第29話 マルクとの再会
街の名前はヴァルナといった。
王都から南に二日ほどの街で、街道の要所にあるため人の行き来が多かった。宿が十軒以上あって、商店が並んで、広場に噴水があった。
三人が宿を探して歩いていた時だった。
広場の噴水の前に、人が集まっていた。
何かの依頼をこなしている様子だった。中心に人が立って、周りに野次馬が数人いた。
ノエルが「何か依頼してる人がいますね」と言った。
通り過ぎようとして——立ち止まった。
人垣の中心に立っているのが、見覚えのある後ろ姿だったからだ。
群青の外套。白い刺繍。
* * *
マルク・レインズだった。
噴水の傍で、何かの術式を展開していた。水の流れを調整しているようだった。丁寧で、正確な術式だった。以前より手際がよくなっていた。
術式が完了した。噴水の水が、安定した流れを取り戻した。周りから小さな拍手が起きた。
マルクが振り返った。
ノエルと目が合った。
一瞬の間をあけて、マルクが言った。
「......ブライトガーデン」
「マルクさん」
しばらく、二人は黙って向き合った。
マルクの視線がアルドに移った。リトの枷を見た。それから、ノエルに戻った。
「まだ旅を続けているのか」
「はい」
「ここまで来るとは、ずいぶん遠くまで」
「いろんな場所に行きました」ノエルが言った。「マルクさんも依頼で?」
「ああ」マルクが少し間を置いた。「今日はたまたまここを通った。噴水の流れが詰まっているのを見かけて、立ち寄った」
「そうですか」
また沈黙があった。
前回ハルベルトで会った時とは、何かが違った。マルクの目が——前回より少し、複雑な色をしていた。
「……少し、話せますか」
マルクが言った。ノエルではなく、アルドに向かって。
* * *
広場の端の茶店に入った。
四人が席についた。レイは窓枠に止まった。マルクがレイを見て「精霊か」と言った。レイが「高位精霊だ」と言った。マルクが「そうか」と言って、それ以上聞かなかった。
茶が来た。
マルクがカップを両手で持ちながら、アルドを見た。
「先月、学院に行ったんです」
アルドは頷いた。知っている、という意味で。
「副学院長に会った」
また頷いた。
「……副学院長が、ノエルのことを『何か知っているか』と聞いてきたんです」
ノエルが「私のことを?」と言った。
「旅の状況、詠唱の進捗、師匠の様子——細かく聞いてきた」マルクが言った。「私は知っていることしか答えなかった。ハルベルトで一度会ったこと、元気そうだったこと、それだけだ」
「なぜ副学院長が私のことを」
「……学院として、ノエルの動向が気になっているらしい」マルクが少し言葉を選んだ。「詠唱の記録が、フォルク先生の報告書で上がってきている。神霊との接触事例が——学院にとって、看過できないレベルになってきているそうだ」
静かな茶店に、外の街の喧騒が遠く聞こえた。
アルドはノートを取り出した。
『副学院長は、ノエルをどうしたいと思っているのですか』
マルクが読んで、少し間を置いた。
「恐らくだが……管理下に置きたいのだと思う。学院の枠組みの中で、正式に認定して——動向を把握したい」
『それを、私に伝えに来たのですか』
「違う」マルクが言った。「別に伝えに来たわけじゃない。たまたまここで会った。でも——会ったなら、言うべきだと思ったんだ」
アルドはマルクを見た。
見つめ返すマルクの瞳は、まっすぐだった。
『マルクさんは、副学院長の意向に賛成ですか』
長い沈黙があった。
「……正直に言うと、賛成しない」
マルクがゆっくりと言った。
「私は学院で教科書通りの詠唱を学んだ。それが正しいと思っていた。でも——」
マルクがノエルを見た。
「ガイアスへの詠唱を試みた時、神は動かなかった。代償だけ負った。今でもわからないんだ、なぜ動かなかったのか」
ノエルが静かに聞いていた。
マルクはそんなノエルに向けって告げた。
「ハルベルトでお前と話した時、お前が『セレスへの讃美は師匠に真似できない韻だった』と言っていた。その時は、よくわからなかった。でも——その後、ずっと考えていた」
『何を考えていたのですか』
「”正しい”と信じていた詠唱と、”神霊に届く”という詠唱の違いを」
アルドはペンを止めた。
レイが窓枠で静かに目を細めた。
「……まだ答えは出ていない」マルクが続けた。「でも、副院長の言う『管理』は、その答えを遠ざけるものだと思った。だから私は、賛成しない」
* * *
茶店を出て、マルクが別れ際にノエルに言った。
「一つ聞いていいか」
「はい」
「まだ、詠唱時に噛むのか」
ノエルが少し考えた。
「……最近は、噛まないことの方が多いです」
マルクが目を丸くした。それから、何かを噛み締めるように、短く頷いた。
「そうか」
「マルクさん、またガイアスへの詠唱、試みるつもりですか」
「……また、いつの日かは」
「その時、うまくいくといいですね」
マルクがノエルを見た。それから、わずかに口の端を動かした。
「……達者でな、ブライトガーデン」
「はい。マルクさんも」
マルクが歩いていった。
二人と一羽は、その背中を見送った。
レイが言った。「悪い人間ではないな」
ノエルが「そうですね」と言った。
アルドは、マルクの後ろ姿が街の人混みに消えるのを見た。
それから、ノートに書いた。
『正しい詠唱と、届く詠唱の違い——マルクさんは今、それを考えている。それは、良いことだと思います』
* * *
「『正しい詠唱と、届く詠唱の違い』——マルクはそう言った。
私がノエルに声を賭けた理由を、
彼はまだ知らない。
でも、同じ問いに辿り着いていた」
―― アルド、筆談ノートより




