第34話 冬の足音
イメルを出て、三日が経った。
秋が深まっていた。
朝の空気が、冷たくなった。吐く息が白くなる日が増えた。街道の木々はすっかり葉を落として、枝だけになったものもあった。
ノエルが上着をもう一枚重ねた。
「冬になってきましたね」
『もう少しで冬です』
「旅に出てから、季節が一つ半変わりましたね」
『そうですね。春に出て、秋が終わる』
「師匠は寒さ、大丈夫ですか」
『大丈夫です。貴女は?』
「大丈夫です。でも、手が冷たくて」
アルドが立ち止まった。荷物の中から、小さな手袋を取り出した。ノエルに渡した。
ノエルが「え、これ」と言った。
『先週、市場で買いました。貴女の手が冷たそうだったので』
ノエルが手袋を見た。茶色い、シンプルな手袋だった。
「……先週から持ってたんですか」
アルドは頷く。
「なんで先週くれなかったんですか」
『まだそれほど寒くなかったので』
「師匠ーっ」
ノエルが手袋をつけた。ぴったりだった。
「サイズも合ってる」
『見ていればわかります』
「見てたんですか、私の手を……」
『詠唱の時、いつも見ています』
ノエルが「そっか」と言った。それ以上は何も言わなかった。でも、手袋をつけた手を、少し眺めていた。
レイが「若造、また顔が」と言いかけた。アルドが【言わなくていいです】と素早く書いた。レイが「ほう」と言った。
* * *
昼前に、街道の分かれ道に出た。
右に行けば王都方面。左に行けば北の山脈方面。
三人は左の道を選んだ。
レイが「北の山に、古い火山がある。その周辺に、特殊な精霊が住んでいる」と言った。
「特殊な精霊?」
「普通の精霊は一つの属性を持つ。水霊は水、火霊は火。でも、あの山の精霊は——土と火の両方を持っている。溶岩から生まれた精霊だ」
「すごい。会えますか」
「気難しい。でも——お前の声なら、会えるかもしれない」
ノエルが「行きましょう!」と言った。アルドが頷いた。
「ただし」レイが続けた。「会いに行く前に、一つ確認しておく」
「なんですか」
「あの精霊は、会いに来た者に一つだけ問いを出す。答えられなければ、会えない。答えられれば、会える」
「問いって、何ですか」
「それはボクも知らない。精霊が決める」
ノエルが「難しい問いだったらどうしよう」と言った。
アルドがノートに書いた。
『難しくても、答えを持っていれば大丈夫だと思います』
「答えを持っていれば?」
『知識の問いではないと思います。貴女自身のことを聞く問いだと思います。だとすれば——貴女が一番よく知っている』
ノエルが少し考えた。
「……じゃあ、大丈夫かな」
【大丈夫だと思います】
* * *
夕方、街道沿いの宿に着いた。
夕食の後、ノエルが振り返りノートを開いた。
「今日、アルド師匠が手袋をくれた。先週から持っていたらしい。サイズもぴったりで、詠唱の時に手を見ていたから、と言っていた。なんか、そういうことを言う人だと思っていなかったけど、最近よく言う。変わったのかな、師匠。変わったとしたら、何が変わったんだろう」
書いて、少し考えた。
もう一行書いた。
「いや、変わっていないのかもしれない。もともとそういう人だったのかもしれない。ただ、声がないから、筆談で言うしかないだけで。だとしたら——声があった頃の師匠は、どんな人だったんだろう」
ペンを置いた。
窓の外に、冷たい風の音がした。
隣の部屋で、アルドが何かを書く音がした。
ノエルはしばらく天井を見ていた。それから、ノートに最後の一行を書いた。
「早くテノアを解消したい。師匠の声が聞きたい」
* * *
同じ夜、アルドは私的ノートに書いていた。
『冬が近い。北の山へ向かう。溶岩の精霊に会えるかもしれない』
それから少し考えて、書いた。
【手袋を渡した。サイズが合っていた。喜んでくれた】
また少し考えて。
【旅に出てから、贈り物をしたのは初めてだった。悪くなかった】
「悪くなかった」が、今日で十回になった。
アルドはそれを数えずに、ノートを閉じた。
* * *
「手袋を渡した日の夜、
隣の部屋でノエルが何かを書いていた。
何を書いていたかは知らない。
でも——筆の音が、いつもより長かった」
―― アルド、筆談ノートより




