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POETRY WITCH(ポエトリー・ウィッチ) -言の葉の代償(テノア)は琴音(こえ)で払え-  作者: ちとせ鶫
第1部 言の葉の重み

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第11話 東の街の詠唱士

北の街道を抜け、三人が向かったのは東の街リヴェナ。

ヨルンの無言の見送りを背に、ノエルはまた一歩、詠唱士としての道を進んでいく。


そこで出会うのは、ヨルンの娘であり、かつて同じ場所でつまずいた詠唱士・ソニア。

第Ⅶ節で噛む——その悩みを共有する先達との出会いは、

ノエルにとって“未来の自分”を垣間見るような時間になる。


そして、広場に満ちる七柱の気配。

ノエルの声を待つ神霊たちのざわめきが、静かに物語を動かし始める。

 グレッセ村を出て、東の街道に入った。


 ヨルンが見送りに出てきた。

 玄関先に立って、腕を組んで、

 特に何も言わなかった。


 ノエルが「お世話になりました!」と手を振った。

 ヨルンが短く頷いた。


 アルドが振り返って、ノートに書いて見せた。


『お父上とお嬢さんによろしく』


 ヨルンが、ほんの少し眉を動かした。


「……達者でな」


 それだけの短い送別の言葉だった。


 三人は街道を歩き始めた。

 針葉樹の並木が、朝の光を細く通していた。


「ヨルンさん、見送りに出てきてくれましたね」


『そうですね』


「ぶっきらぼうな人でしたけれど、優しい人でしたね」


『フォルクの同期だけあります』


「フォルク先生も口悪いんですか?」


『いえ……穏やかな方ですよ』


「じゃあ似てないじゃないですか」


『腹の中……根は似ていますよ。たぶんね』


 レイが上空から「若造、珍しく饒舌だね」と言った。


『そうですか』


「筆談の量が多い。機嫌がいい証拠だよ」


 アルドは前を向いたまま、何も書かなかった。

 ノエルが「師匠、図星ですか」とこっそり聞いた。

 アルドはさらに何も書かなかった。


     * * *


 東の街・リヴェナに着いたのは、昼を過ぎた頃だった。


 カルヴァより少し大きい。

 石畳の通りに、商店が並んでいた。

 広場の中央に噴水があって、滴る水が陽光を受けてキラキラと白く輝いていた。


 レイがノエルの肩に降りてきた。


「詠唱士がいるよ。広場の方だ」


 三人は広場に向かった。


 噴水の脇に、人が集まっていた。


 円になった人垣の中心に、一人の女が立っていた。


 二十代半ばくらいだろうか。

 えんじのローブを羽織った詠唱士。ただし袖口が少し擦り切れていた。

 それは、実用で着込んだローブの痕跡でもあった。


 彼女は詠唱の途中だった。


 水霊への呼びかけ——噴水の詰まりを直す、小規模な水流の調整。


 丁寧で、正確な詠唱だった。

 教科書通りではないが、きちんと神霊に届く声だった。


 詠唱が終わった。

 噴水の水が、勢いを取り戻して高く上がった。

 周囲から拍手が沸き起った。


 女が振り返って、人垣をかき分けてきた。


 ノエルと目が合った。


 詠唱士の女が、少し目を細めた。

 ノエルのえんじのローブを見た。


 それから、隣に立つアルドを見た。

 その瞬間、彼女の顔が明るく微笑んだ。


「もしかして、アルド先生?」


 アルドが頷いた。


「やっぱり、アルド先生だ。まさかこの街でお会いできるなんて」


 そして、アルドの首元の枷に気づく。

  

「旅の途中ですか?」


 ノエルが「はい」と言った。


『久しぶりですね。ソニア』


 続けて、アルドがノートを取り出し、筆記で答えた。


「先生、声が……?」


『ええ。弟子の詠唱の代償テノアを肩代わりしているので』


 そこで、アルドがノエルの頭にそっと手を添えて、紹介した。

 そこで、ソニアはノエルを見た。


「お弟子さん?」


「はい。初めまして、ソニアさん。ノエル。ノエル・ブライトガーデンです」


「まぁ。可愛らしいお弟子さんね。初めまして。私は、アルド先生の元生徒で、ソニア。ソニア・ランデル」


「ヨルンさんと、それに……カルヴァの宿で……」


 さらに今回の縁の流れを伝える。


「父だけじゃなくて、お祖父さんにも会ったの? すごい偶然」


「偶然じゃない。気流がそういう道を作っているのさ」


 視線がレイに移った。


「精霊も一緒なのね」


「ボクはレイ。高位精霊だ」


「よろしく。レイさん」


 話に聞く、ヨルンの娘との邂逅だった。


     * * *


 広場の近くの喫茶店で、四人は席についた。

 レイは窓枠に止まった。


 ソニアはカップを両手で持ちながら、ノエルを見た。


「父から手紙が来ていたの。先生の弟子が通るかもしれないって。詠唱士見習いで、第Ⅶ節で噛むって……」


 ノエルが「むぅ、そこは言わなくてもいいのに」と少しむくれて呟く。


「会うの楽しみにしていたのよ。私も昔、よく噛んだから」と、ソニアが苦笑した。


「私が詠唱士見習いの頃も、ずっとそうだった。失敗を正確に記録して、次に繋げる。アルド先生も父と一緒。褒めることはほとんどないけど」


『そうでしたか?』


「そうでしたよ。でも、ずっと付き合ってくださいましたよね。詠唱の練習」


 ソニアがカップを置いた。そして、ノエルを見た。


「私が第Ⅶ節を直すのに、ちょうど五年かかったのよ」


 静かな時間があった。

 ノエルがそっと尋ねた。


「......どうやって、直したんですか」


 ソニアが少し考えてから答える。


「直した、というより——慣れた、に近いかもしれない。何度も繰り返すうちに、神霊の視線が来るのが分かるようになって、それを『受け取りながら』、自然と気が付いたら普通に名乗れるようになった」


「受け取りながら……」


「最初は視線の重さに負けて、感情が走るでしょう。でも何百回もやっていると、その重さを足場にできるようになる。押されるんじゃなくて、立つ場所にする感じ」


 ノエルが、じっとソニアを見た。


「......今はもう、噛まないんですよね」


「たまに」ソニアが笑った。「依頼の最中に、予想外に精霊が喜んでいたりすると、

 つられて感情が溢れて、最後の一音が崩れるときがあるの。やっぱり、五年経っても、完璧にはならなかったわね」


「それって——」


「でも」


 ソニアが続けた。


「噛んだ時の方が、精霊がよく踊るのよね。困ったことに。楽しんで笑うのよ」


 ノエルが、声を上げて笑った。


 アルドはそれを聞きながら、ノートを開いた。

 誰にも見せないページに、一行書いた。


『久しぶりに会ったソニアは、いい詠唱士になっている』


     * * *


 別れ際、ソニアがノエルに言った。


「一つだけ聞いていい?」


「はい」


「第Ⅶ節、声に出す前に——どんな感じがする? 感覚でいいから」


 ノエルが少し考えた。


「……誰かに見られてる感じ、がします。たくさんの誰か。嬉しそうに、こっちを見てる感じ。それが伝わってくると、なんか—— 嬉しくなっちゃって、最後の一音が、その嬉しさで崩れる、というか」


 ソニアが静かに頷いた。


「そう。それよ」


「ソニアさんも、そうなんですか?」


「同じだった。ただ——」


 ソニアがノエルをまっすぐ見た。


「私が感じていたのは、三、四柱くらいだと思う。あなたが感じているのは、もっと多い気がする。さっきから、この広場の精霊たちがそわそわしてるもの」


 ノエルが「えっ」と驚きの声をあげる。


 レイが窓の外から静かに言った。


「七柱だよ。今この広場にいる精霊の数」


「……七柱もの精霊が、私のことを見てるんですか」


「見てる、というより——待ってるよ」


 長い沈黙があった。


 ソニアが笑った。


「頑張りなさい、かわいい詠唱士さん。あなたが名乗れた時、七柱がどんな顔をするか——私も見てみたい気がするわ」


 ノエルが、深く頷いた。


「……はい。頑張ります」


     * * *


 リヴェナを出て、街道を歩きながら、

 ノエルはしばらく黙っていた。


 アルドは隣を歩いた。

 何も書かなかった。

 ノエルが話したい時に話すと、知っていたから。


 しばらくして、ノエルが口を開いた。


「......七柱も、あそこにいたんですね」


『そうみたいですね』


「プレッシャーです。緊張しました」


『そうですね』


「でも——」


 ノエルが、空を見上げた。


「嬉しい、ですね。それにわくわくします。変ですか?」


 アルドは少し止まった。

 それから書いた。


『変じゃないです。私もそう思います』


「師匠も?」


『いつもあなたの詠唱の時には——そう毎回。第Ⅶ節の直前、気温が上がる気がします。精霊たちは、みんな、前のめりにあなたの言の葉を待っている』


 ノエルが笑った。


「神様たちも、そわそわするんですね」


『そうですよ。もっと感じてみてください。きっと届くはずです』


「……じゃあ、早く噛まないようにならないと」


『焦らなくていいです。ソニアが言った通り——押されるんじゃなくて、足場にする。その感覚をつかむまで、私はここに。貴方と一緒にいます』


 ノエルが、アルドを見た。

 それから、前を向いた。


「……ありがとうございます、師匠」


 街道の先に、夕暮れの光が伸びていた。


     * * *


「彼女があの広場で七柱の精霊に囲まれ、待たれていると知った日——

 彼女は『プレッシャーですね』と言い、

 次に『嬉しいですね』と言った。

 その感覚が、ノエルらしいと思った」


―― アルド、筆談ノートより

ソニアは、ノエルにとって初めて出会う“同じ悩みを越えた人”だった。

噛むことを恥じるのではなく、

その感情の揺れを“足場”に変えていくという考え方は、

ノエルの中に新しい灯りをともしたように見えた。


そして、七柱がノエルを“待っている”という事実。

それは重圧でありながら、同時に祝福でもある。

ノエルが「プレッシャーですね」と言い、

次の瞬間に「嬉しいですね」と続けた順番こそ、

アルドが見守り続けてきたノエルそのものだった。


縁は静かに繋がり、

声は確かに届き始めている。

旅はまだ続く——その先で、七柱がどんな顔を見せるのか。

それを知るのは、ノエルの次の一歩だけ。

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