第28話 焚き火の夜、もう一度
フィネルを出て、三日が経った。
宿が取れなかった夜があって、また廃屋に泊まった。
前回と違って、今回は屋根がしっかりしていた。壁も三面あった。
床に枯れ葉が積もっていたが、そのまま使えた。
ノエルが「前より豪華ですね」と言った。
アルドが『そうですね』と書いた。
レイが「廃屋の豪華さを語るとは、旅に慣れたな」と言った。
二人と一羽で笑った。
* * *
焚き火を囲んで、夕食を食べた。
干し肉と、宿場町で買ったパンと、村長からもらった芋を焼いた。焼き芋は外がぱりっとして、中がほくほくだった。
ノエルが「おいしい」と言った。三回言った。
アルドは二個食べた。
レイが「ボクにも」とせがむ。
ノエルが「食べないんじゃなかったんですか」と問い返す。
レイが「気が向いた」といつもの言い訳を返す。
ノエルが「毎回気が向きますよね」と言った。
レイが何も言わなかった。
* * *
食後、しばらく焚き火を見ていた。
ノエルが口を開いた。
「ねえ、師匠」
アルドは頷く。
「最近、噛んでないですよね」
『そうですね』
「なんか、気づいたら噛まなくなってた感じがして。いつの間に、って」
アルドは焚き火を見たまま書いた。
『少しずつ変わっていきました。一度に変わったわけではありません』
「そうですよね。でも——なんかさみしいような気もして」
アルドが顔を上げた。
「噛むたびに、精霊が笑ってくれてたじゃないですか。水面に笑い波が立って。あれ、好きだったんですよね、私」
レイが静かに言った。
「笑い波は、まだ立つかもしれない」
「え?」
「お前が噛まなくなっても——精霊たちはお前の詠唱が好きだ。笑い波は、噛みへの反応だけじゃない。お前の声への反応だ」
ノエルがその言葉をしばらく受け取った。
「……じゃあ、噛まなくても笑ってくれる?」
「笑うかどうかはその時次第だ。でも——喜ぶのは確かだ」
ノエルがほっとした顔をした。
「よかった。噛まなくなったら忘れられちゃうかと思って」
レイが「馬鹿なことを言うな」と言った。声が、いつもより少し柔らかかった。
* * *
ノエルがそのうち眠った。
前回の廃屋野宿と同じように、毛布にくるまって、革張りのノートを胸に乗せたまま静かな寝息を立てた。
アルドとレイだけが起きていた。
レイが言った。
「若造」
アルドがレイの方に視線を向けた。
「ノエルが噛まなくなってきた。お前はどう思う」
アルドは少し考えた。
『嬉しいです。それと同時に——何か、終わりに近づいているような気もします』
「終わり?」
『テノアの完済が近づく、という意味ではなく。この旅の、あの笑い波の——ある時間が、終わりに向かっているような』
レイがしばらく黙った。
「……それは正しい感覚だ」
『やはり、そうですか』
「終わりは、悪いことではない。次の始まりの前に来るものだ」
アルドはその言葉を受け取った。それから書いた。
『ノエルは、さみしいと言いました』
「聞いていた」
『精霊たちが笑ってくれなくなるかと思って、と。そういうことを気にするのが、ノエルです』
「そうだな」レイが言った。「だからボクは正直に答えた。喜ぶのは確かだ、と」
『ありがとうございます』
「礼を言うな、若造」
『言わせてください』
レイが「ほう」と言った。それ以上は何も言わなかった。
焚き火が、小さく爆ぜた。
アルドはノートを開いた。
『テノア残高:65年1ヶ月2日。』
それから、その下に追記する。
『ノエルが「さみしい」と言った。噛まなくなることへの寂しさ。その言葉を聞いて、私は——何かを言いたくなった。でも、何を言えばいいか、わからなかった。それが、四つ目かもしれない』
焚き火の灯が、廃屋の壁を照らしていた。
外に、秋の風の音がした。
* * *
「彼女は『噛まなくなったら忘れられるかと思って』と言った。
忘れられるものか、と思った。
でも、声がないので言えなかった。
それが——ずっと、そういうことだ」
―― アルド、筆談ノートより




