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【第1部完結】POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

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第1話 落第生と沈黙の教授

 三年前のことだ。


 ラインゼン大陸最大の領地と人口を誇る、レイダニア王国。


 魔術士の育成も大陸一の規模で行われており、

 王立魔術学院は大陸最大の魔術教育機関である。

 

 その敷地の片隅に、今では誰も使わない旧棟があった。

 夕暮れの風が吹き込み、窓は歪み、噂ばかりが残る場所。


 そんな人気のない場所で隠れるように、女の子が立っていた。

 小柄なまだ幼さが残る顔立ちの、栗色の髪をお下げにしたひとりの少女。

 

 ノエル・ブライトガーデンは泣いていた。


 泣き方もドジだった。

 盛大に鼻をすすりながら、制服の袖で目をこすって、

 鞄の中に詰め込まれた実技試験の答案用紙を見下ろしながら、

 大きく肩を上下させて泣いていた。


 答案の右上には赤インクで「不合格」の判が押されている。


 「再現性なし」


 「暴発傾向につき、上級課程進学不可」


 「技術的成熟を待つこと」


 三枚の不合格通知が、同じ判定結果を下す言葉で埋まっていた。

 つまりは、「出来損ない」であると。


 今日の実技では、観測用の魔力計測器が振り切れた。

 測定上限の実に七倍の数値を叩き出したと、試験官が顔を青くしていた。

 しかしその翌秒、彼らは顔を見合わせてこう言った。


「……計測器が故障したのだろう。もう一度やってみなさい」。


 ノエルがもう一度詠唱すると、また機器が振り切れた。

 試験官はしばらく沈黙した後、「再現性がないと判断する」と記録に残した。


 再現性があった。二回とも、同じことが起きた。


 でも、「そういうこと」だった。


 この学院には、規則があった。

 規則に収まらないものは「異常」とされた。

 「異常」は、評価されなかった。


「ちゃんと、詠唱通りに発動したのに……」


 小声で呟いたその声は、聞き届ける者なく空中に霧散する。

 ノエルはしゃがんで鞄に顔を埋め、またひとしきり、泣き続けた。

 目頭が熱く、涙が涸れそうなほどに。


 「……貴方が先ほど唱えた琴音こえは――」


 もうどれくらい、そうしていたのだろうか。

 気づくと、そばにひとりの男が立っていた。

 声がした方に、しゃがんだままノエルは顔を上げた。


 廊下の入口に、声の主が立っていた。


 黒い外套。

 無駄のない立ち姿。

 金色の教員証が胸元に光っている——学院の教授だとわかる。


 年は若い。

 しかしその瞳は、見かけより若くなかった。

 深い色の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。


「あなたの紡ぐ言の葉に……あの試験会場にいた精霊たちは、とても喜んでいましたよ。気づきませんでしたか?」


 突然の問いかけに反応できず、

 ノエルは、瞬きをした。


「……え?」


「試験場の隅、たしか採光窓のあたりに、小さな水の精霊が三体ほどいました。貴女が詠唱するたびに、軽やかに、そして楽しそうに踊っていましたよ」


 男は表情を変えずに言った。

 しかしその声には、かすかに何か——

 言うなれば「興奮」に近いものが混じっていた。

 乾いた木が水を吸うような、

 静かな渇望。


「貴方の詠唱魔術が発動し、評価員が振り切れた機器を見て困惑している間、精霊たちはずっと貴方の周りを囲むように舞い踊っていました。ちなみに隣の生徒の火球には、精霊はひとつも近づきませんでした。教科書通りでしたから」


 ノエルは目を丸くしたまま、言葉が出なかった。


「ノエル・ブライトガーデン——名前で呼んでもいいですか」


 ノエルは状況を整理しきれずにいたが、流れでコクコクと頷いてしまう。

 泣きはらした赤い目をそのままに。


「じゃあ、ノエル。私はアルドです。魔術理論と神霊文学を担当している、この学院の教授です。お会いするのは初めてですね」


 男が一歩、前に出た。


「少し、私にお時間を。話を聞いていただけますか。貴女の詠唱について、確認したいことがある。教員の特権を使ってでもね。お願いできますか」


 長い沈黙があった。


 ノエルはびしょびしょの目でアルドを見上げ、

 それから答案用紙を見下ろし、

 また見上げた。


「……あの、私、また不合格で――」


 ノエルは、また説教でもされるだろうかと不安になる。

 この教授も私のことを「稀に見る出来損ない」だと、罵るのではと。

 だから、返事ではない、つい言い訳のような言葉が口を突いて出た。


 アルドはそこで一瞬、ハッとなって、表情を和らげた。

 なるべく、ノエルの警戒心を解こうと。


「知っていますよ」


「試験官の先生に、『暴発』って言われました」


「私も、少し離れた場所から見ていたので・・・・・・知っていますよ」


「師匠の言う通りに練習したのに……」


 そう言って悔しそうに下唇を噛む。

 瞳にはまた大粒の涙が溢れんばかりに溜まっていく。


「貴方は何も悪くない。そう思いますよ。そう、貴方はいまの学院のルールには収まらないだけなのにね――」


 ノエルは想像と真逆の言葉が掛けられたことに混乱していた。

 学院の、しかも教授に掛けられた言葉のなかに、

 こんな優しさを含んだものは、今まで記憶がなかった。

 そろりと立ち上がり、腕はだらりと下がる。


 パサリと、試験結果の答案用紙が落ちる音がした。

 その言葉は、ノエルが三年間ずっと欲しかったものだった。


「ひぐっ、えぐっ、うわーん」 


 ここでもう、溢れる衝動が止められなかったノエルは大声で泣き出した。

 先ほどまでの勢いを超えるほど。


 顔はアルドに向こうとしていたけれど伝う涙で霞んでよく見えない。

 枯れることなく、頬を大粒の涙が流れ、落ちていった。


 ノエルは嬉しかったのだ。

 ずっと、異端、出来損ない、エトセトラ。

 ネガティブなことばかり。

 周りの学生まで、距離を置き、陰口を言っていることは知っていた。


 今日、この学院に来て初めて、「肯定的」な言葉を掛けられた彼女は、

 我慢できなかったのだ。

 これまで心に溜まっていたものが、止めどなく溢れるのを。


 アルドは、そんなノエルの号泣を静かに見守ってくれた。

 優しく微笑みながら。


 そして頃合いを見て、提案する。


「貴方を理解できる、違う師匠のところへ行きましょう」


 アルドは静かに言った。


 その一言の意味を、ノエルはすぐには理解できなかった。

 理解できるより先に、なぜか涙が止まった。


     * * *


 まさか、旧棟の校舎に本当に人がいるとは思わなかった。


 アルドに連れてこられたのは、小さいながら整った研究室だった。

 壁はすべてが書棚になっており、隙間なくなにかの本が収まっていた。

 

 その量に圧倒され、ぽかんと口を開けているノエル。

 

「これを目に当てて冷やしてください。少しは楽になるでしょう」


 アルドは軽く冷気をまとわせた布を作って、渡した。

 受け取りながら、その気遣いにまた泣きそうになるのを、ぐっと堪える。


「壁の棚、これ全部、本なんですか?」


「ええ。魔術理論と、神霊文学に関する蔵書です。興味がおありですか?」


「わ、私、どうも詠唱が苦手で、いつも長すぎるとか、無駄だって怒られるんですけれど――」


 目の下に冷えた布を当てながら、それでも目をキラキラさせて続ける。


「図書館にある、古い神霊文学の本、好きでいつも読むんです。あれを読んでいると、心が落ち着くというか」


「興味を持ってくれたのは、嬉しいですね。よろしければ気になる本があれば、お貸ししますので選んでいいですよ」


「本当ですか!?」


「もちろん。いつでもいくらでも――」


 アルドが答え終わる前に、書棚に駆け寄ろうとするノエルを制す。


「お待ちなさい。後で時間をあげますから、今は私の用事を先に済ませてください」


「はい……」と返事をしたノエルは、シュンとして悲しそうな顔になる。


「大丈夫。あとでいくらでも見ていいですから、ね?」


 そういうと、ノエルは少しほっとしたように表情が変わり、にかっと笑う。

 応接セットのソファーにノエルを座らせると、アルドも向かいに腰掛けた。


「ノエル、用事というのは、貴方の魔術詠唱についてです――」


 またノエルの表情が曇る。

 彼女はどれだけこの学院でつらい思いを重ねてきたのだろうか。


「いえ、責めようとか、叱ろうという訳ではないのです。貴方、いつも詠唱の言の葉は教本どおりに?」


「……はい。『お前はいつも長ったらしくていかん』と怒られるので。そうしろとお師匠に言われてますから」


「本当は、もっと詠唱が長いのですか?」


「ごめんなさい……」


「いえ、いいのです。気にせず聞かせてください。もし、もしですよ。今日の水の精霊を使役する魔術を『いつもの貴方らしく』言の葉を紡いだなら、どれくらいの長さになりますか?」


 上目遣いにノエルはアルドを見ていた。怒られるかと心配らしい。


「怒りませんから、正直に答えてください。私的な興味なんです」


 躊躇いがちに、ノエルは答え始めた。


「……通常の詠唱なら三節で終わりにしますけれど……」と、一度深く呼吸してから続けた。「いつもなら、六、いや八節くらいで、だいたい5分ほどですけど……」


 それを聞いたアルドは、メモしていたペンを落としてしまった。

 効率化、簡易化、短縮化を是とする現代詠唱において、今日のノエルの課題の詠唱は30秒もかからない単純なものと定義される。


 ところが、その短さで「あの威力」だったのだ。

 彼女が言う、「いつもの詠唱」を行っていたら、どうなっていただろう。

 恐らく、壁の向こう側が見えるように、穴が開いただろう。

 

 間違いない。

 彼女なら、そう彼女ならば。

 失われし古代詠唱の言の葉を、現代に再現できるかもしれない。

 長年、研究を続けていた、あの古の術式を。


 アルドは、興奮を押さえるのに苦労した。


「アルド先生?」


 心配そうに覗き込むノエルの声で我に返った。


     * * *


「ノエル、今から貴方の『いつもの詠唱』を見せてくださいませんか」


「でも、師匠からは禁止されてるので。それに、琴音こえしばらく出なくなっちゃうから」


 ノエルが躊躇うのも当然。

 魔術の行使には「リトシステム」による「代償テノア」が付くのだ。

 試験の際は特別な魔術装具で受けないが、通常の行使ではまず一定時間「琴音こえ」を失う。

 だから連続の魔術詠唱ができず、1回の行使にはそれなりの重みがかかる。

 また、詠唱に失敗したりすると余計に代償が増え、のしかかる。琴音こえだけで済まないときもあるのだった。


「先ほど伝書鳩で貴方の師匠には了解をとりました。今日から私が貴方の専属になります。師弟の契約をこの場で行い、『代償の肩代わり』を私が引き受けましょう」


 アルドは、迷いなく二つのチョーカーを取り出し、

 ふたりの間にあるテーブルに、置いた。


「一つは貴方が、もう一つは私がつけて、契約となります。引き受けてくださいますか」


 ノエルは躊躇った。

 話が早く展開しすぎて、思考がついていかない。


「ノエル、私は貴方を信じています。必ず一人前の詠唱士にしてみせましょう。だから正確に貴方の実力が知りたいのです。どうでしょう。」


 こんなことを言われる日が来るなんて思いもしなかった。

 その真摯な二つの瞳は、信じても良い気がした。


 ノエルはそっと、チョーカーを掴むと、自分の首につけた。

 続いてアルドも倣う。


 ここに師弟の契約が、発行された。


     * * *


 その夜、旧棟の小さな研究室で、アルドはノエルの詠唱を初めて正式に聞いた。

 三十分後、彼はノートに一行だけ書いた。


『100年に一人の逸材。いや——もっとかもしれない』


 その文字の下に、さらに小さく、


『私の声を、賭けましょう』


 と書いた。


 ノエルはそれを読んで、「えっ、えっ、声を賭けるって何ですか、アルド先生!?」と叫んだ。


 アルドはすでに術式の設計図を広げていて、「詳細は追って説明します」とだけ書いた。


 こうして長い、言の葉を紡ぐ戦いが始まった。

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