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【第1部完結】POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

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第2話 今日もノエルは噛んだ

 王国南方の辺境街、ハルベルト。


 朝の市場が立つ広場の端、荷馬車の陰で、アルドはノートを開いていた。

 リトシステム—―魔術行使の管理システムの記録を残す。


『テノア残高(現在推計):58年9ヶ月と23日。誤差±2年。』


 ペンを走らせながら、斜め前方で準備をしているノエルを横目に確認する。

 今日の依頼は湿地帯の水害治癒。水の精霊を呼び、川の氾濫域を元の水路に戻す術式だ。

 難易度は中級——ノエルには造作もないだろう。


 問題は第Ⅶ節だ。


 いつもそうだ。問題は、いつも詠唱終盤の名乗りのところ。

 ちょうど、今日の詠唱の構成では七節目にあたる。


「では行きます、師匠!」


 ノエルが革張りのノートを胸に抱いて振り返った。目が輝いている。

 朝から声がよく通っている。今日は調子がいい、とアルドは感知した——精霊の放つ魔力から、精霊たちの期待値が既に上向いているのがわかる。


『よし。今日は成功するかもしれない』


 瞳を閉じて、深く息を吐き出す。

 そうして息を整えてのち、ノエルは魔術行使のための交渉として、言の葉を唱え始めた。


 第Ⅰ節——滑らかだ。ルナが水面を揺らした。


 第Ⅱ節——精緻な景色の描写。テラが低く唸った。


 第Ⅲ節——水霊の真名呼び。ルナが喜びで泡立ちを起こした。


 第Ⅳ節、第Ⅴ節——完璧だった。アルドは知らず知らず前のめりになっていた。ここまで、精霊の反応がわかりやすい詠唱を行う生徒は、学院には稀であったのだ。しかもいずれの精霊も反応が好意的である。


 第Ⅵ節——最長の讃美。ノエルの声が豊かに膨らんで、広場の空気が変わった。周囲の理が書き換わり、それぞればらばらに動いていた異なる属性の精霊たちが、同じ目標ゴールに向かっていくような。場の空気が一段階上がった。


 水霊が集まってくる気配がある。

 その先にはさらに上位の神霊の気配がある。中級神がひとり、セレスが動いた——遠い神界で実りの女神が微笑んだのが、わかる。


『いける。今日はいける』


 そして第Ⅶ節。


「水霊の御慈悲に代わりて——我、ノエル・ブライトガー……」


『さあ、今日こそ。今日こそ、落ち着いて名乗りを—―』


「……ノエル・ブライトガデェン!」


 お約束である。

 枷が鳴った。


 首筋を灼熱が走り抜け、アルドの喉が内側から焼けた。静かに、しかし確実に。

 彼は顔色を変えずに荷馬車の陰に手をついた。リトシステムの声が、枷の中で冷たく響いた——


『任意節の詠唱を確認。また、最後の一音の変形、並びに権限名乗りの不完全な発声。テノア残高に三年と七ヶ月を追加します』


 ノエルが振り返った。顔が真っ青だった。

 その表情とは真逆に、魔術詠唱の効果は美しく、綺麗に決まっている。


「師匠ぉ……」


 アルドはノートを開いた。ペンを走らせる。


『大丈夫です。水霊は来ました。依頼は完遂です』


「でも、でもっ私、また噛んでっ……」


『問題ありません――』と、慰めるよう優しく、『ちなみに今の繋げ方ですが——

 「ガデェン」と言った瞬間、川の精霊たちが爆笑していました。

 水面に笑い波が立ちました。あれも詩的表現と見なされた可能性があります』


 それでも、ノエルが静かに声を上げて泣き始めてしまった。

 アルドはペンを置いた。

 やれやれと呆れたように天を仰ぎ、それから静かにノートに書いた。


『完済予定日が少し延びただけです』


 そっと、ノエルの頭に手を置いて、続けた。


『それより——第Ⅵ節の讃美。今日のセレスへの呼びかけは、

 私には真似できない韻を踏んでいました』


 ノエルはノートを覗き込んだ。

 その目が、じわりと揺れた。


「……師匠っ」


 アルドは答えなかった。筆談で言葉を返すことも控えていた。

 ただ、ノエルのノートを拾い上げて、砂埃を静かに払ってから、そっと彼女に渡す。


 遠くの空では、ノエルの詠唱で気持ちが沸き立った水霊が、軽やかに、そして楽しそうに舞い、踊っていた。


     * * *


『私の喉にテノアが積まれる音は、

 彼女が世界を救うための美しい伴奏に過ぎない』


―― アルド、辺境の町ハルベルトにて

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