた。活火山ではなく、でも完全に眠っているわけでもない——そういう山だった。
麓の村の人たちが「あそこには近づかない」と言った。
「なぜですか」とノエルが聞いた。
「昔から、そういうものだから」と村人が言った。「たまに旅人が登ろうとするが、みんな途中で引き返してくる。怖くなって」
「怖いって?」
「何かに見られている感じがするらしい」
レイが「溶岩の精霊だ。近づく者を値踏みしている」と言った。
* * *
山の中腹まで登った。
岩の道だった。植物がほとんどなかった。足元が黒い岩で、踏むたびにざくざくと音がした。
ノエルが「確かに、何かに見られてる感じがしますね」と言った。
アルドは枷の感触を確かめた。確かに、何かの視線があった。温かい——というより、熱い。でも敵意ではなかった。測っている、という感触だった。
さらに登ると、岩の裂け目があった。
裂け目の奥から、かすかな熱が漏れていた。オレンジ色の光が見えた。
「ここですか?」とノエルが聞いた。
「そうだ」レイが言った。「呼びかけてみろ」
ノエルが裂け目の前に立った。
しばらく、何も起きなかった。
それから——裂け目から、声が来た。
人間の声ではなかった。岩が割れる音と、炎が爆ぜる音が混ざったような声だった。でも、意味は伝わった。
『——我の問いに、答えよ』
ノエルが「はい」と言った。
『——汝は何のために詠うか』
静かな岩山に、風が吹いた。
ノエルは、少し考えた。
アルドは端に立って、その問いを聞いていた。
汝は何のために詠う。
シンプルな問いだった。でも——簡単ではなかった。
ノエルがゆっくりと口を開いた。
「……最初は、詠いたかったから、だと思います。声に出したかったから。でも今は——」
少し間があった。
「今は、伝えたいことがあるから、です。精霊に。神様に。それから——師匠に」
裂け目が、静かになった。
長い沈黙があった。
それから——オレンジ色の光が強くなった。
裂け目から、何かが出てきた。
形は人に近かった。でも、溶岩でできていた。体の表面がオレンジ色に輝いていて、動くたびに岩の割れる音がした。背丈はノエルの腰ほどしかなかった。目に当たる部分が、白く光っていた。
精霊が、ノエルを見た。
それから——アルドを見た。
アルドは動かなかった。精霊の視線が、枷の上に来た。枷が、じんわりと熱くなった。測られている感触があった。
精霊が、また何かを言った。
『——伝えたいことを、持っている。それが詠唱だ』
それだけ言って、精霊は裂け目の中に戻っていった。
オレンジ色の光が、少し弱くなった。
でも、消えなかった。
* * *
山を下りながら、ノエルが言った。
「会えましたね」
「答えが正しかった」とレイが言った。
「正しかったんですか。なんか、あってるかどうかわからなくて」
「問いに正解はない。でも——本当のことを言ったかどうかは、精霊にはわかる。お前は本当のことを言った」
「本当のことを……」
「『師匠に』と言った。それが一番、本当のことだったんじゃないか」
ノエルが少し黙った。
「……そうかもしれません」
アルドは二人の後ろを歩いていた。
「師匠に」——ノエルがそう言った瞬間、心の底が少し熱くなるのを、アルドは感じていた。
名前のわからない温かさだった。
でも今日は——少し、名前に近づいた気がした。
* * *
麓の宿に戻った夜、ノエルが振り返りノートに書いた。
「溶岩の精霊に会った。問いを答えた。『伝えたいことがあるから詠う。精霊に、神様に、師匠に』と言った。答えた後で、これが今の本当のことだと思った」
書いて、ペンを止めた。
「もう一行書こうとして、やめた。
書いたら、なんか違う気がして」
ノートを閉じた。
窓の外に、黒い山のシルエットが見えた。山頂から、細い煙が上がっていた。
* * *
「『師匠に』と言った瞬間、枷が温かくなった。
名前のわからない温かさが、
今日は少し、名前に近づいた。
でもまだ、言葉にはできない。
——それが、四つ目だ」
―― アルド、筆談ノートより




